かわゆらしそう(PART 1)
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デンマンさん。。。 あんさんは浮世絵などを持ち出してきて何をしようとしやはるのォ〜?
めれちゃん。。。 上の浮世絵をじっくりと見てみィ〜なァ。
母親が赤ちゃんをいかにも愛(いと)おしそうに抱っこしてはりますやん。
そうやァ。。。 右上の隅を見て欲しいねん。
何やらぼんやりとしてよう分からへんわ。
次のように書いてあるねん。
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「かわゆらしさう」と書いてありますやん。 それで、あんさんは「かわゆらしそう」というタイトルにしやはってんなァ。
そうやァ。。。 旧仮名遣いで書くと「かわゆらしそう」は「かわゆらしさう」と書くねん。
現代仮名遣いでは「かわいらしそう」と書くのとちゃうのォ〜?
わても、実は、そう思ったのやがなァ。 「内室」とは身分の高い奥さんのことをそう呼ぶねん。 つまり、身分の高い母親が赤ん坊を可愛くてたまらんようにして抱っこしているのが上の浮世絵やがなァ〜。
どないなわけで上の浮世絵には「かわゆらしさう」と書いてあるん?
あのなァ〜、上の浮世絵を描いたんは月岡芳年という人やねん。
月岡 芳年(つきおか よしとし)
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生年: 1839年4月30日(天保10年3月17日)
没年: 1892年(明治25年)6月9日
日本の画家。幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師である。
姓は吉岡(よしおか)、のちに月岡。本名は米次郎(よねじろう)。
画号は、一魁斎芳年(いっかいさい よしとし)、魁斎(かいさい)、玉桜楼(ぎょくおうろう)、咀華亭(そかてい)、子英、そして最後に大蘇芳年(たいそ よしとし)を用いた。
河鍋暁斎、落合芳幾、歌川芳藤らは歌川国芳に師事した兄弟弟子の関係にあり、特に落合芳幾は競作もした好敵手であった。
また、多くの浮世絵師や日本画家とその他の画家が、芳年門下もしくは彼の画系に名を連ねている。
歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せる絵師である。
多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。
浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、門下からは日本画や洋画で活躍する画家を多く輩出した芳年は、「最後の浮世絵師」と評価されることもある。
昭和時代などは、陰惨な場面を好んで描く絵師というイメージが勝って一般的人気(専門家の評価とは別)の振るわないところがあったが、その後、画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっている。
出典: 「月岡芳年」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師やのね。
そうやァ。。。 そやから当然、旧仮名遣いで説明が書いてあるというわけやァ。
。。。んで、どないなわけで、あんさんは「かわゆらしそう」を取り上げはったん?
現在生きている日本人は「かわいらしそう」と言う人がほとんどやと思うねん。
そうですう。 「かわゆらしそう」なんて言う人はまずおまへん。
そうやろう?。。。 そやから、幕末から明治前期にかけて生きていた日本人は、どないなわけで「かわゆらしそう」と言うたのか気になったのやがなァ。
それで、こうして記事に取りあげはったん?
あきませんか?
かめへんけど、あんさんはその理由を突き止めはったん?
そうやァ。
もったいぶらないで教えてくれへん。
あのなァ〜、天照大神と関係あるねん。
てんしょうだいじんって何。。。?
めれちゃん、笑ってもらおうとして、そないに無理して読まんでもええねん。 わてのブログを読みはる人は、ほとんどすべての人が「あまてらすおおみかみ」と読むことを知っておるねん。
。。。んで、その神さんがどないしやはったん?
あのなァ〜、わては、たまたまバンクーバー図書館から『平家物語』を借りて読んだのやがなァ。
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(■『女に溺れる清盛』より)
そう言えば『女に溺れる清盛』の記事の中で、そないな事を書いてましたなァ。。。で、『平家物語』にどないな事が書いてありましてん?
