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味もめん(PART 2)

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味もめん(PART 2)





歴史を散歩させる食べ物


Subj:最後の粉末焼きそばソースを使って、

焼きそばチャーハンを作って食べました!

旨かった!きゃはははは。。。



Date: 02/04/2009 2:25:16 AM
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 4月2日 木曜日 午後6時25分)
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com


今日は朝から小雨が降っていて、外へ出るのが億劫になりました。
しかも安子さんの記事を書き始めて、乗り乗りに乗ってきました。
途中で止める訳にはゆきませんでした。
そう言う訳でサッポロラーメンを買出しに行けませんでした。



それで、いつものように、たまねぎとオレンジの皮と缶詰のハムで焼きそばチャーハンでした。
即席チャーハンだったけれど、旨かったですよう。きゃはははは・・・
小百合さんの心のこもった贈り物は1ヵ月半楽しむ事ができました。
ありがとう!



そればかりではありません。
あの贈り物の箱は“竜宮城の乙姫様からもらった玉手箱”でしたよう。
中から出てきたのは、もちろん煙ではありません。
“仙台辛味噌ラーメン”がもたらした懐かしい仙台の青春の思い出でした。
恵子さんと奈緒子さんが玉手箱から飛び出してきましたよう!
うしししし。。。





仙台の思い出の後には、佐野の思い出が続きます。
小百合さんが“金禄(きんろく)”の「佐野絵巻」という白い羊羹(ようかん)を一つ入れてくれました。多分、僕が歴史好きだと思って、入れてくれたのだと思います。

羊羹の包みの裏に万葉集の歌が2首書いてあって、佐野の歴史と風土が簡略に書いてありました。
唐沢山神社の事が書いてありましたが、小百合さんの「山の家」に行くバスを待つ間に時間があったので唐沢山が見えるあたりまで歩いていったのですよう。
平将門(まさかど)を討った藤原秀郷(ひでさと)が唐沢山神社に祀(まつ)られているとは思いませんでした。
そう言う事が羊羹の包みの裏に書いてあったのですよう。



また、渡良瀬川の鉱毒事件で有名な田中正造のことも書いてありました。
小百合さんもこの羊羹の包みの裏を読んで、それで、この羊羹を一つだけ入れたのだと思うのですよう。
果たして、どうかな?うへへへへ。。。

甘すぎる羊羹が苦手な僕には、羊羹一つがちょうどよかったですよう。
この羊羹の包みのことで、また思い出が書けそうです。
ありがとう。

あの贈り物からは、仙台辛味噌ラーメンがもたらした仙台の思い出だけでなく、佐野の思い出も書けそうです。
小百合さんも楽しみにして待っててね。

はい、はい、はい。。。払戻金は、この前と同じ小百合さんのTD銀行の口座に入金します。
4月中旬にでもゆっくりと春の日差しを浴びながら、歩いて行ってきます。
ついでに、また図書館に足を伸ばして10冊ぐらい借りてきます。
今度は、小百合さんの「愛の手」が、どのような本を選ぶのか?楽しみです。
また記事が書けますよう!ありがとう!



大長寺の桜もそろそろ咲くでしょうね。
僕の分までじっくりと見てきてくださいね。
ゼリーフライも僕の分まで食べてきてくださいね。
うへへへへ。。。



でも、食べ過ぎてマルサの女のように太り過ぎないように!
じゃあね。





『歴史を散歩させる食べ物』より
 (2009年5月1日)




つまり、「佐野絵巻」という白い羊羹に歴史が込められていたので、今回も「味もめん」に歴史的なエピソードがあるのではないかと思って調べたわけですか?



その通りですよ。

。。。で、デンマンさんが期待していたようなエピソードが見つかったのですか?

見つかりましたよ。 読んでみてください。


せんべいの歴史


(souka02.jpg)

日本の煎餅は、米を原料とする事から『米菓煎餅(べいかせんべい)』ともいい、粳米(うるちまい)をつぶしたり搗(つ)いたりして延ばしたものを焼いてつくる米菓であり、これは「焼きせんべい」と「揚げせんべい」に分ける事ができる。
醤油や塩による味付けをしたものが多く、煎餅を焼いて売る『煎餅屋』もみられる。

日本で「煎餅」の記述が見られるのは正倉院所蔵の737年頃の文書であるが、ここに登場する「煎餅」は現在のものと違い、小麦粉を油で固めたいりもち(煎餅)であり、現在と同じ煎餅は草加せんべいが初であるとされている。

現在の煎餅の一番古い物は、日光街道の2番目の宿場町だった草加宿(現在の埼玉県草加市)で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆が、ある日、侍に「団子を平らにして焼いたらどうか」と言われて始めたのが名前の由来、というよく知られた話がある。

草加宿一帯の農家では、蒸した米をつぶして丸め、干したもの(「堅餅」という)に塩をまぶして焼き、間食として食べていた。
草加宿が日光街道の宿場町として発展したことに伴い、この塩味の煎餅が旅人向けの商品として売り出され、各地に広まった。


(nikkomap.jpg)

その後、利根川沿岸(千葉県野田市)で生産された醤油で味をつけるようになり、現在の草加煎餅の原型となったとされている。
これは船によって江戸に伝えられ広く伝わっていった。



出典: 「煎餅」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




草加は日光街道の2番目の宿場町ですよ。 「味もめん」を作って売っている「下野乃国米菓處-木村」本店は宇都宮市内(栃木県宇都宮市南高砂町11番37号)にあるのです。



宇都宮は日光街道とは関係ないのじゃありませんか?

関係ありますよ。 上の地図を見ればすぐに分かるでしょう! 宇都宮から日光街道は延びてるようなものですよ。 つまり、「草加せんべい」は日光街道を伝わって、すぐに宇都宮にも広まったというわけですよ。




【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
おせんべいには、そのような歴史があるのですってぇ〜。。。
あなたも、今度、おせんべいを食べる時には歴史を味わいながらじっくりと古(いにしえ)の味を堪能してくださいませ。

ところで、どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ〜♪〜ますか?

実は簡単な事なのですわよ。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですって。
分からない事ではござ〜ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

軽井沢のイルミネーション

<iframe width="425" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/dNGCgP1YLGA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/3CFuuOhmTxg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とにかく、興味深い話題が続きますう。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

ゴディバは国際的に有名なチョコレートのブランドです。

ゴディバ・ショコラティエ(Godiva Chocolatier)は1926年、ブリュッセルでジョセフ・ドラップスが設立しました。

その後、1958年パリに販売店を開いて国外に進出したのです。

1966年にはキャンベル・スープ・カンパニーの支援を受けてアメリカにも進出しました。

1972年にはキャンベル社が買収し、その傘下に入ります。

でも、2007年12月になると、経営戦略の違いなどからキャンベル社は売却を決めました。

トルコの企業であるユルドゥス・ホールディングス(同国最大の食品企業「ウルケル・グループ」の親会社)が買収しました。

現在、北アメリカ、ヨーロッパ、アジアの80ヶ国以上で専門店を持ち、北アメリカだけで1000店舗以上の販売店を展開しています。

日本では、昭和47年(1972年)に日本橋三越に第1号店がオープンしました。

現在では、200店舗以上が日本各地に広まっています。

インターネットでの通信販売も手掛けています。



ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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