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万葉のめれちゃん(PART 1)

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万葉のめれちゃん(PART 1)
 
 

(shotoku06.jpg)
 
 

 
 
あなたを好きな理由
 
 


(shizuku02.jpg+rafu011b.jpg)
 
 
なぜ?
どこが?
って聞かれても、
すぐに答えられるよ

あなたのことが好き
これは絶対に本当のこと

なぜ、好きなのかっていうと、
あなたについていけば
大丈夫って思えるから

どこが好きなのかっていうと、
あなたの顔が好き
あなたの少しかすれた声が好き
あなたの器用なところも好き

あなたを好きな理由を書き出したら
いつまでも終わらないよ
それくらいに
あなたが好き
 
 
by めれんげ

2013年07月13日 12:33
【カテゴリ: 詩 恋愛詩】
 


『即興の詩』
『あなたを好きな理由』より




デンマンさん...、 あんさんはこの詩の中の「あなた」が自分のことやと思いはったん?



あれっ。。。 この詩は、わてのことを恋しいと思いながら書いたのとちゃうん?

なんでぇ〜、わたしがあんさんのことを恋しいと思いながら書かなァあかんのォ〜?

そやかてぇ、めれちゃんは『即興の詩』サイトを再開して、わてと、またやり取りを始めたやないかいなァ〜。。。

そやけど、もう一度上の詩をじっくりと読んでみなはれぇ〜。。。 わたしは、あんさんの声を聞いたこともなければ、あんさんの顔を見たこともないのやでぇ〜。。。

それはちゃうと思うでぇ〜。。。 めれちゃんには類(たぐい)まれなイマジネーションと創作力があるねん。。。 そやさかいに、わての声も表情もちゃんとオツムのスクリーンに、くっきりと写っているはずやないかいなァ。

それは、あんさんの妄想ですねん。 わたしはそれ程の想像力を持ってまへん。

あのなァ〜。。。 めれちゃんがそないに言うのなら、声も顔もどうでもええねん。 重要なことは、めれちゃんが「なぜ、好きなのかっていうと、あなたについていけば大丈夫って思えるから」と書いていることやんかァ。

つまり、あんさんは、わたしが「なぜ、好きなのかっていうと、デンマンさんについていけば大丈夫って思えるから」と信じていると考えはったん?

ちゃうのんかァ〜。。。?

ちゃいますがなァ〜。。。 この「あなた」というのんは、わたしの「今一つの世界」の「あなた」のことやんかァ〜。。。 あんさんは次のように書いてましたやろう!?


今一つの世界



ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。

でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。

ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。

暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。

もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。

古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。

ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。



江戸川乱歩(左)と三島由紀夫



(130 − 132ページ)
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行

『上流夫人 (2008年8月30日)』に掲載




そやから、めれちゃんの「今一つの世界」の「あなた」がわてのことやろう? つまり、めれちゃんはわたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとしたわけやんかァ。 それで『即興の詩』サイトを再開して、めれちゃんは自由にのびのびと人生と愛を謳歌することに決めたわけやんかァ〜。。。 その「今一つの世界」にわても住んでるねん。 うへへへへへ。。。



あんさん。。。 いい加減にしいやあああァ〜。。。 あんさんは、何もかも自分の都合のええように解釈してしまうねん。 わたしが上の詩の中で詠んだ「あなた」は、あんさんとは全く関係あらへん。

めれちゃんが、そないにムキになって否定するところが、あやしいのやでぇ〜。。。

あんさん!。。。 そないな詮索はどうでもよろしやないのォ〜。。。 そないなことよりも「万葉のめれちゃん」いうのんは、いったい、どういうことやねん?

あのなァ〜、夕べ、わてはバンクーバー市立図書館から借りてきた本を読んでいたのやァ。。。 へたら、次の箇所にぶちあたったのやがなァ。


恋は、相手の魂を自分の中に招き入れることであった。
和歌が地に宿る霊を示す自然に向かって詠(うた)われる時は風景を表現する叙景歌となり、人間に対する愛情に移されて詠(よ)まれる時は主に恋をうたう相聞歌(そうもんか)となった。

 (中略)

和歌の根本には恋の相聞があり、それが単に男女間のみならず、自然界のあらゆる動植物や自然現象との間にも相聞の心を読み取るのが、和歌の、そして俳諧の、根本のモチーフとなったのです。

万葉人の恋は魂を通じて気持ちを伝えあい、相手の魂を自分の中に取り込むことであった。
恋の「こい」は招魂のことで、生きている人だけでなく、魂があるとされる動植物・岩や石などの鉱物も「こい」の対象とされた。

