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ワンワンちゃん(PART 2)

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ワンワンちゃん(PART 2)



つまり、めれんげさんが可愛がっている三匹の猫の事が言いたかったので広重の浮世絵を持ち出してきたのですか?



もちろん、それだけじゃありませんよ!

まだ他に言いたいことがあるのですか?

ちょっと次の小文を読んでみてください。



(sky002.jpg)

その日、私は防波堤から砂浜に駆け降り、風に舞い上がって耳あてのついた帽子のような形になって、ふわふわと飛んでゆくコンビニの袋を追いかけていた。
母がコンビニで買ったアイスクリームを取り出したとき、風にあおられて袋が飛ばされ、私はそれを追いかけているのだけれど、母は防波堤に腰かけ、アイスを食べながらそんな私を見て笑っているのだった。

意外に遠くまで飛んだビニール袋に追いつき、ジャンプしてつかまえたとき、何かが走ってくる気配を感じた。
逆光でよく見えないその何かは、私の足元まで駆け寄って来て止まった。
何?
私が見下ろすと、それは黒い子犬で、その子も私を見ている。
くりくりした黒い瞳。


(dog101.jpg)

前世以来の再会だとでも言うように、その子犬は私をじっと見つめる。
私はドキドキしながら思わずしゃがんで、子犬の頭をなでた。
子犬はぶんぶんとシッポを振り、もっとなでてとばかりに小さな頭を私の手のひらにグイグイと押しつけてくる。
その間も、目はじっと私を見つめている。
私の中に何かが流れ込んでくる。
この子を連れて帰りたい!と思わず抱き上げると、私の腕の中で子犬は安心したように丸まった。

「つかまえてくれて、ありがとう」
声のほうを振り返ると、セーラー服の女の人が私の横にいた。
「ダイスケが人になつくの、はじめて見た」
女の人が両手をさしのべるようにすると、それに反応して子犬は私の腕をすりぬけて、ピョンと彼女の胸に飛び込んだ。
私は放心してしまって、ただそこに立ちつくしていた。
彼女は子犬の前足を持ち、「バイバイ」と振った。
私も「バイバイ」とつぶやき、遠ざかってゆく子犬を、姿が見えなくなるまで見つめていた。

「行こうか」
いつのまにか横に来た母に肩を叩かれた。
「見た? 今の犬見た?」
私は興奮していた。
「見てたよ。 あかりは犬、怖くないんだね」
「かわいい……」
私を見つめていた黒い瞳。
腕の中にいた温かみと重み。
それから私は街や海辺で犬を見かけると、じっと見つめてしまうようになった。


(hamabe03.jpg)

(写真はデンマン・ライブラリーより)



12-13ページ 『犬と私の10の約束』
著者: 川口 晴
2008年2月25日 第11刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




犬と人間の心の交流があるようで、ほのぼのとした気持ちになりませんか?



そうですわねぇ〜。。。


(hirosh05.jpg)

僕は浮世絵の中のこのワンワンちゃんを見た時に、上の文章が心の中に浮かんできたのですよ。

デンマンさんにも、このような経験があったのですか?

僕は子供の頃、子犬が飼いたくて仕方がなかった。 でも、母親が許してくれなかった。

デンマンさんのお母さんは犬が嫌いなのですか?

いや、好きですよ。 でも、僕に世話ができるのか? 僕は飽きっぽい性格だったから、結局、僕の母親が自分で世話をする羽目になると思ったのでしょうね。 それで、とても犬の世話どころではない!と思ったらしく、僕の気まぐれを嗜(たしな)めたのですよ。

つまり、この事が言いたかったのですか?

違いますよ。

他に何が言いたかったのですか?

