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処女礼賛(PART 1)

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処女礼賛(PART 1)


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デンマンさん...、 あんさんは処女を礼賛しやはってるん?



。。。ん? わてが処女を礼賛。。。?

せやかてぇ、タイトルに「処女礼賛」と書いてますやんかァ。

あのなァ〜、実は夕べ、バンクーバー市立図書館から借りてきた本を読んだのやがなァ〜。。。


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赤い枠で囲みやはった本を借りて読みはったん?



そうやァ。


(dai01.jpg)



この本が「処女礼賛」してはると、あんさんは言わはるのォ〜?



いや。。。 この本は特に「処女礼賛」を広めようとして書かれた本ではないねん。

そやのに、なしてぇ、「処女礼賛」というタイトルにしやはったん?

あのなァ〜、本の最後に次のように書いてあるねん。 めれちゃんも読んでみたらええやん。


訳者あとがき

在フランス中国人映画監督、作家であるダイ・シージェ(戴思杰)の長編第二作『フロイトの弟子と旅する長椅子』(原著2003年)をここにお届けします。

 (中略)

主人公の莫(モー)は、フランスに11年留学し、フロイト派の精神分析を学んだ心の医師。
中国に帰国した彼はオンボロの自転車を駆り、精神分析の診察の旅 (略) に出かけます。
しかしその巡回には真の目的がありました。
それはなんと……広大な中国の地からひとりの処女を見つけ出すこと!
彼が長年恋いこがれている女性は政治的な理由で逮捕され、今は刑務所暮らしをしています。
その釈放の条件として裁判所の暴君、狄(デイー)判事が賄賂として要求したもの。
それこそが「まだ赤いメロンを割っていない」娘、つまりは、処女の乙女だったのです。


(virgin02.jpg)

しかしそもそも西洋の科学である精神分析は中国人にも通用するのでしょうか?
またなぜ狄判事は、西洋人男性と異なり、処女との交合を---フロイトはそれをタブーと見なしていました---欲するのでしょうか?
(略) 前作同様、西洋文化と中国社会のはざまに立つ主人公を軸に、作者一流のナイーブな感性と、とりわけ喜劇的な要素が全面に打ち出された作品に仕上がっています。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



321-322ページ 『フロイトの弟子と旅する長椅子』
著者: ダイ・シージェ(戴思杰)
訳者: 新島 進
2007年5月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 早川書房




なしてぇ、狄(デイー)判事は賄賂に「まだ赤いメロンを割っていない」処女の乙女を求めやはったん?



あのなァ〜、中国では一部の人たちの間で、処女と性交すると生気(若さ・元気)を取り戻すことができるという言い伝えが信じられておるねん。

デンマンさん!。。。 あんさんも、そないな世迷言(よまいごと)を信じてはるのォ〜?

いや。。。 わては信じておらんでぇ〜。。。 そやけど、日本でも、そないな事を信じている人がおるなァ〜。。。 確か、川端康成の本の中に70歳ぐらいの老人が処女と寝る話が出てきよる。 その処女と言われている娘は睡眠薬を飲まされてぐっすると眠っているのやがなァ。 その宿の女主人との間には約束が取り交わされており、その娘と一緒に寝ることはできるねんけど、絶対に娘の体に傷をつけてはあっか〜ん!。。。 そういう約束事があるねん。

要するに、その老人は処女と寝るだけで、実際には「赤いメロンを割」るようなことはしないわけやのォ〜?

そうやァ〜。

それなのに、なんで老人は処女と寝るのォ〜?

そやから、処女と何もしなくても一緒に一晩寝るだけで老人は気分的に若返るということなのやろなァ〜。。。

川端康成がそないな本をマジで書いてはるのォ〜?

本の題名は忘れたけど、わては読んだ覚えがあるねん。

あんさんは、けったいな本を読みはるのやねぇ〜? そう言えば、あんさんも処女に拘(こだわ)ってた時がありますやん。

。。。ん? わてが処女に拘(こだわ)ってたァ〜?

そうですう。。。 あんさんは次のような質問をわたしにしたのですやん。。。 覚えてますやろう?



