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ニーチェとエロい画像検索(PART 2)

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ニーチェとエロい画像検索(PART 2)





おさゐは忌々しい帯を権三から取り、

私のを締めればいいと自分の帯を解いた。

すると、この状況を伴之丞が目撃する。



この場面はあまりにも不自然やと思うねん。



どうして。。。?

このような見え見えの事をするかいな! これでは、「私たちが不義をしている所を見て!見て!」と宣伝しているようやないかいなァ! アホらしくて、観ているわての方が恥ずかしくなったでぇ〜。。。

なにも、あんさんが恥ずかしくなることはおまへんがなァ〜。。。

とにかく、観客の目に不自然やと思われるような事はせ〜へんこっちゃ!

。。。で、あんさんは、その事が言いたいために、わざわざ『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

ちゃうねん。。。そのような些細な事で記事を書くかいなァ!

そやったら、どないな理由で『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

あのなァ〜、このような不義密通をテーマにした作品は“姦通物(かんつうもの)”と呼ばれておるのやけど、戦後、姦通罪が無くなったのに、どうして未だに人気があるのか? その事をわては考えさせられたのやがなァ。

それで、記事のテーマにしようと思いはったん?

そうやァ。 江戸時代から太平洋戦争まで、この姦通罪は、不義をした妻と、その相手の男だけに適用されて、この二人が罰せられた。 つまり、夫が妻以外の女と浮気をしようが2号さんを持とうが罪とはならへん。

それは男女同権に反しますやん。

そやから、戦後、姦通罪は廃止されたのやがなァ。 それにもかかわらず、未だに『鑓の権三重帷子』が上演されたり 1986年には映画にもなった。 つまり、人気が続いているねん。

『忠臣蔵』が未だに人気があるのと同じ理由やと、わたしは思うわァ。 つまり、吉良上野介を悪者にして、悪い奴をみなで懲らしめはるゥ。 そういう場面を見て日本人は気分良く日常生活に戻ってゆきはる。 気分がすっきりして癒されますねん。

なるほどォ〜。。。言われてみれば分かるような気がする。 そやけどなァ、『鑓の権三重帷子』の場合はちょっと違うと思うねん。

どないに。。。?

実は、日本の家庭の主婦は、多かれ少なかれ「おさゐ」さんのような中年女性が多いと思うねん。

伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。

美男の誉れ高い権三で、

娘の夫になってもらいたいと、

おさゐは権三に伝え、

もし承知してくれれば伝授すると約束した。

つまり、たいていの主婦は打算的で、スーパーならば人よりも良い物を安く手に入れたいと思う。 夫に失望している妻は、せめて娘だけには夫よりも有望な若者を探して見合いでもさせたいと思うてる。 しかも、最悪の状態になっても、諦め切れない未練がましい気持ちにとらわれる。 そやから映画のような状況に共感する。



おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、

権三と夫婦の契りをかわしてから」と、

旅篭(はたご)で激しく愛しあう。



つまり、このような願望を日本の中年主婦が持っていると、あんさんは言わはるのォ〜?



夫に失望している妻ならば、当然やろう?

そうやろか?

そやけどなァ、おさゐも権三も殺されてしまうのや。 それを見定めて観客の中年主婦は、きっと次のように思うねん。



ああ〜  思えば、わたしだってぇ、

同じような状況であれば、

同じような事をするかも。。。

駄目な夫と生活しているけれど、

殺されるよりは

生きて旨い物でも食べていた方がええわァ。

ここで初めて常日頃不満タラタラの家庭の主婦は蜜の味を感じるのやァ。
 
 
“他人の不幸は蜜の味”
 
 


あんさん!。。。、これはかな〜り性格の悪い解釈ですぇ〜。。。



さよかァ〜。。。?



『他人の不幸は…』より
(2012年1月8日)




ニーチェは出てきやはりませんでぇ〜。。。



あのなァ〜。。。確かに上の対話の中にはニーチェは出てきよらん。

そやけど、あんさんはタイトルで「ニーチェとエロい画像検索」と書いてますやん。

そうやァ。

そやったら、出てきよらんのに出てくると宣伝して読者を欺く不正タイトルですやん。

めれちゃん!。。。ちょっと待ちィ〜なァ。。。わての話はまだ終わっておらんのやでぇ〜。。。 最後まで聞いてからクレームつけて欲しいねん。

ホンなら、しょうもない事を言わずに話の続きをしたらええやん。

あのなァ〜、わてはたまたまバンクーバー図書館から次の本を借りていたのや。


(lib20620.gif)



赤枠で囲んである本を読みはったん?



そうやァ。

つまり、無理矢理図書館から借りたニーチェの本を持ち出してきてタイトルに結び付けようとしやはるのォ〜?

あのなァ〜、めれちゃん。。。わてが、そないなアホな事をするかいな! 前にも言うたように、上の画像を検索して『他人の不幸は…』を読みはった人が4人居るとリストに出ているのやがなァ。


(hg20618.gif)



赤点の脇に「4」と書いてあるのは、そういう意味なのやでぇ〜。。。つまり、わてが上のリストを見たときには、すでに『ニーチェ』を読んでいたのや。 そやから、こうして記事で取り上げる気になったのやないかいなァ。



そないな事を言うてもネット市民の皆様は誰も信じへんと思うわァ。 記事のネタが切れたので、あんさんが無理矢理図書館の本を持ち出してきて、こうして記事を書いていると思いはるでぇ〜。。。

あのなァ〜、めれちゃん。。。偶然と言うのはあるものなのやでぇ〜。。。

それで、あんさんは何が言いたいねん?

