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ジャンボのエンジン全部停止!(PART 1 OF 3)

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ジャンボのエンジン全部停止!(PART 1 OF 3)


(jumbo01.jpg)


起こるべくして起こった事故


(sun002.jpg)

1985年8月12日、ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故---。
恩地は、社の救援隊の一員として現地入りし、遺族のお世話係、次いで大阪のご遺族相談室で補償交渉の任に当たることになる。

『沈まぬ太陽』の中でも、「御巣鷹山編」執筆にあたっての取材は特に厳しいものでした。
 ...
取材に応じてくださったご遺族から、離断された無残な遺体、遺体確認の地獄の苦しみ、癒すことのできない喪失感、さらには電卓で生命の代償を算出される補償交渉の実際をうかがうにつけ、御巣鷹山事故をこのまま風化させてはならない、事故の真相を書き留めて、亡くなられた520名の声なき声に報いるべきだという思いを深くしました。
 ...
苦しい取材、そしてその後の執筆の過程で、もうこれ以上はと、幾度か挫折しそうになりました。
そのたびに私を踏みとどまらせて下さったのは、亡き河口博次氏の遺書でした。
当時、新聞などで大きく取り上げられ、覚えている方も多いでしょう。
墜落していく飛行機の中、手帳に走り書きされた「マリコ 津慶(つよし) 知代子 どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい……本当に残念だ きっと助かるまい……まわりながら 急速に降下中だ」という、家族へ当てたメッセージです。

私はどうしても河口氏その人の筆跡をじかに見せて戴き、氏の魂に触れされて戴きたかった。
...
開かれた頁を眼にして息が止まりました。
飛行機の激しい揺れにともない、文字がギギギ、ギギギと右上がりになったり、左下がりに振れながら、懸命な筆力で綴られている。
そして最後の、

本当に今迄は幸せな 人生だった と感謝している

という文章を読み終えたとき、耐えていた涙が止まりませんでした。
死に臨んだ最後という瞬間に、何という家族に対する限りない愛情と人間の尊厳に満ちた言葉でしょうか。
 ...
思えば御巣鷹山事故は起こるべくして起こった事故でした。
過去に何度も人命を失う事故を起こしながら、真摯な原因追及を行わないばかりか、歴代トップの誰一人も責任を取ることなく来たこと自体が、モラルの低下に繋がっていったのです。
恩地をして「遺族のお世話・補償交渉に当たる人間は、定年前の窓際族の社員より、会社の役員や将来を担う人材が事故の凄惨さ、遺族の無間地獄を直視してこそ、補償係の立場を理解してこそ、誠意ある補償と安全に対する心構えが出来る---」と独白させていますが、これは私自身の気持ちでもあります。
しかしこの国民航空はトップが不承不承、辞任したのみで、大切な機会を逃してしまうのです。
組織の堕落ここに極まれりという他はありません。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



174-177ページ
『作家の使命 私の戦後』
著者:山崎豊子
2009年10月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




ケイトー。。。、タイトルの「ジャンボのエンジン全部停止!」というのは御巣鷹山事故の時のことなのォ〜?



いや。。。御巣鷹山事故でもジャンボの4つのエンジンが止まったかもしれないけれど、僕は御巣鷹山事故のことで、そのように書いたわけではないのですよ。 

じゃあ、他の事故のことなの?

そうです。 他の飛行機事故ですよ。 シルヴィーが死にそうになったという飛行機事故ですよ。

あらっ。。。今日はその事故のことを私に話させるの?

いけませんか?

私は命が助かったから別にかまわないけれど、御巣鷹山事故の遺族の方が読んだら、嫌な思いを味わうのじゃないかしら?

あのねぇ〜、御巣鷹山事故のような飛行機事故が2度と起こらないようにするためにも、シルヴィーの経験談をもう一度話して欲しいのですよ。

私は怪我(けが)もなく助かったから話す気になれるけれど、ああいう経験は2度としたくないわね。 御巣鷹山事故は1985年の8月だけれど、私が遭遇した事故は、その3年前の1982年の6月よ。 当時、私の妹のマリアがマレーシアのクアラルンプールに住んでいる叔母と一緒に暮らしていたの。

シルヴィーは確かラトビアのリガ市に住んでいたんだよね。 小学校の先生をしていたと聞いた覚えがあるよ。

そうなのよ。 ラトビアのリガ市に住んでいた姉夫婦の家に同居しながら小学校の先生をしていたのよ。 でも、その姉夫婦がオーストラリアに移住することになったの?