万葉人の恋の歌は、相手の魂をひきつける「たま迎え」の歌でもあった。
恋うの「こう」とは人を愛する苦しみ、招魂の動作を意味した。

人妻との恋の歌も多い。
それゆえ、悲しの「かなし」とは愛するあまりの悲哀であり、愛の極限の表現であった。
次の和歌はその例である。



(shotoku06.jpg)

吾(あ)が恋は まさかもかなし 草まくら

多胡(たご)の入野(いりの)の おくもかなしも

(巻14−3403 作者不詳)


わたしの この恋はいま 

このように切なくてたまりません。

そしてきっと多胡の入野が奥深いように

これから先もこのつらい悲しい思いは

ずっと続いていくのでしょうね。

ああ。。。 とっても切ない。

【デンマン流現代語訳】

 


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



344-345ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治・伊ヶ崎淑彦・いき一郎
2012年8月10日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房




つまり、「人妻との恋の歌も多い。 それゆえ、悲しの「かなし」とは愛するあまりの悲哀であり、愛の極限の表現であった」ということを強調して、あんさんは軽井沢タリアセン夫人の小百合さんに対する不倫の恋を「万葉の恋」だと言いたいん?



やだなあああァ〜。。。 そのようなきつい目つきで、わてを睨(にら)み付けんで欲しいねん。 わてはそないな事を言うつもりではあらへん。 「恋は、相手の魂を自分の中に招き入れることであった。 動物との間にも相聞の心を読み取るのが、和歌の、そして俳諧の、根本のモチーフとなった」という所に惹かれたのやがなァ。

つまり、「動物との間にも相聞の心を読み取るのが、和歌の、そして俳諧の、根本のモチーフとなった」ということが、それ程あんさんの心をとらえはったん?

そうやねん。 まさに、めれちゃんが「にこちゃん」を思う手記の中に、わては「万葉の心」、つまり、「動物との間にも相聞の心を読み取る根本のモチーフ」を感じ取ったのやないかいなァ。


 
 
にこちゃんへ


(nico002.jpg)

にこちゃんは、もしかすると
天使なのかもしれないね
にこちゃんは、自分のぶんのしあわせまで、
誰かにあげちゃうのかもしれないね

今もどこかにいる、にこちゃん!
迷子になってるの?


(nico003.jpg)

にこちゃん。
まだまだわたしは
にこちゃんに、しあわせをあげないと
いけないのですよ。
だから、帰ってきてね。
にこちゃん。
迷い猫のにこちゃん。

まつとしきかばいまかえりこむ


(nico001.jpg)

こんな姿、もう見られないのかな。

ごめんね。にこちゃん。
しあわせにしてあげられなくて。
どうしておんなじ猫なのに
にこちゃん本当に不憫すぎる。

人間のエゴの犠牲になったにこちゃん。
ちがう。
わたしがもっとしっかりしていれば、
わたしがもっと早く自分の現実に気づいていれば、
わたしがもっとよく考えていたら、
今、ここにはにこちゃんがいたのに。

にこちゃんが野良猫になるなんて、
考えただけでもゾッとする。

だって、にこちゃん臆病すぎるから、
他の猫に、いじめられそうだから。
 
 
by めれんげ

July 14, 2013 11:49 AM



『極私的詩集』 (にこちゃんへ)より




デンマンさんにもマジでわたしの“にこちゃん”を想う悲しみが解かりはったん?



もちろんやがなァ〜。。。  そやから、わてはコメントにも書いたのやでぇ〜。。。


伝万

July 15, 2013 04:52



『めれちゃんの再開(会)』

上の記事でも書いたことだけれど、タンタンとねねが仲良くなって。。。
それはわかっていたのだけれど、3匹いたはずだったんだよね。
 
にこチャンだったんだね!
上の記事を読んで思い出しましたよ。
迷子になっちゃんたのォ〜?
う〜〜ん。。。
また、ぴょこんと戻ってくるといいね。


(nico005.jpg)

それにしても冒頭の写真がめちゃかわいいね。
まるで母と子のように見える。
 
また、猫の観察日記をたくさん書いてね。
きゃははははは。。。



コメント欄より




めれちゃんは意外に繊細な感じやすい感性を持っているねんなァ。



あんさん。。。 今頃、解かりはったん?

めれちゃんの次の返信を読んで、改めて、そう感じたのやがなァ〜。。。


 (すぐ下のページへ続く)



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