ではお答えいたします。
 


2007-04-22 17:10

質問122: 
めれんげさんは性的欲求不満からヒステリーを起こした事がありますか?

ないですね。
セックスで満たされることとは、
精神的に満たされることなので、
肉体的欠乏感に苦しむことは、ないのです。
だってね…
わたしは自慰行為すらしたことがないんですよね。
しようとも思わないし。
セックスとは、愛する人との大切な
コミュニケーションだから、
性欲をひとりで処理するのは、
わたしにとっては、無意味なのです。

質問123: 
大人の体になってから、とりわけ“したい”と思わなくなったと書いていたけれど。。。
それは、性欲が衰えたわけじゃないでしょう?
要は、やりがいのある充実した満ち足りたセックスをしたいと言う事だと思うのだけれど。。。、
つうことわあああ。。。10代の頃は好奇心と性の目覚めでセックスのためにセックスをしていた事もあるわけ。。。?

はい!
新しい遊びを知った子供のようでしたね…
恋愛自体には、おくてでしたから、
恋愛とセックスを結びつけて考えてませんでした。
…と書くと、ひどい遊び人のようですが、
若気のいたりと、受け止めてください…

質問124:
最近のめれんげさんは寂しくなってセックスしたい、なんて思うことはないですか?

さすがに学習しましたよ!
寂しさを埋めるためにセックスしたとしても、残るのは、虚しさやらバカバカしさだけ。
そんなセックスは、愚か者の自慰みたいなもの…
というのが、わたしの考えです。

質問125:
愛を基盤にしたセックスこそ、めれんげさんにとって重要なはず。
現在、めれんげさんはセックスの基盤になる“愛”人が居ますか?

いるような、いないような…(あいまいやなあ)
ただ、愛のないセックスは、しませんね!

質問126:
居るとするならば、その愛人とも、やっぱり一生一緒に居られるとは思わないのですか?
居ないのであれば、そのような相手が居ると想定した時に、めれんげさんは、その人と一生一緒に居る事が出来ると思いますか?

わたしには、誰かの人生に責任を持つほどの力がないと思うのです。
簡単にプロポーズを受けることもできません。
この世に絶対などなく、今の真実が未来において、嘘になりうることもあるならば、無責任な約束もできないのです…しょぼん。

質問127:
一生一緒に居られそうもないというその理由は。。。?
めれんげさんが性格的に飽きっぽいからなのか。。。?
より良い相手を探すために自由で居たいためか。。。?
ただ単に“束縛感”を嫌うためなのか。。。?
過去に相思相愛のカップルが別れたのをたくさん見てきたので、めれんげさん自身、一生相思相愛で居ることが不可能と思えるのか。。。?

上記でのこたえが全てです…
少々、厭世感が強いのかもしれませんが、この世のすべては、あまりにも無常なので…

質問128:
セックスから愛が生まれる事もある、とめれんげさんはかつて書いていたけれど、最近はどうですか?
セックスを基盤にした愛があると思いますか?
あるならば、それを信じる事が出来ますか?

むむむ。
これはペンディングにさせてくださいませー。

質問129:
現在のめれんげさんに欠落しているものとは。。。?

欠落しているものがわからない。
そのことが、わたしに欠落しているものだと思います。

質問130:
その欠落部分はセックスのない愛で埋め合わせる事が出来ると思いますか?

完璧にno!ですぅ。

質問132:
その欠落部分は愛とセックスの両方がないとダメなのか?
(めれんげさんは欲張りね!うへへへへ。。。両方欲しいと言うに決まっているよね?)

それも違うと思います…

質問133:
その欠落部分は輝かしいキャリアウーマンになる事で埋め合わせる事が出来ますか?
(恋人無し、愛人無しの独身で通す)

社会生活での成功が、精神的な充足をもたらすとは思えないんですよね。
答えは自分の中にしかないのですから。

質問134:
その欠落部分はお金持ちと結婚する事で埋め合わせる事が出来ますか?