シドニー? それともメルボルン?

いいえ。。。西海岸の方のパース(Perth)よ。

シルヴィーもオーストラリアに移住することになったの?

違うのよ。。。、私は1986年に古巣のカナダに戻ることになるのだけれど、それまでリガ市の友達とアパートをシェアしていたの。

じゃあ、1982年当時、まだリガ市で小学校の先生をしていたんだ?

そうなのよ。 5月下旬に休暇をとってクアラルンプールの妹と一緒に姉夫婦の住んでいたパースに行こうということになったの。

それでクアラルンプールへ行ったわけ?

そうよ。。。叔母の家で再会を果たしてから6月になってパースに向かったの。 ブリティッシュ・エアウェイ(British Airway)のジャンボジェエトに乗ったのよ。 機内はそれほど混んでなくて快適な空の旅になるはずだったわ。 ところが、クアラルンプールを立ってから1時間もしないうちに恐怖のどん底にたたき下ろされたの。

御巣鷹山事故のようにジャンボが回りながら落ちていったわけ?

いいえ。。。機体が不安定に回転して、ノートに文字が書けなくなるほどではなかった。 意外に乗客は静かだったのを覚えているわ。 もう夜だったし、機内は薄暗かったからかもしれないわ。 でも、内心では死に逝く我が身を考えながら気持ちが動転していることだけは確かだったわ。

ジャンボのエンジン4基がすべて止まったという機長のアナウンスがあった時は機内はどうだったの?

どう理解していいのか戸惑っているというのが本音よね。 一人だけ泣き出した女性が居たけれど、その人が乗客240人を代表して泣いているようなところがあって、他の乗客は意外に静かだったのよ。 と言うよりも、ほとんどの人が死に直面して、どう考えていいのか呆然として、もう内心では気持ちが動転していたのだと思うわ。 涙も声も出なかったと言うのが本音よね。

でも、恐怖のどん底に落とされたような気分だったんでしょう?

そうよ。 私と妹はしっかりと手を握り合っていたわ。 1基でもエンジンが動いていれば助かると聞いていたけれど、4期すべてのエンジンが止まったら、もう駄目よね。 後で知ったことだけど、その時ジャンボは 11、500メートルの高度を飛んでいたらしいのよ。 4期のエンジンが止まってから16分の間に 7、500メートルも落ちたのよ。 飛んでいた高度の半分以上も落ちたわけよね。

そのときの気分は。。。?

高速のエレベーターに乗って落ちてゆくような感じよ。 私は気持ちが動転したと同時に貧血を起こしていたと思うわ。 顔が冷たくなって、体全体がスーと水の底に引き込まれるような恐怖を感じて。。。、

機長は4基すべてのエンジンが止まった原因は何だと言ったの?

そんな説明はなかったわ。 「緊急事態が発生して目下懸命に1基でもエンジンが始動するように全力を尽くしています。 シートベルトを着用して以後はフライトアテンダントの指示に従って欲しい」と言うようなアナウンスが流れたわ。

キャーとかギャーとか言う声は起こらなかったの?

一人の女性の泣き声が聞こえていたけれど、他の乗客は意外に静かだったのよ。 飛行機が高度を下げていたので気圧の関係から耳がおかしくなっていたのかもね。 とにかく、奇妙に静かだったわ。 でも、私の気持ちは動転していたのねぇ。 なぜなら不安や恐怖を体はしっかり感じ取っていたのよ。

どういうこと。。。?

ジャンボが高度をグングン下げている時、私は気づかなかったのだけれど、失禁していたのよ。

失禁ってぇ。。。おもらし。。。お漏らし?

そうなのよ。。。ケイトーがときたま谷岡ヤスジさんのマンガを貼りつけるでしょう!?





このマンガを見ると私は、いつもあの事故の時の失禁した時の事がオツムに思い浮かんでくるのよ。 男の人は、めちゃセクシーな女性に出会うと無意識に鼻血が出てくるのかもしれないわね。 ちょうど、受け入れることができないような恐怖に出遭うと、人間ってぇ、おしっこを漏らしてしまうように。。。上のマンガを初めて見た時、ばかばかしいと思いながらも、そういうことなのねと、自分のお漏らしの経験から、悟ったのよ。 うふふふふ。。。



。。。で、4基のエンジンが止まってから16分後にエンジンが始動したわけ?

