愛より大切なものってぇ?(PART 1)
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ケイトー。。。 愛よりも大切なものがあるのォ〜?
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あれっ。。。 シルヴィーは知らなかったのォ?
だってぇ〜、9月21日に次の記事を書いたばかりじゃない!
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■『愛情はふる星のごとく』
つまり、“愛情はふる星のごとく” くまなく地球のネット市民の民様に降り注ぐ。。。 という事は、要するに 戦争のない明るい世界になるということじゃない。 愛こそすべて、とケイトーは言いたかったのでしょう?
いや。。。 僕はそれほどセンチメンタルじゃありませんよ。
でも、戦争の源(みなもと)になっている憎しみよりも、愛の方がよっぽど素晴らしい、大切なものだと言うことでしょう?
その通りですよう。
それにも拘(かかわ)らず愛よりも大切なものがあるとケイトーは言いたいのォ〜?
いけませんか? (微笑)
それってぇ、いったい何よ?
だから、今日は『愛情はふる星のごとく』の続きをシルヴィーと語り合おうと思ったのですよ。
分かったわ。。。 で、何を言い残したのよ?
ちょっと尾崎秀実の略歴をもう一度読んでみてよ。
尾崎 秀実(おざき ほつみ)
誕生: 1901年(明治34年)4月29日
刑死: 1944年(昭和19年)11月7日
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尾崎秀実は日本の評論家・ジャーナリスト・共産主義者。
朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。
近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。
共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして活動し、最終的にゾルゲ事件として1941年発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。
報知新聞記者の父・秀真(ほつま)の子として東京芝伊皿子町で生まれる。
5ヵ月後、父が台湾総督府の後藤新平の招きを受け、台湾日日新聞社漢文部主筆として赴任したことから、台湾で育つ。
台北中学、一高を経て、東京帝国大学法学部を卒業、大学院で1年学んだ。
この前後に共産主義のシンパになるが、運動には携わらなかった。
たとえば、一高時代に森戸事件が起きたが、特に社会運動に参加はしていない。
しかし、大正12年の関東大震災で無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝、大杉の6歳になる甥が憲兵隊に殺害された事件に触発され、社会主義研究を始める。
テキストはマルクスの『資本論』をはじめ、レーニンの『帝国主義論』、『国家と革命』であり、中国問題に着目するようになったのはカール・フォーゲルの『目覚めつつある支那』を読んでからである。
上海へ
昭和2年10月から翌年の大阪朝日新聞の支那部に籍を置く。
この大阪赴任中、一高の先輩で日本共産党員の冬野猛夫に会い、影響を受ける。
上海に渡る直前に、一高、東京帝大で同期でドイツ帰りの羽仁五郎から現地の新聞の研究・分析の重要性について教わる。
その後、特派員として昭和2年11月に大阪朝日新聞社上海支局に転勤し、英語とドイツ語に堪能な尾崎は、太田宇之助支局長のもと外交方面を受け持つことになる。
上海滞在中、内山書店に通い、店主の内山完造や、そこに出入りする郭沫若や魯迅、中国左翼作家連盟の夏衍と交際する。
また中国共産党とも交流した。
昭和3年11月、イレーネ・ワイテマイヤーが経営するツァイトガイスト(ドイツ語で「時代精神」の意)書店でアグネス・スメドレーに会い、コミンテルン本部機関に加わり諜報活動に間接的に協力するようになる。
さらに、常盤亭という日本料理店において、スメドレーの紹介で、フランクフルター・ツァイトング紙の特派員「ジョンソン」ことリヒャルト・ゾルゲと出会う。
彼を通じてモスクワへ渡った南京政府の動向についてのレポートが高く評価され、南京路にある中華料理店の杏花楼で、ゾルゲから自分はコミンテルンの一員であると告げられ、協力を求められ、承諾する。
実際に尾崎をゾルゲに紹介したのはアメリカ共産党員で当時上海にあった汎太平洋労働組合(PPTUS)書記局に派遣され、満鉄傘下の国際運輸という運送会社に潜り込んでいた鬼頭銀一である。
出典: 「尾崎秀実」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤字にした所に注目して欲しいのですよ。
大正12年の関東大震災で無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝、大杉の6歳になる甥が憲兵隊に殺害された事件に触発され、社会主義研究を始めるというのが重要なわけ?
その通りですよ。 そもそも、これが尾崎秀実がスパイになる原点だったのですよ。
どういうわけで。。。?
あのねぇ〜、大杉栄は内縁の妻・伊藤野枝と、神奈川県橘樹郡鶴見町(現在の横浜市鶴見区)に住む大杉の妹・あやめを見舞い、その息子の橘宗一(6歳)をつれて東京に戻る途中、行方不明になった。
誰が誘拐したの?
