カウチポテト(PART 1)
Couch potato
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デンマンさん。。。どうして「カウチポテト」を取り上げたのですか?
あのねぇ〜、夕べ、バンクーバー図書館で借りた『暮らしの年表 流行語100年』という本を読んだのですよ。
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上のリストの中の赤枠で囲んだ本ですか?
そうです。 その本の中で次のような箇所に出くわしたのですよ。
1988年 昭和63年
この年「カウチポテト族」のことばがはやる。
アメリカのイラストレーターが、カウチ(ソファーより低く、肘掛がひとつの長いす)に寝ころんでポテトチップを食べながらテレビを見る若者を指して言った。
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(赤字はデンマンが強調のため。
写真はデンマン・ライブラリーより)
182ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社
あらっ。。。 「カウチ」の説明がちょっと変ですわね。
そうなのですよ。 このページの担当者は明らかにアメリカやカナダで暮らしたことがないのですよ。
そうですわね。
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ソファーより低く、肘掛がひとつの長いすも確かに「カウチ」と呼ぶ人もいますけれど、GOOGLEでcouch(カウチ)を入れて検索すれば分かるように圧倒的に「肘掛が二つの長いす」の方が多いのですよね。
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そうなのですよ。 こういうところで実際に本場で暮らしたことがあるか?ないか?がすぐに分かってしまうのですよ。 だからと言って僕は、この担当者を責めるつもりはないけれど、この担当者以外にも校正係が読んでいるはずなのに気づかなかったのだろうかと思ってね。。。
校正係の人もアメリカやカナダで暮らしたことがないのですわよ。
たぶんね。 僕のように人生の半分以上を欧米で暮らしている人間ならば、すぐに変だと気づくのだけれど。。。
それで、こうして「カウチポテト」をタイトルにしたのですか?
そうなのですよ。 カウチ(ソファーより低く、肘掛がひとつの長いす)に寝ころんでポテトチップを食べながらテレビを見る若者を「カウチポテト族」と呼ぶ、というのを目にした時に、「日本人は家庭では一人一人が箱膳で食事をします」と言う文章を目にしたぐらいに僕は変だと思ったのですよ。
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確かに北米で「カウチ」と言えば、上のお父さんが寝そべっているような長いすのことを呼ぶのが一般的ですわ。 ところで、日本では家庭で一人一人が箱膳で食事をしていた頃があったのですか?
あのねぇ〜、実は『暮らしの年表 流行語100年』の中にも、それについて次のように書いてあった。
銘々膳からちゃぶ台へ
日本女子大学・北陸大学非常勤講師 東四柳祥子
「一家団欒」の象徴とされるちゃぶ台は近世までの銘々膳(めいめいぜん)による配膳形式とは異なり、空間を共有するもの同士が囲む四本脚の共同膳である。
日本における共同膳の歴史は、奈良・平安時代の貴族たちに享受されていた「大饗料理」になかのぼることができる。
その後、武家社会における師従関係の成立により、身分に基づき整列することで、銘々膳によって食事をする形式が定着を見せた。
そして江戸時代を迎え、鎖国化でも交流が許された中国から一つのテーブルを囲み、大皿に盛られた料理を分かち合う「卓袱(しっぽく)料理」が出島に伝来する。
まさにこの形式こそが、ちゃぶ台のルーツともされ、やがては都市部での酒宴形式として人気を誇るようになる。
しかし、根強い儒教的観念に縛られた日常生活の中では、家長を中心に、銘々膳での食事形式が従来どおり踏襲され、しつけの場の重要な空間としての意味も持ち合わせていた。
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しかし、幕末の開国以後、流入した西洋文化の影響は、家族の食事風景を大きく変えることになる。
新たに導入された西洋料理は、中国料理同様、テーブルを囲むといった食事形式を呈しており、共同膳で食事をする習慣が上流階級の間から徐々に定着をみせた。 (略)
やがて昭和期になると、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などといった国民的な漫画のなかで、ちゃぶ台は家族をつなぐ大切な装置として描かれ、その空間で共有される話題や珍事が、微笑ましい家族関係の理想形を印象づける効果を発揮し始めるようになる。
しかし、昨今の食の課題には、個食や孤食、外食や中食(なかしょく)にたよるといった食の外部化・簡略化への依存などがあり、家族仲良くちゃぶ台を囲むという機会の形骸化も拭えない事実である。
いま私たちは、昭和期を通して形成された家族で共有する時間のあたたかさを、再認識する時代に来ているといえるのではなかろうか。
ちゃぶ台が、人間関係の構築・再生の場であった昭和の風景に学び、守るべき遺産であるという意識も高めていきたいものである。
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(赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
139ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社
デンマンさんが子供の頃はどうだったのですか?
