Quantcast
Channel: デンマンのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 12421

すてきな世界(PART 1)

$
0
0
 
すてきな世界(PART 1)




デンマンさん、お元気ですか?
今、日本は誰もが考えもしなかったような状況になっています。
幸い郷土・埼玉は屈指に値するような風光デンマン媚な土地でない代わりに魔物に襲われるような危険性もありません。この時期にありがたいなあと思います。
今、4月13日(水曜日)15:30ですが小刻みに余震があります。
マグニチュード2か3ですが、慣れてしまって、この方が怖いですね。

実は1月20日にデンマンさんに便箋に2枚ほど手紙を書きました。少し続きがあったので翌日に廻しました。
そのあくる日、勝太郎さんの弟の嫁さんの訃報があって大寒の厳しい中、何回か横浜と鴻巣の間を往復したら、すっかり体調を崩してしまいました。
それで、その時の手紙はそのままになってしまったのです。

3月11日の被災後、行田の芳江さんを案じて一度電話したのですが正造さんが出られて「大丈夫」と言うことだったので私は咳で声が詰まってしまい芳江さんとは直接話はしませんでした。
ちょうど、その頃から微熱に悩まされ、余震の揺れも精神的に追い討ちをかけ診断の結果、気管支肺炎とのこと。
白血球数が 7,300 CRPが 1.18と、3月いっぱいイライラした日が続いていました。

デンマンさんの誕生日の4月4日にバンクーバーへ電話しようかと何度も思いましたが、なにぶん大きな声が出ません。
その時の国際回線の込みようによっては雑音が入ったりして大きな声を出さねばならないので、その事を考えると電話するのを断念してしまいました。

昨日、3度目の検査ではリンパ球も 17から 31になり気分的にも開放に向かっているので、今日になって手紙を書いている次第です。
くどくど症状を書いても仕方のないこと。





私もこの桜の下、4月8日が誕生日です。
慌てずゆっくり歩こうと誓いを立てています。
年を重ねれば健康体でも自然に衰弱してきます。
このことを考えると、芳江(注:デンマンの母親)さんやつねちゃん、犬塚の両親と由子姉さんたちはすごいと思います。
芳江さんより私は22歳若いという頭があるので少しでもお手伝いしようと思いますが、どうも思いどおりにならないのでしょげ返っています。
4月いっぱいおとなしく体を気遣いながら、5月になって体がしっかりしたら行田に出かけてみようと思います。

話は大地震に戻りますが、被災日の3月11日からまともにテレビ報道は見ませんでした。 体に触るといいますか、私のような喘息患者には精神的に良くないそうです。
だから新聞も読めません。テレビは当たり障りのない「世界紀行」とか、「世界街歩き」、それに歴史ものは洋の東西を問わずになんでも見ています。
カナダのことも結構見ました。
そしてラジオは上方漫才とか、落語がいいですね。何と言っても笑えるんだものね。
久しく私から笑いはなかったから笑っている自分が不思議なくらいです。

でも、ここ1週間ぐらいからテレビで地震被害や原発事故を直視できるようになりました。
大きな問題になっている原発事故は、1ヶ月が過ぎましたが今もって埒が開かないようです。
しかし、これからが正念場でしょうね。
日本の知恵の見せ所だと思います。
そのように神に願ってやみません。
それにしても世界はすごいなと思いました。
各国からの支援。 医療関係、救援物資、それに捜索は地上のみか宇宙からも行われています。
私は直接的に支援する立場にはおりませんが世界の心のぬくもりを感じて、こんなにありがたいと思ったことはありません。

以前、ブラットピットの主演映画、題名は忘れましたが、交通事故で死の世界から生還する SF恋愛ものです。
エンディングに流れた音楽が素敵でした。
「きらきら星」、「虹のかなたに」、もう一つが判らない曲。 この曲の名前が知りたくて、やっと突き止めたその名前は"What a wonderful world"でした。
今、私は純粋に生きてきた足跡、そして現在がいい世界だなあと、いろいろな意味でほんとうに、ほんとうに思っている現状です。
上記3曲をポップ調に織り交ぜた曲を近くDVDを借りてもう一度聴こうと思っています。

行田の記事がシリーズで4回朝日新聞に大きく掲載されたのを1月20日に書いた手紙と共に送ろうと思いましたが、手紙は読み返すと面白くないので新聞の切り抜きだけを同封しました。
テレビで秩父鉄道の話があり、その時に東行田駅の近くのフライ屋さんの女主人が映っていたのでその事を書きました。
一度Eメールも送ってみましたが着いたでしょうか?
私はEメールを書くよりも手紙を書くほうが好きです。

いづれにしても、お体に気おつけてお過ごしてください。
また書きます。
では。。。



九条多佳子

2011年4月13日





多佳子さん、元気ですか?
カナダはGOOD Fridayで全国的に休日です。
4月25日の月曜日はEaster Mondayで、この日も全国的に休日です。



つまり、今週末のカナダは全国的なロング・ウィークエンドです。
でも、僕は、月月火水木金金の毎日が続いていますよ。(微笑)

マジで。。。?

