初めてのキス(PART 1)
デンマンさん。。。 あんさんの「初めてのキス」っていつのことやのォ〜。。。?
そやなァ〜。。。 あれは小学校に上がりたての頃やったなァ〜。。。
そんな遊びでのキスとちゃいますやん。。。 ホンマに恋した時のキスのことですねん。
初恋の時のキスかァ〜。。。?
そうですう。
そやなァ〜。。。 あれは確か高校3年生の秋の頃やと思うでぇ〜。。。
ずいぶんと遅(おそ)うおましたのやねぇ〜。。。?
そやなァ〜。。。 めれちゃんは16歳で女の花びらを散らしたさかいにィ〜。。。 キスもエッチも、えろう早かったのやなァ〜。。。
くちづけ
(kiss003.gif)
罪深き
ことと知りつつ
この夜も
きみのくちづけ
もとめて止まぬ
(merange52.jpg)
by めれんげ
2009.01.14 Wednesday 14:21
『即興の詩 冬枯れ』より
『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)
そないなことはありしまへん。。。 近頃では14歳で女の花びらを散らす女子も珍しいことではおまへんでぇ〜。。。
さよかァ〜。。。?
それで今日は、あんさんの初恋について語ろうとしやはるのォ〜?
いや。。。 わての初恋などおもろうないねん。
聞きたいわァ〜。。。 あんさんの初恋はきっとおもろいと思うねん。
つまらんでぇ〜。。。 聞いても、めれちゃんは「つまらん!」と言うにきまってるねん。
そいで、今日はいったい誰の「初めてのキス」について語るつもりやのォ〜?
あのなァ〜、日本で初めて映画のラブシーンでキスをした人のことやァ〜。。。
あらっ。。。 あんさんは日本で初めて映画のラブシーンでキスをした人のことを知ってるのォ〜?
めれちゃんは知らへんのかァ〜?
そないなことは、よう知りまへんがなァ〜。。。 明治の頃の話ですやろう?
明治時代には、まだ日本では映画は普及しておらへんがなァ〜。。。
じゃあ、大正時代の頃やのォ〜。。。?
大正時代に映画でキスシーンを見せたら映画会社の社長も監督も警察に逮捕されてしまうやんかァ!
マジで。。。?
日本で初めて映画のラブシーンでキスをしたのは太平洋戦争後のことやねん。
あらっ。。。 戦前ではキスシーンは許されへんかったのォ〜?
ダメだったらしいでぇ〜。。。
そいでぇ、いったい誰が映画のラブシーンでキスをやらかしたん?
次の写真を見て欲しいねん。
(osaka03.jpg)
あらっ。。。 1946年の『はたちの青春』という映画で初めてキスシーンをやらかしはったん?
そういうこっちゃ。。。
。。。んで、この上の女性は何という名前の女優さんやのォ〜?
幾野道子(いくの みちこ)さんという女優さんやがなァ。 1924年10月12日生まれで、まだ健在らしいでぇ〜。
聞いたことのない名前やわァ〜。
めれちゃんにとっては、おばあちゃんの世代やから知らないのも無理あらへん。
。。。んで、男の人は。。。?
若き日の大坂志郎さんやがなァ〜。。。
あらっ。。。 テレビのホームドラマ『大岡越前』に出ていた人ですやろう?
そうやァ。。。 1970年から85年まで、村上源次郎役で渋い演技を見せていた役者やがなァ。 惜しいことに、1989年3月3日に食道癌のため、あの世に逝ってしまったのやァ。 まだ69歳やったァ。
。。。んで、上のキスシーンは一大センセーションを巻き起こしはったん?
わては、まだ生まれてへんよってに、当時の事はまったく記憶にあらへんけど、とにかくキスシーンが日本映画に初めて登場したさかいに、かなりのセンセーションを巻き起こしたらしいでぇ〜。。。
ふ〜ん。。。 キスぐらいで、そないに世間の人は驚きはったん?