それも、外的なことですよね。
リッチな生活はしたいですけどね!
 
 
by めれんげ

『愛と性と脳』より

『愛と性と無常』に掲載
(2007年4月27日)





うん、うん、うん。。。 確かに、こないな質問をして、めれちゃんに訊いた覚えがあるでぇ〜。。。 その時、めれちゃんは最初にセックスしたのは16歳の時やと言うたのやでぇ〜。。。



あんさん!。。。そないな事をネット市民の皆様の前で公開して欲しくないねん。

あのなァ〜、すでに上のQ&Aは『愛と性と無常』という記事の中で公開されてるねん。 なにも今更めれちゃんが恥ずかしがることでもないやろう。 好奇心から処女を捨ててしまっためれちゃんも、今では充分に学習しておるのやないかいなァ。

さすがに学習しましたよ!

ただ、愛のないセックスは、しませんね!

めれちゃんが、こないに学習したことは素晴らしいことやと思うでぇ〜。。。

なんだか皮肉に聞こえますねん。

めれちゃんが処女を失った頃というのは、女の子にとって「処女」の価値が低くなっていた頃やと思うでぇ〜。。。


女の子にとっての「処女」の価値

体験を聞かせてくれた女の子のなかには、処女を捨てるためにテレクラに電話したと話してくれたかたがいました。
まさに1990年代前半、彼女が14歳のときのことです。

当時、テレクラで処女を捨てたという女の子は数多くいたと思います。
女の子が処女に何らかの価値を見出すような状況は、その頃すでにありませんでした。

僕が中高生だった1970年代には、性について親の教育が厳しい家庭がいっぱいあった。
そういったなかで、みずから性を遠ざけている女の子もいれば、逆に、処女の価値の重さをとても不自由に感じている女の子もいた。
不自由に感じていた子のなかには行きずりの男性と経験して処女を失う、といった話もよくありました。 (略)

しかし、1980年代後半には、女の子たちにとって「処女」は価値のあるものではなくなりつつあったのではと思います。
性が日常化していくなかで、「処女を失う」ということを服装や化粧、髪形を変えることと近い感覚でとらえ、世界と自分との「当たり」を変えるためにセックスを経験してみる。

「今の私に欠けているのは性の経験で、それを突破すれば、もしかしたら何か変わるのかな?」という心情が女の子のなかに生まれていたのではないかと思いますね。

 (中略)

「同調圧力」とメディアの影響

インタビューでは、「自分を変えたい」という動機以外にも、処女であることに当の女の子たちがもともと引け目を感じていたという空気があるように思いました。
それは同性の仲間関係の圧力によるものだと思います。いわゆるピアプレッシャー、「同調圧力」です。
その圧力に逆らえなくて、まわりのみんなが経験しているのに話に乗れなくなってつらいとか、未経験なのにベテランだと嘘をついてしまって焦っているとか、そういう動機で自分も経験する。

それには、メディアの影響も大きいでしょうね。
現在の「処女」という言葉には、「するべき体験をしていない」というネガティヴなイメージがふくまれているし、そもそも、「処女である自分」を投影できるような存在自体、メディアのなかにみつけるのはむずかしい状況です。

処女とは逆に、価値が上がったのは「童貞」です。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています)



84-85ページ
『だれでも一度は、処女だった』
編者: 千木良悠子・辛酸なめ子
2009年2月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社




あんさんも「童貞」の価値が上がったと思いはってるん?



いや。。。わては知らへんかった。 そやけど、その意味するところは解るような気がするでぇ〜。。。

どないな訳でぇ〜。。。?

つまり、「同調圧力」で焦って「童貞」を捨てようと考えることは、ちょうど14歳の女の子が「強姦で初めてを失ったら最悪だ」っていう不安のために「処女を捨てる」のと同じレベルの話やんかァ。 アホらしい!

つまり、処女も大切にせんとアカン!と、あんさんは考えはるのォ〜?

いや。。。必要以上に大切だと思う必要はあらへん。 処女の価値の重さに不自由を感じるようになっては、元も子もなくなる。 tanomuさんの言う事もよう解るねん。


 (すぐ下のページへ続く)

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