徳子はエロカワ?(PART 2)
大原御幸
あまりの労(いたわ)しい変わりざまに(後白河)法皇が御涙を流されると、お供の人々もいまさらのように、以前宮中で過ごされた女院(建礼門院徳子)の御日常を思いだして、万感に袖をしぼった。
しばらくすると、上の山から濃い墨染めの衣を着た尼が二人、岩のがけ道を伝いながら、おりなやんでいる様子が見えた。
法皇が、
「あれはいかなる者ぞ」
とお尋ねになると老尼が、
「花籠を肱(ひじ)にかけ、岩つつじを取りそえて、お持ちあそばされているのは、女院でいらせられます。 (略)」
と言いさして、喉をつまらせた。
法皇やお供の公卿殿上人が目に涙を宿してみまもっていると、女院は、「世をいとい出家した身とはいいながら、いまこのようなありさまをお目にかけることのはずかしさ、消えも入りたき心地ぞ」との羞じらいから、足もはこびかけねている。 (略)
「世を捨てられたお身の習い、なんの心づかいがいりましょうか。 早く御面会になって、おかえりになっていただきませ」
と内侍(ないし)の尼が申し上げたので、女院は御涙を押えて庵室におはいりになった。 (略)
「このような身の上に変わりはてて、いちじはずいぶん嘆きましたけれども、後世の菩提のためには、今はかえってうれしい気がいたします。
たちまちに釈迦の御弟子に加わり、かたじけなくも弥陀(みだ)の本願にみちびかれて、五障三従(ごしょうさんじゅう)の苦しみからのがれ、三時に六根を清めて、一筋に九品(くほん)の浄土を願い、ひとえに一門の菩提を祈り、常に三尊の来迎(らいごう)を待っておることができます。
とは申せ、いつの世までも忘れがたいのは、先帝(亡くなった我が子)の御面影、忘れようとして忘れられず、こらえようとしても、こらえることができませぬ。(略)」
寂光院と建礼門院
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(中略)
やがて、寂光院(じゃっこういん)の鐘の声で、今日も暮れたことが知られ、夕日が西に傾いたので、法皇は御なごりは尽きせずおぼしめされたが、御涙をおさえて還御(かんぎょ)ならせられた。 (略) 女院は昔恋しくおぼしめされたのであろう。
御庵室の襖に、こういう歌をお書きになった。
このごろは いつならひては わがこころ
大宮人の こひしかるらん
いにしへも 夢になりにし ことなれば
柴のあみ戸も ひさしからじな
(中略)
壇の浦で生けどりにされた二十余人の人々は、あるいは大路を引きまわされて首をはねられ、あるいは妻子に別れて遠流(おんる)に処せられた。
池の大納言頼盛卿のほかは、一人も命ながらえて都に置かれなかった。
しかし、四十余人の女房たちについては、かくべつの沙汰もなかったので、あるいは親戚をたより、縁者のもとに身をよせて暮らしていた。
忍ぶ思いは尽きないが、嘆きながらもなんとか世をば過ごしてゆく。 (略) 入道相国(平清盛)が上は御一人をも恐れず、下は万民をもかえりみず、死罪、流刑、解官、停任をほしいいままに行ったためである。
されば、祖父の善悪が必ず子孫におよぶということは、疑いのないところと思われた。
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こうしてむなしく年月を送らせたもううちに、女院は御ここち常ならず覚えさせられ、お床にうちふせられるようになられたが、かねてから覚悟あそばされたことなので、仏の御手(みて)にかけられてあった五色(ごしき)の糸を手に握りしめ、(略) 念仏をとなえられると、左右にひかえていた大納言佐(だいなごんのすけ)の局(つぼね)と阿波内侍(あわのないし)とは、おなごりも今をかぎりとばかり、声々に嘆きかなしんだ。 (略) 建久二年(1191年)二月中旬、ついに御一生を終わらせられた。
后(きさき)の宮の御位(おんくらい)にあらせられた時から、片時もおそばを離れず仕えてきた二人の女房は、御臨終の御時はまことにやるかたない思いにおそわれた。
この女房たちは、昔の縁者もみな消えはてて、よるべない身の上であったが、あわれにもおりおりの御仏事ばかりは、忘れずにいとなみつづけた。
そして竜女(りゅうにょ)の正覚(しょうがく)の跡を追い、韋提希夫人(いだいけぶにん)のように、最後には二人とも、往生(おうじょう)の素懐(そかい)をとげたということである。
(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
306−319ページ 『平家物語(下)』
2004年12月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社
これは一体どういうことやのォ〜? 徳子さんは仏門に帰依(きえ)して清く正しく暮らして、往生を遂(と)げてますやん。
そうやァ! だいたい、徳子さんと義経さんをエロ話のネタにすることが間違っておるねん。 徳子さんは、めれちゃんのように萌え萌えになってアヘアヘと乱れている余裕がなかったのやがなァ〜。。。
そやかてぇ〜、あんさんがエロい話を持ち出してきましたのやでぇ〜。。。
わてがエロ話を書いたのとちゃうねん。 出久根達郎という古本屋のおっちゃんが『春本を愉しむ』という本を書いて建礼門院徳子さんと源義経さんがエロく絡(から)み合う話を紹介してはるのやでぇ〜。。。 わしのセイにせんで欲しいねん。
そやけど、この萌え萌えになった気持ちを、あんさんはどないしてくれはるん?
あのなあああァ〜。。。 そのムンムン、ムレムレした気持ちを発散させるために、また与謝野晶子さんのような短歌を詠めばええねん。 ええなあああァ〜。。。
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【レンゲの独り言】
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ですってぇ。。。
それにしてもデンマンさんは、めれんげさんをムンムン、ムレムレの気持ちにさせておいて無責任だと思いますわ。
あなたも、そう思うでしょう?
とにかく、次回も面白い話題が続きます。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
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メチャ面白い、
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こんにちはジューンです。
確かに女性がムンムン、ムレムレになってしまい
思わぬ事件を起こしてしまうこともあるのですよね。
ええっ。。。 一体どんな事件かってぇ。。。?
「苫小牧子殺し事件」ですわ。
あなたも聞いたことがあるでしょう?
痛ましい事件でしたわ。
情事に浸る女が子供が邪魔になって
殺してしまうという悲惨な事件でした。
北海道・苫小牧で、3歳の長男と1歳の三男の兄弟が
鍵の掛かったアパートに閉じ込められ放置されのですわ。
長男は生米や冷蔵庫のマヨネーズやケチャップで
飢えをしのいだのです。
三男は飢餓と低体温症で亡くなってしまいました。
昼間に自動的に入る暖房で、餓死した弟が
無残に腐食する横で、お兄ちゃんは
必死で飢えを凌ぎ生き抜いて、
ママの帰りを待ち続けたというのです。
でも、ママは新しいボーイフレンドの部屋に住み着いて
1ヶ月以上、子供たちの養育を拒み、
ボーイフレンドと遊んで暮らしていたのです。
もう、死んでいるのではないかと思って、
アパートに戻ると、長男は生きていた。
「何で生きてるの?」
冷血女性のママは長男を見て
まず、そう感じたと言うのです。
人間は、それほどまでに非情に
冷血になれるものでしょうか?!
何度読んでみても、亡くなった子供のために
涙が流れてきますわ。(めそめそ。。。)
「苫小牧子殺し事件」のことは
次の記事の中で引用されています。
(kid91.gif)
■『愛の進化論』
ところで、卑弥子さんが面白いお話を集めて
楽しいサイトを作りました。
次のリンクをクリックして
ぜひ覗いてみてくださいね。
■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ
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