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かぎろいの謎 (PART 1 OF 4)

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かぎろいの謎 (PART 1 OF 4)
 
 






デンマンさん。。。どうして「かぎろい」を持ち出してきたのですか?



あのねぇ〜、夕べ、たまたま『なぜ万葉集は古代史の真相を封印したのか』という本を読んだのですよ。

それが「かぎろい」と関係あるのですか?

もちろんですよ。 その本の中で柿本人麻呂が詠んだ、あの有名な「かぎろい」の歌が出てきたのですよ。

それで、今日「かぎろい」を取り上げる気になったのですか?

そうですよ。。。 小百合さんは忘れてしまったのですか?

何をですかァ〜?

やだなあああァ! 。。。 小百合さんと「かぎろい」について語り合ったのですよ。

まさかァ〜。。。!?  覚えていませんわ。

次の記事ですよ。



『怒りの柿本人麻呂』

(2011年6月23日)



もう2年も前の記事ではありませんか!



小百合さんは忘れてしまったのですか?

すぐには思い出せませんわ。

じゃあ、次の小文を読んでみてくださいよう。


人麿が見た「かぎろい」とは何か

『万葉集』巻(まき)1の48番に柿本人麿(かきのもとひとまろ)の有名な「かぎろい」の歌がある。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ

歌意は「東方の野には曙(あけぼの)の光がさしそめるのが見えて西を振りかえると月が傾いて淡い光をたたえている」(『万葉集』日本古典文学大系、岩波書店)というものだ。 ここで「かぎろひ」は「曙の光」とあるが、人麿が見たのはどんな現象なのだろうか。



「かぎろい」は『古語辞典』(岩波書店)では、まず「揺れて光る意。 ヒは火。 炎」とあり、また「立ちのぼる水蒸気に光があたり、光がゆらめいて見えるもの」とし、「陽炎(かげろう)、地面が熱せられたときに見られる」の意をあげている。

さて日の出前には日中われわれがよく見る陽炎のようなものは出現しないので、「陽炎説」は成立しない。 「かぎろい」は万葉集では「炎」という字があてられていることに注目したい。 「かぎろい」にはこれまで天文学的に意味のある説が二つある。

その一つは、戦前、中山正実画伯が「かぎろい」にちなむ大作「阿騎野(あきの)の朝」を描くにあたってなされた考証にもとづくものである(中山説)。 それによれば柿本人麿の「かぎろひ体験」は、場所(東経135°.9、北緯34°.4)だけでなく、日時をも特定できるという驚くべき説で、持統天皇の朱鳥(しゅちょう)6年11月17日(ユリウス暦ではA.D.692年12月31日)、午前5時50分(日本標準時、日の出前約1時間)、月は望(満月)をわずかに過ぎて西の地平線の上10°の高さにあったという。 中山説はこのときの東の空の現象が「かぎろい」だとするものである。

もう一つは黄道光(こうどうこう)説である。 黄道光とは、太陽系の地球の公転軌道の付近に分布している固体微粒子が太陽光を受けて散乱しているものである。 この説を提唱している斉藤国治氏によれば、古天文学にもとづき、「かぎろひ」とは、季節は黄道光がもっとも見えやすい秋の朝とし、東の空に「舌」のような形で、日の出約1時間前に「立って見える炎状の光体」という形であらわれるというものである。

この二つの説はどちらも、主要点として「かぎろひ」は日の出前1時間の東の空の現象としているが、この日の出現象という一連の過程からみると、つぎのような疑問がわいてくる。 日の出前1時間というのは、日本列島の地理的位置を考慮すると、平均して太陽が地平線下12°にあるときということになる。 そのころ、東の空では薄明がはじまってはいるものの、よほど暗く、その色もせいぜい薄く青白いという程度で、当然ながら空全体が静かで何らの動きも感じられない。 また、黄道光も実際にはぼうっとした白っぽいもので、じっとしたまま動きもなく、日本のようにしめっぽい空ではそれを見分けることさえたやすくない。 まして「炎」ないしは「炎が立つ」というような強烈な印象には欠けるように思われる。

ここで私の「曙光説」を挙げてみたい。 私にとっての「かぎろひ」とは、太陽が地平線下約8°から6°にあるあいだで、数分間持続する空の現象の動的過程である。 時間でいえば、日本の各地、季節を平均して、日の出前約40分から数分間ほどになる。 このとき、東の空では、地平線上にまさに暗黒の天と地を切り裂くように、鮮やかな赤い光の帯が真横にあらわれる。 その上に橙色や黄色の帯がつづく。 光の帯はみるみる発達して、その幅も明るさも増し、さらに空気が澄んでいるときには、東の空高く、のし上がるように高度にして50°ぐらいにもおよぶ明るい大きな円形の発光が見えることがある。 その色は透明な赤橙色ないしはサーモン・ピンクで、まさに「炎」ないしは「炎が立つ」というのはこういう光景を指すのではないかと思われる。 「かぎろい」の歌には、火のようにゆれた燃え輝くものに直面したときに湧きいでる歓喜の心情が率直に歌われていると思う。 日の出前40分ころの東の空で一瞬一瞬にあらわれる劇的な変化こそ、それにこたえうるものと思う。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)



17 - 19ページ 『空の色と光の図鑑』
著者: 斉藤文一・武田康男
2002年8月1日 第8刷発行
発行所: 株式会社 草思社




どうですか、小百合さん。。。 この上の文章を読んで思い出しましたか?



