レダの卵 (PART 2 OF 3)
ラピスラズリ と
美女アメニア
(アフロディテ神殿)
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Birth of Aphrodite
by Alaxandre Cabanel
(painted in 1863)
「ロブソンさん、なんだかとてもまぶしい絵を貼り付けましたね」
「すばらしいと思いませんか?ジューンさんはどんな印象を持ちますか?」
「そうですね。なんだかハッとさせられるような絵ですね」
「この絵は今から140年以上も前に描かれたんですよ。ごく最近描かれたと言っても十分に通用するでしょうね」
「私は絵のことはあまり分かりませんけれど、キューピッドを描く人は最近ではあまりいないのではないですか?私は、キューピッドが宙に浮いているのを見てイタリアのルネッサンスの頃に描かれたのではないかと思ったくらいです」
「ほォ〜〜〜、ジューンさん、絵のことには詳しくないと言いながら、けっこう知ってますね。僕より詳しいのじゃないですか?」
「いえ、それ以上のことは知りません。でも、140年前に描かれたということはちょっと信じがたいですね」
「どうして?」
「1863年に上の絵は描かれたんでしょう?ということはアメリカでは南北戦争の真っ最中ですよ」
「このアレクサンダー・カバネルはフランス人ですよ。だから戦争とは縁がなかったんですよ」
「私が驚くのは、こんなヌードがよく問題にならなかったと思って。。。当時、アメリカやカナダでなら展示禁止になったかもしれませんよね?」
「恐らくジューンさんも、そう言うだろうなと思ってこの絵を貼り付けたんですよ」
「パリだから問題にならなかったのですか?」
「そうではないですよ。パリだから問題にならなかったんじゃなくて、この絵の中の裸の女がアフロディテだから問題にならなかったんですよ。もし、この絵の女がパリのカフェのウエイトレスだったら、大問題になったはずですよ」
「どうしてですか?」
「僕が前のページで言ったように、『オディッセイ』を調べているうちに、この大叙事詩が欧米人の原点のような気がしてきたんですよ。つまり、現代欧米文明は古代ギリシャ文明、古代ローマ文明から営々と続いていると考えている人が多いんだよね。だから、上の絵が描かれた当時、フランスやイギリスの大学では、古代ギリシャ古代ローマの古典をとにかく飽きるほど勉強させられた。そういうわけで、『オディッセイ』を暗記するほど勉強する人も珍しくなかった。つまり、ギリシャの古典やローマの古典は必須科目だったわけですよ。だから、上の絵の女がアフロディテだから問題にならなかったんです」
「そうでしょうか?」
「ジューンさん、僕がでたらめを言っているとでも思ってるの?」
「そういうわけではないですけれど。。。」
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Aphrodite (Venus)
with Organist and Cupid
by Tiziano Vecellio
(painted in 1548)
「この絵はイタリア・ルネッサンスの巨匠ティツィアーノ(Tiziano)が1548年に描いたんですよ。アメリカもカナダもまだ出来ていない時代です。日本は戦国時代でした。1548年という年は織田信長と濃姫が結婚した年です。もし、この絵が日本で展示されたら、戦争などほっぽりだしてビックリしたでしょうね。では、なぜ、イタリアのルネッサンスで、このヌードが問題にならなかったのか?それは、この絵の中の女がアフロディテだったからですよ。」
「そうでしょうか?」
「ジューンさん、疑い深いですね。それ以外に答えはありませんよ。そもそもルネッサンスと言うこと自体がギリシャの古典を改めて認識するということでしたからね。この伝統がカバネルが上の絵を描いた頃にも引き継がれていたわけですよ。だから、アフロディテのヌードをポルノなどと言って騒いだら、その人こそ女神を冒涜する者として教養のない愚か者とみなされたわけですよ」
「ちょっと信じがたいですけれど。。。」
「ジューンさん、無理して僕の言うことに疑いを挟むことはないですよ。ジューンさんだってルネッサンスのことはよく知っているでしょう?」
「ええ、知っていますよ。一応勉強させられましたから。。。」
「でしょう?」
「でも、アフロディテのヌードが、なぜ許されたのかまでは説明をよく聞きませんでした」
「ジューンさんがサボって、聞きはぐってしまったんですよ。とにかく、そのような風潮が西洋のルネッサンスにできあがったんです。いわゆるエリートの中ではそのように考えることがあたりまえになったんですよ。つまり、アフロディテのヌードをポルノだと決め付けることはダサいと思われたわけですよ。ギリシャの古典を知っていれば、アフロディテが愛の女神である事を知っている。その愛の女神が裸であっても決して可笑しいことではない。そのことを問題にして、口うるさい無知なオバタリアンのように騒ぎ立てることはみっともないという気風が出来上がったわけです」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。それ程ギリシャ古典は当時のエリートにとって金科玉条のごとくに考えられていたわけです」
「つまり、アフロディテは古代ギリシャの愛の女神だった。その女神が裸であることは神聖なことであった。だから、ルネッサンス当時、裸のアフロディテを描くことは問題にならなかった。そう言うことですか?」
「その通りですよ」
「。。。」
「ジューンさん、なんだかまだ納得がゆかないようですね?」
「あの絵の中のオルガンを弾いている男の人ねェ。。。」