もちろん、どういうことになったのか? 乗客は全く解らなかったと思うわ。 16分と言えば、それほど長い時間じゃないけれど、私はもっと長かったような気がするのよ。 30分。。。いえ。。。1時間ぐらいかな? 時間的な感覚と言うよりも、恐怖の中にすっぽり包み込まれて、時間は流れていなかったような感じよね。 死ぬと言うことは冷たい水の底に引き込まれていって、自分の体が小さく小さくなって。。。やがては消滅してゆくのかな?。。。朧(おぼろ)な意識の中で、そのようなことを感じていたわ。。。気を失おうとしていたようなのよ。。。それから、ふと気づいたら機内が明るくなって、エンジンの音が聞こえてきたの。 

それで。。。?

「ねえ〜。。。シルヴィー。。。どうやら助かったようよ。。。」 妹のマリアが涙を眼にいっぱい溜めながら私の顔を覗き込んだのよ。 それからだわ。 急に泣き出す人が、あちこちに現れたのよ。 嬉し涙よね。 死に逝く恐怖から開放されて嬉し涙がこみ上げて自然に泣き出してしまったのでしょうね。 とにかく、誰も怪我(けが)がなく無事だったのよ。 まるで、悪夢よね。 悪夢から平常に戻ったのよ。

。。。んで、原因が判ったのは。。。?

それから1ヶ月ぐらいしてからだわ。 インドネシアのジャワ島にある標高2,168メートルのガルングン山(Mount Galunggung)が大爆発を起こしたと知ったのよ。 


(galung02.jpg)

ガルングン山(Mount Galunggung)の噴火



もちろん、当時、乗客も機長もその事を知らないのよ。 運が悪く、ジャンボ機が大爆発の上空を飛んでいたのよ。 風下を飛んでいる時にエンジンが火山の大爆発の噴煙・粉塵・火山灰を吸い込んだために一時的に4基が止まってしまったの。 判ってしまえば原因は簡単なことなんだけれど、当時の機長やクルーは原因不明のエンジンストップに、重大な責任を感じたでしょうね。 乗客の私たちよりも精神的なストレスを20年分ぐらい感じたと思うわ。



それで無事にパースに着いたの?

いいえ、インドネシアのジャカルタ空港に緊急着陸したのよ。 パースに向かったのはそれからだわ。

全員無事でよかったね。

ホントよね。 今でも、時々その時の夢を見るわよ。 あの事故は全くの悪夢だったわ。 でも、御巣鷹山の悲惨な事故を知ると、あの事故に遭った乗客はマジでラッキーだったと思うわ。

あのねぇ〜。。。人為的なものが全く加わっていなかったからですよ。 つまり、大爆発も自然界の出来事ならば、ジャンボ機のエンジンが止まって16分間降下している間に、風圧の関係でエンジンに吸い込まれていた火山灰や粉塵が吹き飛ばされて、エンジンがまた動き出した。 それも自然界のなした業(わざ)ですよ。 つまり、自然界に身を置いた場合には、すべてを自然界に任せておけばうまくゆくのですよ。 人間が下手に手を加えると悲劇を生む。

例えば。。。?

例えば、車や工場から吐き出す二酸化炭素が温室効果を生み出す。 人間がやらかしたことですよ。 それが地球温暖化の原因になった。 そのために、大きなハリケーン・カトリーナを生み出して人間に大きな被害をもたらす。 つまり、「天に唾する者は、その唾を自ら受けねばならない」と言う宿命ですよ。

御巣鷹山の悲惨な事故は人為的なものだったとケイトーは言うの?

その通りですよ。 山崎豊子さんも次のように書いている。


思えば御巣鷹山事故は起こるべくして起こった事故でした。
過去に何度も人命を失う事故を起こしながら、真摯な原因追及を行わないばかりか、歴代トップの誰一人も責任を取ることなく来たこと自体が、モラルの低下に繋がっていったのです。
 ...
しかしこの国民航空はトップが不承不承、辞任したのみで、大切な機会を逃してしまうのです。
組織の堕落ここに極まれりという他はありません。




つまり、日本航空は過去に何度も人命を失う事故を起こしながら、真摯な原因追及を行わなかったと。。。?



その通りですよ。 『腐った翼』には次のように書いてある。


(すぐ下のページへ続く)



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