憲兵隊が彼らを連行して、結局殺してしまった。 次のような事件ですよ。
甘粕事件
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元憲兵大尉・甘粕正彦
満州映画協会理事長・時代
甘粕(あまかす)事件は、関東大震災直後の1923年9月16日、アナキストの大杉栄・伊藤野枝と大杉の甥・橘宗一の3名が憲兵隊に連行・殺害されたとされる事件。
主犯は憲兵大尉・甘粕正彦らとされる。
関東大震災後、東京や神奈川が混乱に陥り戒厳令が発せられていた。
その最中、彼らが憲兵隊に連れ去られたといううわさが広まり、9月20日、時事新報や読売新聞などにより大杉ら3人の殺害が報じられた。
日本を騒がせるアナキストであり恋愛スキャンダル(日蔭茶屋事件)でも世間に有名になった大杉・伊藤の二人に加え、6歳の小児までも殺されたとあって世間は騒然となった。
陸軍と対立する警視庁は捜査を要求。
また、殺された大杉の甥・橘宗一がアメリカ合衆国の市民権を持っていたため、在日アメリカ大使館の抗議を受けて政府は狼狽し、9月19日の閣議でも問題になっていた矢先の報道であった。
隠し通せなくなった軍は9月20日付で東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長であった甘粕正彦大尉を軍法会議に送致し、福田雅太郎戒厳司令官を更迭、憲兵司令官小泉六一少将らを停職とした。
甘粕大尉は、これは全て一個人の判断によるもので誰から指示された訳でもないと主張したが、当初からこの事件は憲兵隊や軍の上層部の関与が疑われていた。
甘粕大尉は審理の中で、「個人の考えで3人全てを殺害した」から「子供は殺していない。菰包みになったのを見て、初めてそれを知った」まで何度も証言を変えており、最終的には部下の供述から「甘粕大尉が子供も殺せと命令した」と断定されている。
また共犯の部下からは「憲兵司令官の指示により殺害した」など、軍の関与をうかがわせる供述まで飛び出した。
しかし軍法会議は甘粕の背後関係には立ち入らず、12月に甘粕大尉に懲役10年、森曹長に同3年、その他殺害に関与したとされていた部下3名に無罪の判決を下して結審した。
出典: 「甘粕事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、尾崎はこの事件に衝撃を受けたのね?
その通りですよ。 一般庶民が平凡に暮らそうとしているところを憲兵隊という国家権力の手先が“家庭(愛の巣)の平和”を乱してしまうどころか、その人たちの命まで奪ってしまう。 “こんな世の中がいいわけない!” 尾崎はそう思ったわけですよ。 それで彼は社会主義研究をするようになり、やがて愛と平和の世界を目指してスパイ活動に集中するようになってゆくのですよ。
尾崎はマジで“愛と平和な世界を目指して”スパイ活動をしたわけなの?
あのねぇ〜、尾崎の活動を応援したり、彼の信条に共感を覚えていた人たちは 尾崎が刑死した後でも彼のことを「真の愛国者」、「献身的な反戦主義者」として尊敬しているのですよ。
でも、スパイか活動に専念するということは日本と日本国民を欺いたことになるでしょう!
でもねぇ〜、当時の日本は一部の軍人によって政治が左右されていた。 いわば軍事政権に近いものだった。 だからこそ国家権力の手先であった憲兵隊が一般市民を拉致して殺害してしまう。
...で、その国家権力の手先として動いたのが甘粕大尉だったわけなの?
いや。。。 この甘粕大尉も国家権力の犠牲者だった。
どういうことよ?
あのねぇ〜、甘粕大尉は懲役10年の刑を受けた。 でもねぇ、3年弱、千葉刑務所において刑に服しただけで、1926年(大正15年)の10月にひっそりと釈放された。 その後陸軍の官費で夫婦でフランスに留学し、後に満州に渡って満州事変に関わることになる。
どうして、そういうことになるのよ?
なぜなら、甘粕大尉は実際には手を下してないのですよ。 彼は、言わば、身代わりになって全責任を自分一人がかぶったような形で責任を取った。。。 と言うより、軍の上層部から責任を取らされた。 だから、軍の上層部の計(はか)らいで、わずか3年の刑を済ませると、ほとぼりを冷(さ)ますために官費でフランスに留学し、後に満州に渡って満州映画協会の理事長に就任した。
マジで。。。?
僕はウソを言いません。。。 こういう一連の事実を見てゆくと甘粕大尉は身代わりになって責任を一人でかぶったことが実によく解かる。 しかも、満州時代の甘粕は、満州映画協会幹部らとの私的な席で「僕はやっていない」という発言をしている。
でも、それは本人が口で「デマカセ」を言うことだってあると思うわ。
あのねぇ〜、甘粕大尉が手を下していないだろうという状況証拠もあるのですよ。
どのような。。。?