上の文章には続きがあるのですよ。 上の子犬を見た「あかり」ちゃんは、当時はまだ小学校1年生か2年生なのですよ。 でも、上の様子を見ていたお母さんが「あかり」ちゃんに後で子犬のプレゼントをするのです。 それで「あかり」ちゃんは、その子犬に「ソックス」という名前を付けた。 その後、お母さんは「あかり」ちゃんが12歳の時に癌で亡くなってしまうのですよ。

あらっ。。。 「あかり」ちゃんが12歳のときにですか? 可哀想に。。。

そうなのです。 やがてお父さんと引越しをする時に犬小屋を片付けていると、奥の方から封筒が出てきた。 その手紙が次の文章です。 読んでみてください。


ごめんね、あかり。
おかあさんはあかりを置いて先に逝きます。
ソックスが生きているうちはソックスが私のかわり。
あかりを見守ってくれるよ。
そして、ソックスも、いつかはあかりより先に逝くでしょう。
そのとき、私はいよいよ念願の風になります。
いつかあかりは私を風みたいだってほめてくれたよね。
あれ、かなりうれしかった。
ちょっといたずらな風が吹いたら、私がそばにいると思ってください。



それからもうひとつ。
『犬との10の約束』は覚えてくれてる?
あれにはつづきがあります。
それは約束ではなくて、『虹の橋』という詩です。
ソックスが先に逝ってしまったあとで読んでみてね。


(dog203.jpg)

『虹の橋』
動物は、死んだあとに虹の橋と呼ばれる場所で暮らします。
そこは快適で満ち足りているのですが、ひとつだけ足りないものがあります。
それは特別な誰か、残してきてしまった誰かがそこにはいないこと。
それがさびしいのです。


(rainbow9.jpg)

草原で遊び回っている動物たちのうち一匹が突然遊ぶのをやめ、遠くに目をやります。
一心に見つめるその瞳は輝き、からだはかすかに震えはじめます。
その子は突然草原を飛ぶように走り出します。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの特別な友だちは再会のよろこびに固く抱き合います。
そして、あなたを心のそこから信じているその友だちの瞳を覗き込みます。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
心からは一日も離れたことのなかったその瞳を。

じゃあ、元気でね。 

母より

 (写真はデンマン・ライプラリーから)



200-201ページ 『犬と私の10の約束』
著者: 川口 晴
2008年2月25日 第11刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




なんだか、ジ〜ンときますわねぇ〜。。。



そうでしょう!? 猫では、こうはならないと思うのですよ。




【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ〜♪〜ますか?

実は簡単な事なのですわよ。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですって。
分からない事ではござ〜ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

とにかく、興味深い話題が続きますう。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

盲導犬の歴史は古いのですわ。

盲目の人の歩行補助に犬が使われた例で最も古いのは、ポンペイの発掘品の中に見られます。

すでに2000年以上も前に介助犬として人間のために働いていたのですね。

13世紀の中国の絵の中にも同じような絵が発見されていますが、それらはどれも長いロープで繋がれた犬が、視覚障害者を引っ張っている様子です。

確実な資料では、1819年、ヨハン・ウイルヘルム・クライン (Johann Wilhelm Klein) というウィーンの神父が、犬の首輪に細長い棒をつけ盲導犬として正式に訓練したのが最初です。

その後1916年に、ドイツ赤十字のシュターリンとドイツシェパード犬協会のシュテファニッツが、第一次世界大戦中、戦盲者のために盲導犬を育成しようとオルテブルクに学校を設立し、翌年に盲導犬が作出されて戦盲者の誘導に役立てました。

1923年にはポツダムに国立の盲導犬学校が設立され、多数の盲導犬が誕生し戦盲者の社会復帰を促しました。

警察犬の実用化を研究するためヨーロッパに滞在中であったアメリカ人のドロシー・ユーステス夫人は盲導犬の活躍に関心を抱き、スイスのヴェヴェイにある盲導犬学校での研究の後、1929年にニュージャージー州のモーリスタウン近くのホイッパニーに盲導犬育成の学校を設立しました。

これが現在、世界で最も歴史と実績のある協会 The Seeing Eye, Inc.です。

現在、アメリカ合衆国にはこの他にそれぞれが独立した組織として9つの育成施設があります。

英国では、1930年にThe Seeing Eye, Inc.より1人の指導者を招聘し、1931年に4頭の盲導犬が誕生しました。


(dog118.jpg)

その後、1934年にThe Guide Dogs(The Guide Dogs for the Blind Association) が設立されました。

現在1つの本部の下に9つの訓練所があります。

盲導犬はその他豪州・オランダ・フランス・イタリア・フィンランド・スイス・ノルウェー・南アフリカ共和国、日本などで育成されています。



ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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