確かに、上の写真を見たら読んだような記憶がありますわ。

やだなあああァ〜。。。 まだ鮮明に思い出せないようですね。 次の写真を見てくださいよ。





柿本のおっさんは、こうして「かぎろい」を見ながら歌を詠んだのですよ。



。。。で、ムカついたのですか?

いや。。。 顔に出してムカついたわけではないけれど、心の中ではムカついていたのですよ。





顔に出さなくても柿本人麻呂は心の中ではこうしてムカついていたのですか?



その通りですよ。

でも、どうして。。。?

やだなあああァ〜。。。 その事で小百合さんと上の記事の中で語り合ったのですよ。 夕べ、本を読みながら、それを僕は思い出して今日こうして小百合さんと話し始めたというわけですよ。

デンマンさんは記憶力がいいのですわね。

あのねぇ〜、2年前のことですよ。 10年前ならば忘れてしまうこともあるかもしれないけれど、2年前ぐらいではそう簡単に忘れないでしょう!?

そうかしら。。。? デンマンさんは歴史に興味があるから覚えているのでしょうけれど、私は歴史は。。。

興味がないのですか?

どちらかと言えば歴史よりも食べ物の方がいいですわ。 おほほほほ。。。

あのねぇ〜、小百合さんは「軽井沢タリアセン夫人」としてネットでは有名になりつつあるのですよ。 まず、2011年6月18日当時の検索結果を見てください。



『軽井沢タリアセン夫人』の現在の検索結果



デンマンさんがムキになって「軽井沢タリアセン夫人」の記事を書いたから 18,700件もの記事がヒットするのですわ。 でも、最近ではデンマンさんもへたばっているのでヒットの数が落ちているのでしょう?



そんなことはありませんよ。 ついさっき調べたので最新の記録を見てくださいよ。


(gog30326.gif)



最近でも僕は「軽井沢タリアセン夫人」の記事を書いているのですよ。 だから、相変わらず 18,900件もヒットしますよ。



だから、どうだと言うのですか?

だから、小百合さんが僕と語り合った話題ぐらい2年前でも覚えていて欲しいのですよ。

分かりましたわ。 忘れないように心がけますわ。 それで、デンマンさんは何が言いたいのですか?

だから、タイトルにも書いたように今日は「かぎろいの謎」に迫るのですよ。

ネット市民の皆様は関心を持つかしら?

ここまで書いてくれば「かぎろいの謎」とは、いったいどのようなものなのか? 絶対に興味を持つと思いますよ。

でも、私が忘れてしまうくらいですから。。。 おほほほほ。。。

あのねぇ〜、ネット市民の皆様が「柿本人麻呂」にも「かぎろい」にも関心が無いと、小百合さんが言うと身も蓋もなくなってしまうのですよ。 僕の立場も無くなってしまうのですよ。

分かりましたわ。 じゃあ、予定通りにお話を進めてくださいな。

次の画像を見てください。





これが僕がイメージしている「かぎろい」ですよ。



つまり、この事が言いたくて、これまでクダクダと御託を並べてきたのですか?

いや。。。もちろん、それだけではありませんよ。 次の歌ですよ。

東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ

この歌が、どうだとおっしゃるのですか?

『万葉集』日本古典文学大系によると、上の歌の意味は次のようだと書いてある。



東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている



デンマンさんは、この歌の解釈が気に喰わないのですか?



いや。。。人麿の歌の意味を表面的に解釈すれば、確かに上のような意味になるでしょう。 でもねぇ、はっきり言って、このような和歌ならば誰にだって詠めるのですよ。 僕は初めて上の歌を見たときから、この歌が『万葉集』に取り上げられる程に素晴らしい和歌だとはどうしても思えなかった。 小百合さんはどうですか?

私はもともと和歌には関心が極めて薄いので『万葉集』のことはほとんど知らないのですわ。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ〜。。。このような時に「うふふふふふ。。。」と言って笑って済まさないでくださいよ。 日本人のミーちゃん、ハーちゃんが国際的に一番嫌われる悪い癖ですよ。

でも、マジで上の和歌が良いものとも、ダサいものとも私には分かりませんわ。

あのねぇ〜。。。、冷静になって考えてみてくださいよ。 上の和歌が素晴らしいなんて思う人は、まず居ないと思うのですよ。 もう一度上の和歌の意味を読んでみてください。




東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている



何度読んでみても、とりわけ心が揺さぶられるような素晴らしい歌ではないのですよ。



それはデンマンさんの個人的な意見ですわ。

あのねぇ〜、小百合さんも、もう一度マジで読んでみてくださいよ。 いったい、どこに『万葉集』に載せるほどの魅力があると言うのですか?

だから。。。いいと思った人が昔に居たのですわ。

でもねぇ、その良さを『万葉集』日本古典文学大系を書いた人は全く理解してないのですよ。 だから、月並みな説明をしているだけ。。。 しかも「東方の野に 曙の光が見えて 西を振りかえると 月が傾いて淡い光をたたえている」というような、正に月並みなことしか書いてない。 バカバカしい! こんなバカバカしいことしか書けないから、日本のミーちゃんハーちゃんは万葉集など読まないのですよ。

デンマンさんは、なんだか上の和歌の本当の素晴らしい意味が分かっているようなことを言ってますわね?

そうですよ。。。僕は上の和歌の真意を理解しているのですよ。

マジで。。。?

このような時に冗談やウソが言えますか!?
 
分かりましたわ。 それで、その真意って一体どのようなものなのですか?

あのねぇ〜、それを説明するには、ちょとばかり歴史を知らないと理解できないのですよ。 小百合さんのためにここに書き出しますから読んでみてね。

 (すぐ下のページへ続く)



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