当時の陸軍・特高警察の指揮系統では、甘粕大尉が部下に「大杉一家殺害」を命令するのが不自然である。 また、甘粕大尉の供述によれば、殺害前の甘粕と伊藤野枝が尋問中にウィットに富んだ会話を交わしており、殺害を前提としているとは考えにくい。 更に、甘粕大尉は裁判で証言をたびたび変えているのだけれど、彼の性格から、そのようなことはありえない。 明らかに、軍の上層部の意向が彼の証言を左右しているように思える。
でも、人間だから、一時の迷いということもあるのじゃない?
いや。。。 甘粕大尉の生涯を見てゆくと、証言を変えるような人ではないのですよ。
ケイトーは、どうして見てきたようなことを言うの?
あのねぇ〜、甘粕大尉には終戦の時に、こういうエピソードがあるのですよ。
8月15日。敗戦は満州国はもちろんのこと、満映にとっても甘粕にとっても全ての終わりでした。
8月16日、彼は満映の会議室に日本人社員を集めて、「私は死にます」と告げたのです。
続いて次のように言ったのです。
「皆さんは前途春秋に富む方が多いのですから、長く祖国再建のために働いてください。
そして、ここに残っている婦人と子供を頼みます。日本に帰れるように。。。」
次に甘粕は中国人社員を集めて次のように言いました。
「これからは皆さんがこの会社の代表となって働かなければなりません。
しっかり頑張ってください。いろいろお世話になりました。
これからこの撮影所が中国共産党のものになるにしろ国民党のものになるにしろ、
ここで働いていた中国人が中心になるべきであり、
そのためにも機材をしっかり確保することが必要です」
続いて甘粕は、満映の銀行預金を引き出して全員に退職金を支給しました。
日本人従業員は、甘粕が関東軍と交渉して用意した列車に乗って帰国し、
後に東横映画株式会社を作ります。
東横映画は現在の東映株式会社の前身です。
理事長は死ぬつもりだ、満映の社員は誰もがそう確信していましたから、
その日以来甘粕には見張りをつけて四六時中監視していました。
8月20日、ソ連軍が新京(現在の長春)に侵入すると甘粕は、
満映の理事長室で隠し持っていた青酸カリを飲んだのです。
うめき声に気がついて人が駆けつけましたがもはや手遅れ。
死を看取ったのは主事の赤川孝一と映画監督の内田吐夢でした。
赤川孝一は作家赤川次郎の父親です。
その数日前、理事長室の黒板には次の辞世の句が書かれていたそうです。
大ばくち もとも子もなく すってんてん
満州国そのものが大ばくちでした。
満州国総務庁の武藤富男は次のように言っています。
「甘粕には私利・私欲がなく、生命に対する執着もなかった。
彼とつきあった人は、甘粕の様な生き方が出来たら…と羨望の気持ちさえ持った。
また、そこに魅せられた人が多かった」
満映の理事長時代、甘粕は日本人・中国人を問わず、ある面では恐れられ、またある面では慕われていたのです。
あのねぇ〜、「死ぬ。死ぬ」と言う人に限って、いざとなると死ねないものですよ。 甘粕は「武士に二言にない」と言う生き方を貫いた。 だから、甘粕が「僕はやっていない」という発言は真実だったのですよ。
解かったわ。。。で、「愛より大切なものってぇ?」どうなったの?
尾崎秀実は拘置所に入っている間に、こまめに妻子に宛てて手紙を書いたのですよ。 その手紙を尾崎が刑死してから英子さんが書簡集として出版したのが『愛情はふる星のごとく』という本なのです。
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この『愛情はふる星のごとく』は隠れたベストセラーになった。 手紙を読むと、あの息も詰まるような戦争中に自分の意志を貫き通して生きる尾崎の姿が見えてくる。 しかも、行間には妻子を思う夫としての尾崎、それに父親としての尾崎の愛情がにじみ出ている。 そういうところが特に女性の共感を得たようですよ。
あらっ。。。 そうなのォ〜? もし英訳が出ているのなら私も読んでみたいわ。
探してぜひ読んでみてください。
それで、愛より大切なものってぇ?
あのねぇ〜、一般庶民が平凡に暮らそうとしているところを国家権力が暴走し始めると、憲兵隊という国家権力の手先が“家庭(愛の巣)の平和”を乱してしまうどころか、その人たちの命まで奪ってしまう。 尾崎は “こんな世の中がいいわけない!” と思って立ち上がったのですよ。
でも、どうしてスパイ活動をしないといけないの?
戦争の無い、愛と平和の世界を立ち上げるには社会主義しかないと信じるようになったのですよ。 それを早く実現させるにはソ連に頑張ってもらうしかないと。。。
でも、結局、ソ連は崩壊してしまったじゃない。
そうです。 ソ連の中にもスターリンのような独裁者が出てきて、彼が言わば国家権力として暴走を始めた。 尾崎が生きていたら嘆いたでしょう。 つまり、いつの時代でも市民が“井の中の蛙(かわず)”になていると、国家権力が暴走し始めると言うことですよ。
要するに、井の中の蛙にならずに、しっかりと目を外に向けなければならないと言うことなのね。
そういうことですよ。
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