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鑑真と定慧の物語(PART 3 OF 3)

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鑑真と定慧の物語(PART 3 OF 3)




あらっ。。。デンマンさんは、このような記事を書いていたのですか?



小百合さんは、やっぱり読んでいなかったのではありませんか!

たまには見逃していることだってありますわ。。。それに、ずいぶん昔の記事ではありませんか!

10年も昔の記事ではありませんよ。。。まだ書いてから5年も経てませんよ。 

でも、3年以上前に書いた記事ですわ。 ネットの世界では3年は一昔ですわ。 それで、定慧さんを持ち出してきてデンマンさんは何が言いたいのですか?

あのねぇ、昔の人たちは生きるか死ぬかの思いをして事に当たった。 もし定慧さんが日本へ帰って来て、すぐに暗殺されなかったならば、現在の日本人の誰もが知っている名前だったのですよ。 つまり、藤原鎌足の次男の藤原不比等よりも長男の定慧さんの方が日本史でチョウ有名人になっていたのですよ。

でも歴史に If はありませんわ。

小百合さんは、このような時に皮肉めいたこと言うのですね?

だってぇ〜、歴史家であれば誰だって、そのような決まり文句を言いますわァ。

だから僕は歴史家が嫌いなのですよ。 とにかく、暗殺されなかったら定慧さんは日本史に名を残すほどの偉大な事を行ったに違いない!

だから、それも If ですわよ。 デンマンさんは、長々と上の古い記事を引用して、ただその事が言いたかったのですか?

違いますよ! 現在の自殺者の数を見てくださいよ。 1年に3万人以上の人が自殺している。 1日に100人近い人が自殺しているのですよ。 つまり、パソコンに向かってこの記事をここまで書いている間に、およそ5人の人が自殺しているのですよ。

まさか。。。?

まさかじゃありませんよう! 確率と統計論から、十分に立証することができるのですよ。

それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?

だから、僕は鑑真さんと定慧さんの物語を持ち出してきたのですよ。 自殺する気になれば日本史に名を残す程の偉大な事ができるではないかと。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ〜。。。
確かにデンマンさんのおっしゃることも分かるのでござ〜♪〜ますわ。
でも、そういう気持ちになれないから自殺するのですわ。
そこの所をデンマンさんは理解していないと思うのですう。
あなたは、どう思いますか?

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

鑑真和上も有名ですけれど

道鏡和上も有名ですよね。

道鏡さんは本当に悪者だったのでしょうか?

わたしは偉いお坊さんだったと思うのですわ。

なぜなら、当時、僧を目指すということは、

言葉を換えれば人間にある全ての欲を絶つことでした。

色欲、物欲、権力欲など、相当な覚悟と

それに打ち勝つ強靭な精神力が必要だったのですわ。

生半可な人間にはとうてい真似の出来ないことでした。

道鏡さんは語学にも才能があったと見え、

留学僧でもない道鏡さんが兄弟子・良弁に付き添って

唐招提寺の鑑真さんを訪れた時、

二人の会話が理解できたと言います。

道鏡さんはさらに難解なサンスクリット語にも

精通していたのです。

辞書も教科書も、ましてやテープもない時代に

異国語を習得することは大変なことでした。

あなただって、想像がつくでしょう?

だから、道鏡さんが相当の頭脳の持ち主であったことは

まず間違いないようです。

でも当時、悪い僧侶も確かに居ました。

仏教が隆盛するに伴い、

様々な問題も現れ始めていたのです。

まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきました。

生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、

勝手に出家し僧を名乗るようになってきたのです。

これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える

“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決めました。

それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて

日本にやって来たというわけです。

以来、僧侶として認められるためには、

“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。

この“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を

持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、

そして東国の下野(しもつけ)薬師寺の

3カ所と定められました。

これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。

道鏡のレベルの僧侶になると、

セックスにむちゃくちゃをするような僧は

まずその地位を保つことが出来ません。

この当時の宗教界は、それ程腐ってはいません。

とにかく鑑真和上が居た頃の話ですから。。。



ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような

恋物語がありますわ。

関心があったらぜひ次のリンクをクリックして

じっくりと読んでみてくださいね。

『平助さんが卑弥子さんに

恋をしたのがウンのつき』


では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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