これがマジなのですよ。
その証拠があります。



http://blog.livedoor.jp/barclay1720/

上のURLをブラウザの小窓に書き込んでクリックするとライブドアの『徒然ブログ』を見ることができます。
2005年2月から今日まで、ほとんど毎日、少なくとも1つの記事を投稿しています。
すでに4400件の記事が掲載されています。
僕の遺書のつもりなのですよ。

マジで。。。?

まあ。。。半分冗談ですね。(微笑)
夕べ、すぐそこのバンクーバー図書館の分館(Joe Fortes Library)で三島由紀夫が監督・主演した『憂国』(1966年制作)を初めて観ました。



日本で暮らしていた頃から話題になっていた作品だったけれど、これまで観る機会がありませんでした。
あの自決事件はきわめてショッキングでしたね。
三島は気が違ってしまったのではないか?
時代錯誤ではないか?
普通人には、とても出来ない事だ!
いろいろと言われましたが衝撃的な事件だったに違いない!

“いかに生きるか?”
昭和時代に生きる若者には、この事を考えさせてくれる事件だったように思います。
少なくとも、僕にとってあの自決事件は忘れることの出来ない事件です。

江戸川乱歩の残した言葉に「誰でも“今ひとつの世界”を持ちながら生きている」というものがあります。
三島由紀夫の世界は、あの映画を観る限り“至誠”と“葉隠れ”の世界なんですね。



実際、三島は、あの映画の中の主人公のように自決して果ててしまった。
自分の“今ひとつの世界”を現実のものとして死んで描きながら“歴史の一場面”として三島由紀夫は未来の世界に墓標を立てた。
夕べ『憂国』を観ながらしみじみと、そう感じたものです。

僕にとっての“今ひとつの世界”とは「デンマン・シンジケート(Denman Syndicate)」です。
上のカタカナと英文をそのままGOOGLEで検索すると、僕がその事について書いた記事が検索結果にたくさん表示されるはずです。
これまでに5000件近くの記事を書いています。
その中には多佳子さんのことについて書いた記事もあるのですよ。(微笑)



“田園 アランドロン デンマン 熊谷”

“田園 アランドロン デンマン 熊谷”と入れてGOOGLEで検索すると僕の思い出の中の多佳子さんが記事の中に登場します。(爆笑!)
多佳子さんも懐かしく読めると思います。 ぜひ読んでみてください。

もし、気分が滅入った時とか、なかなか寝付かれない時には、次の語句を検索して僕の記事を読んでみてください。



“めれんげ デンマン”



“小百合 デンマン”

二人の女性の名前が登場しますが対談形式で、いろいろな話題について書いた記事が検索結果に表示されるはずです。

三島由紀夫が『憂国』という映画を「今ひとつの世界」として残したように、
僕は“Denman Syndicate”を自分の「今ひとつの世界」として残そうとしているのかもしれません。

ところで、多佳子さんの「今ひとつの世界」とは何でしょうか?
それは、あの北鴻巣の“憩いの家”ではないでしょうか?
4人の子供を育て上げ、克さんを天国に送り出し、多佳子さんが第2の人生を自分のために生きる。
あの北鴻巣の家は、多佳子さんが自己実現のためのプロジェクトを立ち上げる「今ひとつの世界」だと僕には思えるのですよ。(微笑)

お互いに年を重ねましたね?!
でも、これまでの年月の積み重ねを見つめながら、僕は初めて意味のある人生を歩んでいるような充足感を感じ始めているような気がします。
多佳子さんも、今初めて、自分の時間を持って自分のために生きていると感じているのではありませんか!?
僕は今でも20代、30代の気持ちでいるのですよ。
きゃははははは。。。
まだ、20年や30年は死なないような気がします。
僕にとって「死」は子供の頃の「死」のままです。
つまり、気持ちの上では僕は少年の頃のままなのですよ。(爆笑!)

そう言う訳ですから、多佳子さんも我が身を大切にしながら「今ひとつの世界」を思い切り立ち上げてください。
それが本当に生きることになると僕は信じていますよ。

ところで、4月4日に弟から電話がありました。
一瞬ギクリッとしましたよ。
弟から電話をもらうと、いつでもギクッとします。
母親がいつ臨終を迎えてもおかしくないですからね。
でも、その日、弟はすぐにお袋と代わりました。
元気でしたよ。
声を聴く限り、まだ5年や10年は生きながらえそうですよ。いずれ、あの世に行くでしょうけれど母親の存在は、それだけで、こちらも元気付けられるものです。
お袋がいつあの世へ逝ってもいいように、すでに心の準備はしています。
それだけに元気な声を聴くと実にありがたいと感じます。
「神様」が僕に元気を与えてくれるために母親を生かしておいてくれるのではないか?
そのような勝手なことを考えながら、信じてもいない「神様」に感謝したい気持ちが生まれてきます。

