愛の追憶(PART 1)
Subj:ただいま 戻りました
Date: 08/03/2008 10:26:19 PM
Pacific Standard Time
日本時間: 3月9日午後3時26分
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com
東京ではホテルでゆっくりしました。
横浜は久しぶりで 山下公園の港の景色を見て
本当にリラックスできました。
そして好きな街だから
関内のほうまで たくさん歩いて
ふと バンクーバーの夕暮れ時のダウンタウンの冷たい空気を感じました。
東京では感じません、
広い道路 高い古いビル TAXIの多さ
サイレンとノイズ、レンガや石畳
歩く人の多さ。
田舎では道路は広いが歩いてる人は少なく、
新都市計画で建物は真新しく。
横浜は軽井沢の次に住みたい街です。
デンマンさんの住んでる建物はどんな感じ?
ビル全体 ツタに覆われて、
ダウンタウンの匂いがするの?
小百合より
デンマンさん。。。、ずいぶんと古いメールを持ち出してきましたわね。
2008年の3月ですよ。。。それほど古いメールではないですよ。
ネットで3年は一昔だとデンマンさんは言っていたではありませんか。
それはネットの技術的な進歩を考えた場合で。。。過去の出来事を追憶する時の3年など、まだまだ記憶に新鮮によみがえってきますよ。 そうじゃありませんか!?
確かに言われてみればそうですわね。 東京でくつろいで、それから横浜へ行って山下公園をそぞろ歩いて。。。考えてみれば4年が過ぎているのですわ。。。でも、こうして読み返してみると、なんだか3ヶ月か4ヶ月前のようにも思えますわ。
「横浜は軽井沢の次に住みたい街です」と書いていたけれど、小百合さんはそれほど横浜が気に入っているのですか?
横浜には、どことなく「海外への窓」のような雰囲気があるでしょう!? 日本に居ながら外国の空気に触れるような。。。すぐに海外に出てゆけない身にとっては、横浜の街を歩いていると、なんだか自分が遠い異国に居るような夢とロマンを感じますわ。
横浜レンガ倉庫
横浜レンガ倉庫の夕暮れ
(hill10.jpg)
「港の見える丘公園」
「港の見える丘公園」のイギリス館
(hill30.jpg)
「港の見える丘公園」から見た横浜の眺め
横浜・港の見える丘公園
バラが見ごろ
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小百合さんの口から「夢とロマン」が飛び出すなんて珍しいですね。
しばしば「夢とロマン」を口にするデンマンさんの影響ですわ。
山下公園のすぐそばにある
ホテル・ニューグランド
横浜は久しぶりでホテル・ニューグランドで食事をしてから山下公園の港の景色を見て本当にリラックスできました。
山下公園ですかあ。。。懐かしいなあぁ〜。。。数少ない僕のガールフレンドの顔が浮かんできますよゥ。 ヽ(´ー`)ノ
デンマンさんは山下公園でたびたびデートしたのですか?
たびたびではありません。。。数えるほどですよ。 今、思い出したけれど、僕はかつて横浜市民だったのですよ。
マジで。。。?
僕は横浜の港北区にある松下通信工業の社員寮で暮らしていた事があったのですよ。 確かに住民票を行田市から横浜市に移した事がありました。 あのねぇ〜、今でも僕の机の上にあるのだけれど、三省堂新明解国語辞典の扉の裏を見たら、「昭和51(1976)年2月20日神奈川県よりの記念品」と書いてあるのですよ。
あらっ。。。どうして神奈川県から記念品をもらったのですか?
カナダへ移住するというので住民票を移動するときに記念品として国語辞典をもらったのですよ。
デンマンさんが元横浜市民だったなんてうらやましいですわ。 横浜からカナダへ飛び立ったわけですのね!?
