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愛しの敦煌(PART 1 OF 3)

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愛しの敦煌(PART 1 OF 3)




莫高窟の大雄宝殿



敦煌市街に立つ飛天像



わたしは10年前に吉川小一郎氏の話を聞いて以来、今までに5回ほど敦煌を訪問した。 5万点以上の貴重な古文書類が出土した蔵経洞にも入ってみた。
「こんな小さな窟に…」
いささか拍子抜けするような小さな石窟である。
北側の壁面には、この石窟の主人公である洪辨像の背後に双樹と二人の侍者が描かれている。
向かって右側の小柄な比丘尼(びくに)に見える。 唇に紅(べに)をさしている。 手には双鳳(そうほう)を描いた団扇(だんせん)を捧げている。
左側は男装の麗人。 髪を双髻に結い、丸襟の長い上着の腰に帯を締めている。 豊頬につくられているが、表情に憂いを帯びた樹下美人である。



数ある莫高窟壁画の傑作中でも、ただ一つだけを挙げよと言われるなら、わたしは躊躇(ちゅうちょ)なくこの絵を選びたい。 800年以上もの永きにわたって秘庫に隠され続けてきた文書とともに、この壁画もまた20世紀人に贈られた美の宝だ。



(注: 赤字はデンマンが強調
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)



95ページ 『敦煌ものがたり』
著者: 東山健吾・松本龍見・野町和嘉
1997年3月5日 第12刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




デンマンさんは敦煌に行ったことがあるのですか?



あるのですよ。 もう10年以上も前のことですけれどね。

シルクロードをラクダに乗って行かれたのですか?

まさか!?。。。いくらなんでもラクダに乗って月の砂漠を行くわけないでしょう。

デンマンさんならばやりそうですわ。

あのねぇ、千年も昔ならばいざ知らず、飛行機が空を飛んでいる時代ですよ。 月の砂漠をラクダに乗って行ったら、1ヶ月や2ヶ月では敦煌に着かないですよ。

では、日本から敦煌まで直通のジェット機に乗ったのですか?

いや。。。それほど便利にはなってません。 まず北京へ行ってそこから蘭州(らんしゅう)へ飛び、プロペラ機に乗り換えて敦煌の飛行場に降り立つのですよ。

その日のうちに敦煌へ行けるのですか?

飛行機に乗っている時間は10時間ほどなのです。 でもねぇ、連絡が悪いので当時、その日に敦煌には着きませんでしたよ。 やっぱり、成田からバンクーバーに行く方が感覚的にはずっと近いです。 便利にできてますよ。 なにしろ直通ですからね。。。

...で、どうして今更、敦煌などを持ち出してきたのですか?


たまたま『敦煌ものがたり』を読んでいたら上の文章に出くわしたのですよ。 その著者は「数ある莫高窟壁画の傑作中でも、ただ一つだけを挙げよと言われるなら、わたしは躊躇(ちゅうちょ)なくこの絵を選びたい」と書いている。





上の写真がその絵なのですか?



本の中には、この絵は掲載されてないのですよ。 でもねぇ、蔵経洞には文章中で述べている絵に該当するものは、この上の絵しかないのですよ。

。。。で、デンマンさんは上の絵が気に入らないのですか?

気に入りません。 上の絵は僕にはつまらない絵でしかない。。。 もちろん、「蓼(たで)喰う虫も好き好き」と言いますからね。 人によって気に入った絵は違っていて当たり前なのですよ。

。。。で、デンマンさんが気に入っている絵はどの絵なのですか?

次の絵ですよ。






樹下説法図の右脇侍菩薩

57窟の壁画
初唐に制作された。
宝冠・胸飾・瓔珞(ようらく)・耳環・臂釧(ひせん)・腕釧など金色の装身具によって美しく飾られている。
上半身には連珠文(れんじゅもん)をあしらった錦の僧祇支をまとい腹部を綾織の帯で縛る。
宝冠の中央に化仏が描かれているので観音菩薩と考えられ本図が阿弥陀浄土をあらわしていることがわかる。




この絵のどういう所に魅力を感じるのですか?



やっぱり、シルクロードと言えば「国際色」ですよ。。。

「国際色」がそれ程デンマンさんを惹きつけるのですか?

やだなあああァ〜。。。小百合さんも「国際色」に惹かれるでしょう?

どうしてデンマンさんは、そう思うのですか?

小百合さんのDNAにも僕のDNAにも「海外飛躍遺伝子」が載っているからですよ。 次の記事で語り合ったばっかりじゃないですか!?





『定慧と小百合の物語』

 (2011年6月8日)



つまり、私にも海外志向があるとデンマンさんは思っているのですか?



違うのですか?

確かに13年間もバーナビーに別荘を持っていたのですから、海外志向が無いとは言えませんわ。

そうでしょう!? 僕も人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね。 やっぱり、絵を見ても国際色に目が留まるのですよ。

上の絵のどこに国際色が出ているのですか?

表情もどこか国際的ですよ。 ペルシャ人の面影があるでしょう!?


ソグド人と連珠文

4世紀になると、ソグド人は敦煌に居住して貿易を営む者も出てきた。 スタインが玉門関周辺の長城の烽火台(ほうかだい)から発見したソグド文の手紙には、サマルカンドから来たソグド人百人が敦煌に在住していること、敦煌から麻布と毛布を金城(きんじょう:現在の蘭州付近)へ運んで売ったこと、(ソグディアナから)香料の荷が着いたことなどが書かれている。

7〜8世紀の唐代に至っては、敦煌の従化郷(じゅうかごう)にソグド人の集落があったことが敦煌学の権威・池田温氏によって考証された。 この郷は他の漢人集落と同等に扱われ、郷内にはゾロアスター教の神殿があったという。

ソグド人はペルシア風の銀器・銅器の製作にすぐれていたが、敦煌壁画に描かれたペルシア風の水瓶などは当時ソグド人の職人が製作したのではないかと私は考えている。



菊の連珠文

6世紀以降、敦煌壁画や菩薩の着衣の意匠に多用された連珠文(れんじゅもん)は、ソグド人がブハラからもたらしたソグド錦(にしき)の文様の影響であろう。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)



97ページ 『敦煌ものがたり』
著者: 東山健吾・松本龍見・野町和嘉
1997年3月5日 第12刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




このソグド人というのはイラン系のオアシス灌漑農耕民族ですよ。 つまり、古代ペルシャ人の血を受け継いでいる子孫ですよ。 商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動をしてきたのです。



「樹下説法図の右脇侍菩薩」もソグド人の容貌をしているのですか?

東洋人の表情ではないですよ。 どう見てもペルシャ人の表情が混じっているように僕には見えるのですよ。

つまり、そこに惹かれるのですか?

いや。。。1000年以上前にも国際交流が盛んだった事に僕は改めて感慨を深めているのですよ。

ただそれだけのことですか?

いや、違いますよ。 楊貴妃も実は「樹下説法図の右脇侍菩薩」のような人ではなかったのかと僕は信じているのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。。。僕はかつてこの事で記事まで書いたのですよ。

 (すぐ下のページへ続く)



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