愛しいペット(PART 1)
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デンマンさん...、 あんさんはバンクーバーでペットを飼いはってんのォ〜?
いや。。。残念ながら飼ってえ〜へん。
「愛しいペット」というタイトル付けはってんのに、どないなわけでペットがおらんのォ〜?
わてのマンションではペットを飼うことが禁止されてるねん。
ペットを飼ってもええとこに移ればええやんかァ〜。
めれちゃんは、そないに簡単に言うけどなァ〜、電車を乗り換えるように思いつきで移るわけにはゆかへんのやでぇ〜。
気楽に移ればええやんかァ〜。。。
今住んでいるマンションは何かと便利がええねん。 すぐ近くにはペットを飼ってもええマンションは見当たらへんのやがなァ〜。
それなのに、どないなわけで「愛しいペット」というタイトルを付けはったん?
あのなァ〜、実は、夕べ本を読んでいたら次のような箇所に出くわしたのやがなァ〜。。。
筆者はドフトエフスキーがブームになるような社会は病んでいると考える。
『罪と罰』はテロを奨励する作品として解釈することができるからだ。
元厚生事務次官等の殺傷事件で、自首してきた男を見て、筆者はラスコーリニコフを想起した。
人間はどうせ一度は死ぬのである。
それならば天寿を全うしようが死刑になろうが同じだ。
新聞報道では、「飼い犬が保健所で殺されたこと」が殺人の動機ということだ。
ワイドショーのコメンテーターは、「幼稚だ」と述べているが、ほんとうにそうなのだろうか。
人間関係が希薄になっている状況で、犬や猫などのペットが生活の中で占める位置を考えてみよう。
犬好きの人にとって、自分の愛犬が殺されたならば、復讐を考えないであろうか。
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(中略)
この男の思想には、人間に対する敵意(それと対照的な犬に対する愛着)と社会を根源から破壊しようという衝動が秘められている。
空恐ろしく思う。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
322-323ページ 『この国を動かすものへ』
著者: 佐藤 勝
2010年4月15日 第2刷発行
発行所: 株式会社 徳間書店
確かに数年前に、こないな事件がありましたなァ〜。
めれちゃんも覚えているかァ〜? わてもニュースで見た記憶があるけれど、念のためにウィキペディアデ調べてみたのやァ。
元厚生事務次官宅連続襲撃事件
2008(平成20)年11月17日夕方、埼玉県さいたま市南区別所の山口剛彦宅が襲撃される。
山口と妻が刺され、死亡。
翌11月18日午前10時頃、自宅玄関で山口夫妻の遺体が発見された。
山口宅前の路上には約50メートルにわたって血痕の付いた足跡が残されていた。
11月18日夕方、東京都中野区上鷺宮の吉原健二宅が襲撃される。
吉原の妻が刺され、重傷を負って玄関の外で倒れていたのを通行人に発見され、保護された。
吉原本人は外出中だったため襲われなかったが、この事件では玄関付近と玄関外のみ血痕の付いた足跡が存在していた山口剛彦宅襲撃事件と異なり、血痕の付いた足跡が吉原氏宅前の路上ではなく、家の中にも存在していたことから、犯人が吉原を探していた可能性が指摘された。
現役ではないものの、厚生省官僚トップだった2人の自宅が続いて襲われたことから、世間を震撼させた。
警察は厚生行政を狙った連続テロを視野に捜査を進めた。
警察は第三の犯行や模倣犯を防ぐため、防止策を発表。厚生労働省現役幹部だけでなく、厚生労働事務次官(旧厚生事務次官)経験者や、社会保険庁長官経験者の自宅警備と、厚生労働省庁舎の警備態勢の強化し、庁舎玄関には警備員を増強し、来庁者には金属探知機によるボディチェックや荷物検査を実施。
マスコミなどもこの事件を大きく取り上げ、2007年に年金記録問題が発覚するなど、年金行政で国民から不信が持たれていたことや、襲撃された2人の元厚生事務次官が1985年の年金大改正において、年金局長(吉原健二)、年金課長(山口剛彦)として携わっていた共通点などから、「年金テロ」であるとして大きく報道された。
最初の事件から5日後の11月22日に46歳の男がレンタカーで警視庁に出頭し、犯行を自供。
11月23日午前2時、警察はこの男がレンタカーに血のついた2本を含めた刃物など、犯行時に使ったとされる物証を携えていたため、銃刀法違反で男性を逮捕した。
また、この男は出頭直前に、「元厚生次官宅襲撃事件について。今回の決起は年金テロではなく、34年前に保健所に飼い犬を殺された仇討ちである。最初から逃げる気は無いので今から自首する」旨のEメールを新聞社やテレビ局などのマスコミに送っており、これが事実上の犯行声明とされた。
出典: 「元厚生事務次官宅連続襲撃事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
それにしても34年前に保健所に飼い犬を殺された仇討ちで直接関係のない二人の元厚生事務次官を殺そうと考えたのは、ちょっと短絡的やと思うわァ。
そやなァ〜。。。 34年前というのが気になるなァ〜、そやけど犯人の気持ちが解らんことはないなァ〜。
あらっ。。。 現在ペットを飼ってないあんさんにも殺された飼い犬の敵討ちをする気持ちが解りはるのォ〜?
解るがなァ〜。。。 世の中にはペットロスで苦しんだり悲しんだりしている人がおるのやでぇ〜。。。
ペットロス? あまり聞かへん言葉やねぇ〜。。。
さよかァ〜? 先日読んだ本には次のように書いてあったでぇ〜。。。
ペットロスって何?