「うん、オルガニストが居ますよ。その男がどうかしましたか?」
「あの人、わき見をしながら弾いていますよね。しかも、ちょっとあなた、どこを見ながら弾いているの?と問いかけたくなるような見方をしていますよ」
「ジューンさん、なかなかいいところに気が付きましたね。へへへへ。。。。」
「何ですか、その可笑しな笑いは?」
「いや、失礼いたしました。でも、言われてみると、確かにオルガン弾きはかなりじっくりと、しかも大胆にアフロディテのあそこを覗いていますよね。彼女がキューピッドと話をして気を奪われているのをいいことに、かなり大胆に覗いていますよ。僕も、オルガニストと同じ状況に置かれたら、同じようにすると思いますよ。へへへへ。。。。」
「でも、この画家は、どうしてそのようないやらしい男を描いたのですか?」
「美術書などを見ると、この絵はallegorical workだと書いてあるのが多いですよ」
「寓話的な作品だということですか?」
「その通りですよ」
「どこが?」
「ジューンさんがこのオルガン弾きの男のことをいやらしい、と言ったけれど、まさにそこのところに僕は寓話的なものを感じるのですよ」
「どういうことですか?」
「このティツィアーノという巨匠は長生きした人なんですよ。生まれたのが1490年。上の絵を描いたのが1548年だから、58歳の時に描いたわけですよ」
「随分年をとってから描いたんですね」
「確かに若くはない。だから、とりわけ裸の女を描く必要はないんですよ。僕なら、真っ裸の女より薄い下着を身にまとった女のほうがよっぽどエロっぽく感じられますよ」
「それなのにどうしてこの画家は裸のアフロディテを描いたのですか?」
「この絵を描いた当時、このティツィアーノはすでに巨匠としての名声を築いていた。だから、この画家が描く物は誰も正面きって非難することは出来なかったでしょう。そういうわけで、僕はこの絵に風刺的なものを見るんですよ」
「どこが風刺なのですか?」
「ジューンさんはガリレオの宗教裁判を知っているでしょう?」
「ええ、知ってますよ」
「ガリレオ・ガリレイは1564年にイタリアのピサで生まれ1642年に亡くなっている。ティツィアーノが1576年にベニスでなくなった時、ガリレオは12歳だったと言うわけですよ」
「ガリレオとティツィアーノの間には何か関係があるのですか?」
「直接の関係はない。でも二人とも宗教界に対してはあまりいい印象は持っていなかったはず。上の絵に僕はティツィアーノの宗教界に対する風刺を見るんですよ。この当時の宗教界と言うのはほとんど絶対的な権威を誇示していた。そのことがガリレオの宗教裁判に実によく表れている。ガリレオは、1632年に論文『天文対話』の中で『地動説理論』を発表したんですよ。そのために宗教裁判にかけられた。これはジューンさんも知っての通り。『地球は動いていない』と言わされ、やっと命は助かった。しかし、彼は有罪になった」
「でも地動説は正しかったのですよね」
「もちろん、そうですよ。小学生でも地球が太陽の周りを回っている事を知っていますよ。でもローマの法王庁はそれを認めなかった」
「天動説を通したのですか?」
「そうですよ」
「ウッソォー」
「ガリレオの死後350年たった1983年(昭和58年)に宗教裁判で有罪となったガリレオ・ガリレイに対してローマ法王ヨハネ・パウロ2世がやっと宗教裁判の誤りを認めて謝罪したんです」
「マジで?」
「もちろんですよ。僕はマジですよ。これは事実なんですよ」
「なんだか笑い話のようですね?」
「笑えない笑い話ですよ。それ程宗教界の権威と言うのはすごかったんですよ」
「それで、上の絵のどこが風刺なんですか?」
「ジューンさんにはまだ分かりませんか?」
「分かりません。どういうことですか?」
「つまりね、アフロディテとキューピッドを描いていることになっていますが、あれは、当時のごく普通の女と子供を描いたんですよ。アフロディテを描いたんじゃありませんよ」
「どうしてそうはっきり言えるのですか?」
「もし、本当にアフロディテを描いたのなら、キューピッドはちょうど一番上の絵のように背中に羽が生えて居なければならないんですよ。ジューンさんも言ったでしょう。キューピッドが宙に浮いているから、あの絵がルネッサンス時代に描かれたものかと思ったと。。。」
「その通りです」
「一番上の絵を見れば、誰が見ても宙に浮いている子供はキューピッドに見えますよ。でも、ティツィアーノが描いた絵を見てください。誰も何も説明しなければ、これはどう見ても裸の女を描いたものですよ。よく見ると子供の背中に羽らしき物が生えているけれど、キューピッドだと聞いて初めて、羽が申し訳程度に生えている、ということが分かるんですよ。つまり、言い訳のために、不自然な羽をちょっと描き添えている。そうじゃないと、ガリレオのように宗教裁判にかけられてしまいますからね」
「つまり、ティツィアーノはアフロディテと見せかけて、ごく普通の裸の女を描いたというわけですか?」
「その通りですよ。」
『ラピスラズリ と 美女アメニア』より
(2005年7月9日)
(デンマン注: 上のオリジナルの記事の中では2つの絵は全裸ヌードで掲載されています。)
なるほどォ〜。。。
何がなるほどなのですか?
つまり、「言葉狩り」、「写真狩り」を続けているアメブロのファシスト管理人は、かつて天動説を信じていたローマ法王のようだとデンマンさんは言いたいのですわね。
あれっ。。。 ジューンさんはそう思ったのですか?
だってぇ、そのためにこの記事を書いたのでしょう?
う〜ん。。。 まあ、当たらずとも遠からずですねぇ。 うへへへへへ。。。
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(すぐ下のページへ続く)