そう言う事になります。 しかし、小百合さんも海外に行こうと思えば、いつだっていけるじゃないですか! 日本は鎖国しているわけじゃないんだから。。。
確かに無理をすれば行けますわ。。。でも、それができないのが現実ですわ。。。自分の事ばかり考えているわけにはゆきませんもの。。。カナダの「湖畔の家」を引き払って日本へ帰ってきたのも自分の事ばかり考えているわけにはゆかなくなってきたからですわ。。。
う〜〜ん。。。そう言えば小百合さんは次のように書いていましたね。
Subj:長い電話お疲れ様でした
Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 10月1日 午後5時52分
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com
長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。
経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、
デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。
いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。
バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。
あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。
実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。
こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。
買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。
日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。
でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は
私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。
小百合より
『ロマンと悪妻』より
(2008年7月31日)
このメールを書いたのは2007年の10月ですか。。。すっかり忘れていましたわ。
お父さんが生きるか死ぬかの瀬戸際に立ち遭って小百合さんは決断を迫られたのでしょうね。 言わば人生の転機だったのですよ。
そうでしたわ。 父の存在がなかったら私はあのままバーナビーに居たかも知れませんわ。
バーナビーの「湖畔の家」がとても懐かしいですわ。
うん、うん、うん。。。解りますよ。 小百合さんが軽井沢に惹かれるのは、もしかすると軽井沢の「雲場池(スワン・レーク)」が「湖畔の家」があったディーア・レーク(Deer Lake)に似ているからかもしれませんよ。
雲場池(スワン・レーク)
偶然ですわ。。。でも、確かに言われてみると、なんとなく似ていますわ。
それにしても、上のメールをもらってから、しばらくしてマジで小百合さんが軽井沢に別荘を持ったので僕はビックリしましたよ。
あらっ。。。デンマンさんはそれほどビックリしたのですか?
人は見かけによらないと言うけれど、小百合さんを見て、しみじみと納得しました。
私は軽井沢に別荘を持つような身分じゃない。。。デンマンさんはそう思ったのですか?
いや。。。身分だとか。。。そういう事じゃなくて小百合さんの普段の姿や話し振りから軽井沢という昔の別荘族のイメージが噛み合わなかったのですよ。
私は見かけと中身がそれほど違っているかしら。。。?
違ってますよ。。。小百合さんはブランド品で身を飾っていないし、スッピンにちかいし、どこから見てもごく普通のアラフォーに見えますよ。 その人が意外な行動力を見せますからね。 ノース・バンクーバーで町子さんが初めて小百合さんを見た時、赤ちゃんを背負ってロッキー山脈を見て来たと聞かされて度肝を抜かれたと言ったけれど、その驚きが僕にも手に取るように判りますよ。
私はそれほど突飛(とっぴ)な事をしますかしら?
20代の女性が赤ちゃんを負ぶってまでロッキー山脈を見に行くなんて、普通の日本人の女性には思いつかない発想ですよ。 僕にメールを出してから、半年もしないうちに軽井沢に別荘を持ってしまうというのも、ちょっと平均的な日本人の女性のすることとは思えない。
それ程私は変わっているかしら?
風変わりな人は自分では変わっていると思ってないものですよ。 小百合さんには、それだけの財力があるという幸運もあるけれど、ただ幸運だけではすべてを説明できませんからね。 やっぱり、小百合さんには行動力があるのですよ。 “言うは易し行うは難し。” なかなか思うようには行かないものです。 それを何とかやり遂げてしまうのだから、小百合さんは、どこか普通の女性とは違うのですよ。
そうかしら?
考えてみたら、小百合さんが普通の女性だったら僕とカナダで出会うこともなかったわけだから。。。こうして巡り合ったのは僕も小百合さんも平均的な日本人ではなかったと言うことですよ。
そうかしら?
今でこそ旅行や語学留学で海外へ出てゆく日本女性は増えたけれど、20年前にはせいぜい JALパックの団体旅行でしたよ。 赤ちゃんを負ぶって一人でカナダにやって来る女性なんて探しても、まず見当たりませんでした。
(すぐ下のページへ続く)