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「ペットロス」とは、言葉の意味どおり、「ペットを失う」ということですが、実際は、愛するペットを失った飼い主の悲しみを指す言葉として使用されています。
1980年代にアメリカなどで使われるようになり、90年代には日本でも一般に知られるようになりました。
ですが、この用語を正しく理解し、対応している人は、まだまだ少ないようです。
ペットロスは、けっして「一部の人だけがかかる心の病気」などではありません。
程度の差こそあれ、ペットを飼っている人なら誰もが必ず経験する「死別体験」なのです。
ペットの死を悲しむことは異常ではない!
何年間も生活をともにしたペットが亡くなれば、悲しいのは当たり前です。
落ち込んで何もする気がしない、食欲不振になった、夜眠れない、ささいなことで涙が溢(あふ)れて止まらなくなる、などは誰でも経験することであり、まったく正常な反応です。
なかには「親が死んだときよりも悲しい」、「生きる気力がなくなった」という人さえいます。
それはきっと、ペットが容姿や肩書きや人種などのうわべに関係なく、あるがままの自分を受け入れ、まっすぐな愛情を返してくれる存在だからなのでしょう。
にもかかわらず、ペットを失ったとき、人は肉親を失ったときのように思い切り悲しむことができません。
悲しみを打ち明けても、「あら、かわいそうに」などとおざなりの言葉をかけられるだけ。
悲しみのあまり体調を崩しても「たかがペットの死で」などと責められます。
揚げ句の果てには、「そんなことぐらいでいつまで落ち込んでいる」、「また新しいのを飼えばいい」などという心無い言葉を投げつけられることさえあるのです。
こうした周りの無理解は、何より飼い主の心を傷つけます。
人は悲しむべきときに悲しまないと、立ち直ることができません。
悲しみをいつまでも胸に秘め、ひとりで抱え込んでいると、心身の健康に影響の出る場合さえあるのです。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
177ページ 『明解 にゃんにゃんクリニック』
監修: 藤田桂一
2006年6月20日 第1版第1刷発行
発行所: 株式会社 緑書房
つまりやなァ〜、その犯人は34年前に保健所に飼い犬を殺された時に、思い切り悲しむことが、ようできへんかったのやと思うでぇ〜。。。
どうして。。。?
そやから上の説明にも書いてある通り、「そんなことぐらいでいつまで落ち込んでいる」、「また新しいのを飼えばいい」などという心無い言葉を投げつけられたのやがなァ。
そやけど、34年も経ってから、その悲しみが爆発して殺人にいたるというのは飛躍とちゃうん?
だから、書いてあるがなァ。 人は悲しむべきときに悲しまないと、立ち直ることができませんと。。。 その犯人は34年前にペットが保健所で殺処分になった時に充分に悲しむことができへんかったさかいに立ち直ることができへんかたのやがなァ。
それでペットが殺処分になってから34年後に直接関係ない二人の元厚生事務次官を殺そうとしたわけやのォ〜?
そういうことやなァ。 たぶん、ペットを殺処分にした保健所の担当の係官は、すでにあの世に逝ってしまっていたのかも知れへん。 それで身代わりを探したのやがなァ。。。
つまり、敵討ちをすることで、その犯人の気持ちは平安に、平穏になったと、あんさんは言わはるのォ〜?
結果として犯罪を犯したことになったのやけど、その人の心の内では気持ちがさっぱりして、自分なりにすべてを納得して警察に自首したのやと思うでぇ〜。。。
そらけど、何も人を殺さなくても他に解決の道があったと思うのやけどォ〜。。。
そやから、人は悲しむべきときに悲しまないと、立ち直ることができませんと言うてるのやがなァ〜。。。 めれちゃんも悲しい時にはマジで悲しまんと、次のような手記を書くことになるのやでぇ〜。。。
人生に期待するな
「人生に期待するな」
それがわたしの座右の銘だ
ほら、そのとおりになったじゃないか
夢も希望も持たずに生きてきたのは
間違いじゃなかったんだ
おかげで失望にも出会わなかったさ
あとは死に場所を探すだけだ
by めれんげ
September 26, 2009 18:40
『極私的詩集 人生に期待するな』より
『平成の小野小町』に掲載
(2009年10月3日)
めれちゃんは、この時に充分に悲しまなかったさかいに他人に対する殺意が自分に向かってしもうたのやがなァ。。。 それで自殺しようと死に場所を探し始めたというわけやァ。
そのわたしが、どないなわけで、まだ、こうして生きてるのォ〜?
めれちゃんは解らんのかァ〜?
そのようなことは自分では、よう解らへんものですう。。。
さよかァ〜。。。? あのなァ〜、めれちゃんは上の手記を書いた後で悲しみを詩に書いて『即興の詩』サイトに投稿したのやないかいなァ。 つまり遅ればせながら、悲しむべき悲しみを詩にして充分に悲しんだ。 そやさかいに、めれちゃんの気持ちは、やっと生きることに目覚めて次のような詩を書くことができてん。
小さな赤い花
わたしをあなたの庭に咲く
小さな赤い花にしてください
そして、お水を注ぎながら
何かお話を聞かせてください
わたしは何も言えないけれど
あなたの言葉を聞きながら
いろんなことを思うのです
あなたに愛されるように
いつまでも綺麗に
咲いています
だからわたしのことを
忘れずにいてください
by merange (めれんげ)
2010.02.19 Friday 10:24
『即興の詩 小さな赤い花』より
『永遠の愛のコラボ』に掲載
あんさん! いい加減にせんかいなァ〜。。。 次の記事の中では、わたしが骸骨のビデオを観て自殺を思いとどまったと書いてましたやんかァ。
■『自殺する人、しない人』
(2013年4月1日)
あのなァ〜。。。 めれちゃんが自殺を思いとどまった理由は、ただ一つではあらへん。 人間は、そないな単純な生き物とちゃうねん。
(すぐ下のページへ続く)