ここに書き出すよってに、めれちゃんも読んでみィ〜なァ。
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ところで内侍所(ないしどころ)の神鏡というのは、むかし天照大神が天岩戸に閉じこもろうとなされた節、どうぞして自分の姿かたちを写しておき、子孫に見せてやりたいという御心から、御鏡を鋳造された。
最初のものは気にいらないというので、さらに二つめの物を造りかえられた。
最初にできた御鏡は、紀伊国日前(きいのくにひのまえ)、国懸(くにかかす: 和歌山市秋口)の社(やしろ)にまつられた。
二番目の御鏡を、御子(みこ)の天忍穂耳尊(あまのにいほみのみこと)に授けられ、「同じ御殿のうちに置きなさい」と仰(おお)せられた。
さて天照大神が天岩戸に閉じこもられ、天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、岩戸の口で御神楽(みかぐら)を奏したところ、天照大神が感心され、岩戸を細めにひらいて見物なされた時、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったと聞いている。
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(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
187ページ 『平家物語(下)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社
『平家物語』は鎌倉時代に書かれましたのやろう?
そうやァ。
。。。つうことわァ〜、鎌倉時代にも天照大神の天岩戸(あまのいわと)伝説は広く知られておりましたのやねぇ?
そういうことになるなァ〜。。。 そやけど、不思議なことに天宇受売命(あめのうずめのみこと)が出てきよらん。 天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、その時、人気者の天宇受売命がやって来たのやがなァ。 天の香久山のひかげのかづらをたすきにかけ、まさきのかづらを髪飾りにし、魔よけの笹の葉を手に持って、ステージがわりの大きなおけを伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら面白おかしく踊り始めたのやがなァ。
あんさんは見てきたようなことを言うけれどホンマかいなァ〜?
あのなァ〜、この場面はチョー有名なんやでぇ〜。。。そやから、たいていの人が天照大神の岩戸の伝説といえば、天宇受売命を思い出すねん。
それで、あめのうずめのみことは、どうしやはりましてん?
ドンちゃん騒ぎが始まったのやがなァ。。。 調子に乗った天宇受売命は、しだいしだいに神がかり状態になり、踊り狂い出しはった。 しかも、オッパイは左へ右へ、上へ下へと揺れ動き、裾はめくれて大切な物があらわに見え隠れしたのやがなァ。。。
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あらっ。。。 この天宇受売命(あめのうずめのみこと)は卑弥子さんに似てますやん。。。
うん、うん、うん。。。 たぶん、天宇受売命は卑弥子さんのような陽気な人だったのやがなァ。 とにかく、これが日本初のストリップということになってるねん。
。。。で、そのことが「かわゆらしそう」と関係あるのォ〜?
もちろんやがなァ。 関係ない事をこれほどクドクド話すかいなァ。 要するに、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったのやがなァ。 つまり、「面」とは顔のことやんかァ。 それに「面映い」という言葉があるねん。 めれちゃんも聞いたことがあるやろう?
おますう。
この「面映い」と言うのんは、そやから「面」は顔、「映い」は照り輝いてまぶしいと言うことやんかァ。 「面」と「顔」は同じ意味やから、「顔映い(かおはゆい)」とも言えるねん。 それが転じて「かわゆらしい」→「かわいらしい」になったということやがなァ。
ホンマかいなァ?
昔の人は、恥ずかしがっている様子を「かわいい」と思ったのやァ。
そやけど天宇受売命(あめのうずめのみこと)はんは、恥ずかしそうに踊ってえ〜へんでぇ〜。。。
あのなァ〜、天宇受売命はんは卑弥子さんに似ておったさかいに、得意になって踊ってしもうたけど、天宇受売命はんが平安時代に生まれておったら「恥ずかしい」そうに踊るねん。 つまり、「かわいい」という感じになるわけやがなァ。
つまり、恥ずかしそうにしてへんと、「かわいい」と言ってもらえへんかったのォ〜?
昔はそうらしかったでぇ〜。。。 そやけど、現在では恥ずかしそうにすると「ぶりっ子」に見られてしまうので恥ずかしそうにせ〜へんようになったまでやァ。
ホンマかいなァ〜。。。?
(すぐ下のページへ続く)