その本の中に次のように書いてあったのやァ。


ここで想起されるのは、先にも触れた紀元前1世紀のローマの詩人・ルクレティウスの『物の本性について』の第2巻の冒頭である。


大海で風が波をうねらせているとき、陸から他人の難儀を眺めるのは悦ばしい。
他人の困難が甘美な喜びなのではない。
自分がそのような災悪を免れているということを分かっているのが悦ばしいのだ。


... ここで、ルクレティウスが語っている「傍観者の悦び」とは、ストア派の主張する「同情の禁止」のエピクロス的表現なのである。
ただそれらに違いがあるとすれば、それは、ストア派が同情することによって自己に加えられる危害を避けるために、他人の災悪を自らに関わりのないものとして無視しようとするのに対して、エピクロス派は、そのような苦難に対する恐れを世界の構造の認識によって無化しようとする点にある。
つまり、このたしかに「非人情」といえる態度は、世界に対する生の利害を離れた視点からの、つまりその意味で「死んだ世界」からの、「死者の視点」からの眺望なのである。

ニーチェは、エピクロスのことを「古代末期の人々の魂の癒(いや)し手」と呼んでいるが、それは彼自身にとっても同様で、折に触れてその思索上の癒し手ともなり、また励まし手でもありつづけたように思われる。

... 同じ時期に書かれた研究草稿には単に資料としてばかりでなく、エピクロスの哲学そのものに対するニーチェの共感を読みとれる多くの記述が残されている。

(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。)



57-58ページ 『ニーチェ』
著者: 神崎 繁
2002年10月25日 初版第1刷発行
発行所: 日本放送出版協会




なるほどォ〜。。。



何がなるほどォ〜なのやァ?

つまり、「他人の不幸は蜜の味」というのは極めて「非人情」と言える態度やねん。 あんさんは、この言葉を持ち出してきたことに後ろめたさを感じていた。 そうですやろう?

う〜〜ん。。。確かに、大勢の人を前にしたら、 「他人の不幸は蜜の味」とは言いにくいわなァ。 ひそひそと相手の耳にささやくような類の言葉には違いないと思うでぇ〜。。。

そうですやろ!? それで、たまたま上の本を読みはった。 ほだら、言い訳になる、ええことが書いてあった。

他人の困難(不幸)が

甘美な喜びなのではない。

自分がそのような災悪(不幸)を

免れているということを

分かっているのが悦ばしいのだ。

そして、あんさんはこの言葉の中にエピクロス的な「癒し手」「励まし手」を見つけてホッとしやはった。 つまり、「他人の不幸は蜜の味」と書いてしまった時の「罪悪感」、すくなくとも「後ろめたさ」を、このようにして消そうとしてますねん。

めれちゃんは、そう思うのか?

そうですう。 このようにして書けば、「他人の不幸は蜜の味」と書いたかてぇ、この記事を読みはるネット市民の皆様から非難を受けることがないだろうと思うてますねん。

なるほどォ〜。。。めれちゃんの知能指数が140あるということを、わては改めて実感しているでぇ〜。。。うへへへへへ。。。

知能指数とは関係あらへん!

さよかァ〜。。。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
大勢の人を前にしたら、 「他人の不幸は蜜の味」とは言いにくいですよね。
どうしても、ひそひそと他の人には聞こえないように相手の耳にささやくような言葉ですわ。
あなたも、そう思うでしょう?

ええっ。。。そんな事はないと、あなたはおっしゃるのですか?
じゃあ、どうしてそう思わないのか? ぜひ、コメントに書いてください。

ええっ。。。IPアドレスを書かれて反論されるので、とても書く気にならないのォ〜?
あなたは、意気地の無い人なのですわねぇ〜?

ええっ。。。「デンマンは非常識だから付き合いきれない」と、おっしゃるのですか?
うふふふふふ。。。
確かにデンマンさんは平均的な日本人ではありませんわよね。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちはジューンです。

「天才と気チガイは紙一重」という言葉がありますが、

ニーチェはまさに、そのような天才でした。

多分、幼い頃のトラウマがニーチェの心に

大きなストレスをかけたのだと思います。

5歳で牧師のお父さんを亡くし、

翌年には弟も亡くなっています。

1889年1月3日にニーチェの精神は崩壊します。

この日、ニーチェがトリノ市の往来で騒動を引き起して

二人の警察官の厄介になったということ以外に

正確な事情は明らかになっていません。

この時、カルロ・アルベルト広場で

御者に鞭打たれる馬を見て奮い立ったニーチェは

そこへ駆け寄り、馬を守ろうとしてその首を抱きしめながら

泣き崩れ、やがて昏倒したと言われています。

ニーチェの狂気の原因は、

学生の頃移された脳梅毒が悪化して

妄想や幻覚を見る様になったという説もあります。

しかし、ニーチェの示している徴候は

梅毒の症例とは矛盾しているところも見られます。

ニーチェの狂気は脳腫瘍のためだという研究者も居ます。

ほとんどの研究者はニーチェの狂気と哲学は

無関係なものと考えていますが、

ジョルジュ・バタイユやルネ・ジラールは

ニーチェの狂気は彼の哲学によってもたらされた

精神的失調だと考えています。

あなたは、どう思いますか?

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





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