もちろんちゃぶ台ですよ。 僕が住んでいた埼玉県行田市の下町(しもまち)で銘々膳で食事をしている家は僕の知る限り一軒もありませんでした。 それに小学校でも中学校でも友達の家に遊びに行って銘々膳で食事をしている光景を見たことは全くありませんでしたよ。
つまり、デンマンさんが生まれ育った太平洋戦争後では、ほとんどすべての家でちゃぶ台で食事をしていたのですか?
少なくとも僕の身の回りではそうだった。 ところが僕が子供の頃に南河原村(2006年1月1日、行田市に吸収合併)という母親の実家に行った時の食事風景を見たら銘々膳で食事をしていたので、まるで江戸時代の武家の食事風景だと思ってビックリしたのですよ。
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あらっ。。。 囲炉裏(いろり)を囲んで一人一人が箱膳を前にして食事をしていたのですか?
囲炉裏(いろり)はなかったけれど、一人一人が箱膳を前にして食事をしていたのですよ。
。。。で、デンマンさんも箱膳を持ってその中に加わったのですか?
そうですよ。 祖母が僕の箱膳を用意してくれました。 そのような食事風景はチャンバラ映画の中で見ただけだったから、なんとなく可笑しかったのを覚えてますよ。 でもねぇ、1970年代、80年代になって日本が経済大国になり始めると、僕の母親の実家もガラッと近代化されて、新しい家を建て、食事風景もアメリカ型のダイニング・キッチンでテーブルを囲んで食事するようになりました。 その代わり様にもビックリしたものですよ。 まるで魔法がかかったように急に近代化したものです。
でも、かつて日本の狭くて粗末な住宅は「うさぎ小屋」だと言われた事がありますよね。
そうですよ。
上の本の中にも書いてありますよ。
うさぎ小屋
EC事務局がEC委員会に提出した「対日経済戦略報告書」の秘密文書のなかに「日本人は、西洋人からみると、うさぎ小屋とさして変わらない住宅に住む仕事中毒者」とあったことがわかり、話題となった。
対日貿易赤字が増大していたECの対日感情のあらわれといえた。
自嘲をこめて日本でも流行語化した。
(赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
161ページ 『暮らしの年表 流行語100年』
講談社編 2011年5月19日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社
分かるような気がしますわ。 日本が急速に経済大国になったので、ヨーロッパの人たちは半(なか)ばビックリし、半ばやっかみ半分で悪い冗談を言いたくなったのでしょうね。
うん、うん、うん。。。 そういう事ってよくあることですからね。 針小棒大にしてムカつくのは大人気ないことかも知れませんよ。 でもねぇ、「うさぎ小屋」と言われてマジでムカついた日本人も結構居たのですよ。 すくなくとも2ちゃんねるでは話題になったものです。 実は、僕も「うさぎ小屋」について記事を書いたことがあるのですよ。 ちょっと読んでみてください。
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■『ウサギ小屋』
(2007年9月7日)
この上の記事の中でも取り上げたけれど、「うさぎ小屋」というのは誤訳だと次のようにコメントした人が居るのですよ。
これはただの誤訳だそうです。
「世界のGOOD日本&BAD日本」という番組でやってましたが、
高度経済成長期に建てられ始めた日本の団地をフランスメディアが
[cage a lapins](画一的な狭いアパルトマンの多くから成る建物)と報じました。
これを見たある日本人が、cage(小屋)lapins(うさぎ)と直訳してしまったそうです。
それを伝え聞いた日本メディアが、海外で『日本人はうさぎ小屋に住んでいる』と報じられていると記事にしてしまい、
その記事が欧州に逆輸入されて「ウサギ小屋」というイメージが定着してしまったそうです。
フランス語の cage a lapins を日本語に訳せば「うさぎ小屋」になると思いますわ。 「画一的な狭いアパルトマンの多くから成る建物」と訳されるのは建築雑誌のアパートという文脈の中での特殊な意訳だとわたしは思いますわ。
でもねぇ〜、確かに「うさぎ小屋」と思われるような物が日本には存在したのですよ。
マジで。。。?
「カプセルホテル」というものです。
(すぐ下のページへ続く)