そうやがなァ〜。。。 めれちゃんのように16歳でキスもエッチも経験するような世代とはちゃうねん。
あんさん!。。。 いい加減にしいやあああァ〜。。。 わたしがいかにも不良少女のような言い方をしてますやん。 最近の女の子は14歳で初体験を持つのも珍しいことではおまへんのやでぇ〜。。。
さよかァ〜。。。?
それで、どないなわけで「初めてのキス」を持ち出してきやはったん?
それが、このキスシーンがなんともバカバカしのやがなァ〜。
どないにアホらしいのォ〜?
あのなァ〜、幾野道子さんと大坂志郎さんがキスをする時にガーゼをはさんでキスをしたと言うねん。
(osaka02.jpg)
マジで。。。? どないなわけでカーゼをはさみはったん?
消毒やがなァ〜。。。
なんで消毒せんとあかんのァ〜。。。?
だから、当時のことやから性病やとか、伝染病やとか。。。いろいろと心配事があったのやろなァ〜? 大坂志郎さんの体験談を聞いたことがあるねんけど、消毒液の匂いがしばらく鼻について消えんかったと言うことやァ。 (爆笑)
マジで。。。?
とにかく、そないに言うてはったでぇ〜。
。。。で、あんさんは、その事が言いたくてこの記事を書き始めはったん?
いや。。。 もちろん、この事だけとちゃうねん。
他に、どないな事がありはったん?
あのなァ〜、わては夕べ、たまたま『日本の空をみつめて』という本を読んだのやがなァ〜。。。
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赤枠で囲みはった本を読みはったん?
そうやァ。。。 次の箇所に出くわしたのやがなァ。
愛語の季節
ある夜、(NHKの)廊下で俳優の故・大坂志郎さんにバッタリ出会った。
橋田寿賀子さんの大河ドラマ「いのち」の収録日で、大坂さんはメークもすんで津軽の大地主の差配をしている農民の姿になっていた。
いつもテレビで見ている人なので、一瞬ハッとして立ち止まろうとしたが、知人ではないことに気づき、そのまますれ違って、四、五歩進んでから振り返ってみた。
すると大坂さんも振り返っている。
目が合ったとたんに大坂さんが丁寧にお辞儀して話しかけてきた。
「倉嶋さん、いつも天気予報を楽しく拝見しています。
平易な語り口ですから、誰にでもできるように思われがちでしょうが、あれだけなさるには、本当にご苦労や工夫がおありになるでしょう。
どうぞ、これからも、いいお仕事をお続けくださいまし……」
大坂さんは腰をかがめ目上の者に対するような口ぶりで語ると、もう一度深々と頭を下げて歩き去った。
その姿は、すでにドラマの中の忠実な使用人になりきっていた。
その時、私はスランプで仕事に懐疑的になっており、それだけに大坂さんの言葉が本当にうれしかった。
後に私は、大坂さんがスタッフの長所をよく見て褒めて励ます人として知られている、と聞いた。
道元に「愛語」の教えがある。
人に「慈愛の心」で接し、適切な「顧愛(こあい)の言葉」をかけると、怨敵(おんてき)さえ降伏することがあり、「愛語よく回天の力あることを学(がく)すべきなり」(修證義【しゅしょうぎ】)というのだ。
大坂さんの愛語は、廊下ですれ違っただけの私にも、思いがけない強い励ましの恩恵として及んだのであった。
(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)
189-190ページ 『日本の空をみつめて』
著者: 倉嶋 厚
2009年11月13日 第3刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店
大坂さんの「愛語」が素晴らしいと、あんさんは言わはるのォ〜。。。?
もちろん愛語も素晴らしいねんやけど、大坂さんの人柄が素晴らしいと思うねん。 もし、わてが倉嶋さんの立場やったら、おそらく同じように大坂さんに言葉をかけずにすれ違ったと思うねん。
つまり、大坂さんが初対面にもかかわらず、倉嶋さんに言葉をかけたということが素晴らしいと、あんさんは言わはるのォ〜?