実は、僕もアインシュタインのように“スピノザの神”を信じていますよ。
つまり、“自然”こそ神そのものだと。。。
わざわざスピノザを持ち出さなくても、日本には人知を超越した畏敬すべき“神霊”というものがありました。
万物の成り立ちそのものである捉えどころのない“神霊”こそ、日本人にとって“神様”と呼ぶのがふさわしいかもしれません。


テレビで秩父鉄道の話があり、そのとき東行田のフライ屋さんの女主人が映ったのでそのことなどが書いてありました。

- 多佳子






多佳子さんは上のように書いていたけれど、その女主人は「かどや」の102歳になるおばあさんでしょう!?
僕は、あのおばあさんと話したことがありますよ。
そのおばあさんが100歳の頃でした。
「かどや」は行田市観光協会のフライマップに載っている店です。

館林の藤山さん(僕のお客さんの一人)がゼリーフライの旨い店を紹介して欲しい、と言ったので「かどや」を紹介したのです。
その後、館林の藤山さんを訪ねた帰りに秩父線の東行田駅で降りて「かどや」に立ち寄りました。
ゼリーフライと焼きそばをそれぞれ4人前づつ買って実家に持ち帰りました。
僕が子供の頃、ゼリーフライは“銭(ぜに)フライ”と呼ばれていたものですよ。



懐かしい味です。
お袋は焼きそばが旨い、旨いと言って子供のように喜んで食べました。
食べ物を買って帰るとお袋は他の何よりも喜びます。
「かどや」のおばあさんは信じられないほど元気ですよ。
ああいう女性も居るのですよね。
でもねぇ、あの人には“今ひとつの世界”があるのだろうか? あったのだろうか?
ふとそのような疑問が思い浮かびました。
“ゼリーフライ”があのおばあさんの“今ひとつの世界”なのだろうか?
ちょっと信じられないけれど、あの若さを保つことができたのは、間違いなく“今ひとつの世界”を持っていた。。。いや、今でも持っているに違いないと僕は思うのですよ。

そう言う訳ですから、お互いに“今ひとつの世界”を持って寿命が尽きるまで命の炎を、細々といえども、燃やし続けなければならない!
そう思うのですよ。
ただし、三島由紀夫のように“今ひとつの世界”で自決しては駄目だとも思います。

"What a wonderful world"は、僕も素晴らしい曲だと思います。
元気をもらえる曲ですよね。
ルイ・アームストロングの曲を僕は何度も聴いたのものです。
実際、僕はこの曲について2008年に記事を書いています。

http://beaverland.web.fc2.com/music2/world.html


世界はすごいと思いました。
各国からの支援。医療関係、救援物資、それに捜索は地上のみか宇宙からも行われています。
私は直接的に支援する立場にはおりませんが世界の心のぬくもりを感じて、こんなにありがたいと思ったことはありません。

- 多佳子


うん、うん、うん。。。日本を襲った大災害になると世界のキリスト信者のように神を信じている人たちの援助は、無信心者には信じがたいほどの援助の手を差し伸べるものだと不思議に思うことがありますよ。
政治の事では日本はほとんどカナダのニュースに上ることはありませんが3月11日の大災害、福島の原発事故は、さすがにCNNのラジオニュースでも、ほぼ毎日報道しています。
Fukushimaという単語が聞こえない日はないほどです。最近では毎日のようにカナダ赤十字社が義捐金を募集する広告を流しています。



最近、僕のパソコンがダウンしてしまったので、すぐそこのバンクーバー図書館の分館(Joe Fortes Library)でパソコンを使っているのですが、Dianeというイギリス人の知り合いができたのですよ。
その女性もほぼ毎日決まった時間に僕の隣でパソコンを使うのです。
どうやらボランティアで教会関係の資料を作成しているらしい。
「3月20日に私の教会で日本の被害者のためにお祈りを捧げるイベントがあるのだけれど参加しませんか?」
そのような誘いを受けたのだけれど、「あのねぇ、僕はブログを書くのが天の神様から与えられた使命だと思っているので、その時間には記事を投稿しなければならないのですよ。残念ながら参加できません。あしからず。」
そう言って断ってしまいました。
そうしたら、その翌日牧師さんの説教をプリントアウトした紙をわざわざ僕のため持ってきたのですよ。
もちろん、信者を増やすための活動の一つなのでしょう!?

彼女の熱心さと、被災者に手を差し伸べようという真心に感じて、僕もそのような気持ちでブログを書いているのですよ、と知ってもらうために記事を書いたのですよ。
単なる言い訳で“日本の被害者のためにお祈りを捧げるイベント”に出かけなかったのではなくて、僕だって同じような気持ちで記事を書いているのですよ。
僕の“今ひとつの世界”を知ってもらうつもりもあって、次の7つの記事を書いたのです。

 (すぐ下のページへ続く)



Viewing all articles
Browse latest Browse all 12421

Trending Articles