そうやァ。。。 この状況で言葉をかけるということは日本人にはなかなかできへん事やと、わては思うねん。
そやろか?
長いこと外国暮らしをしている、わてには解るねん。
何が。。。?
やはり、大坂さんは苦労しておるねん。 そやから人間関係というものを素直な眼で見ることができると思うねん。 つまり、世間体やとか、体面とか、沽券(こけん)とか。。。けちくさい誇りとか。。。年齢の違いとか。。。 そういうことを振り切って人に当たるという態度ができていたのやろなァ。
どうして。。。?
苦労してるねん。。。 たとえば次のように。。。
大坂(志郎)の歩く演技も同じだった。小津は駄目を出し続ける。
十月も半ばを過ぎていたが、大坂は全身汗みずくだった。
小津のワイシャツもしぼるほどの汗にぬれている。
「ほう、脂汗かいな。じゃ、汗ふいて、もう一度」
大坂にテストのやり直しを命じておいて、小津はそっぽを向いている。このシーンに出番がある原はセットの隅に座ったままである。
「大坂、大物になったな、原節子さんを待たしてるんだものな」
小津の厭味(いやみ)は回を増すごとにひどくなった。
「原さん、余り気の毒だから麻雀の牌でも持って来させましょうか」
大坂は遂に自分の手足も思うように動かない羽目に追い込まれた。
その頃になって、やっと小津が演出家らしいことをいった。_
「大坂、ついこの間も平山家のセットで君の芝居を注意しただろう」
「はい」
「いってみろ、なんていわれた」
「僕の芝居は全部説明で、人にわからせようわからせようとする」
「その通りだよ。わからせるのは俺の仕事で君の領分じゃない」
「はい」
「ちょっと考えてみろ、君のおふくろが死んだ、友達がお母さん亡くなったそうだねという。君はなんと答える。そうなんです、おふくろが可哀相でとおいおい泣いてみせるか」
「いいえ」
「いやあ、おふくろももう年でしたからと微笑するんじゃないか」
「そうです」
「笑っちゃったら悲しみが消えるか」
「消えません」
「悲しみをこらえて笑っているから、人はぐっと来るんじゃないのか」
「…はい」
「人間ってものはな、感情をモロに出すことは滅多にないんだ。逆に感情のバランスをとろうとする。この場面だって同じことだ。頼むから科白の先読みをしないでくれ。来て座る。出そうな涙をこらえている。だから悲しみが客に伝わる。お前さんに悲しみぶら下げたチンドン屋みたいな顔で来られたんじゃ全部ぶちこわしだ。ちょっと最後の科白喋ってみろ」
「いま死なれたらかなわんわ…。さればとて墓に蒲団は着せられずや…」
「それ、涙ながらにやってみろ、追っかけて来た原さんは一体なにすりゃ良いんだ」
「…わかりました」
大坂は心身共に疲れきったように座ったままで立てなかった。カメラの脇で小津と厚田の密談が始まった。
「どうだい」
「ええ、どうやら、ウトウトと、二、三時間ってとこですね」
「行ってみるか」
「もう二、三度」
うなづいて小津は立ち上がった。
「じゃ、テスト」
大坂は力なえた体を引きずるようにセットの奥へ向かった。見送りながら小津が私にいった。
「大坂は良い役者になるよ。でも、あいつは昨夜ぐっすり寝たんだよ。夜行でも死に目に間に合わなかった、通夜も眠れなかった顔になってねえだろう」
「はあ」
「厚田家はこわいよ。睡眠時間一時間の顔になるまで撮らねえっていうんだ」
このカットでは本番前に大坂の座る畳一枚をとり替えた。大坂の汗でぐっしょりぬれて畳の色が変わってしまったのだ。
しかし、大坂の顔に漂った一種のやつれは、甘えさせてもらった三男の母への思いを実に雄弁に語っていた。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)
58−61ページ 「絢爛たる影絵 - 小津安二郎」
著者: 高橋治 2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社講談社
『厳しさの中の名演 (2010年8月18日)』に掲載
(すぐ下のページへ続く)