カスカディアと自己顕示欲(PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 カスカディアってぇ Cascadia のことでしょう?
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そうですよう。
Cascadia が 三島由紀夫と関係あるのですか?
いや。。。 直接関係あるわけではありません。
でも、カスカディアの旗の写真の下に三島由紀夫の写真が貼ってあるではありませんか!
三島さんは自己顕示欲が強かったんじゃないか!? タイトルを「カスカディアと自己顕示欲」としたので、「自己顕示欲」というイメージが三島さんのイメージと結ぶついたのですよ。
ただ、それだけのために三島由紀夫の写真を貼り出したのですか?
そうです。。。 いけませんか?
デンマンさんにも言論の自由と表現の自由がありますから、別にかまいませんけれど、「カスカディア」と言っても、日本に住んでいる皆さんは、知らないと思いますわ。
たぶんそうでしょうねぇ〜。。。 知らない人のために、ウィキペデアから要点だけをここに書き出します。
カスカディア(Cascadia)
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カスカディアは、北アメリカ太平洋岸北西部で小規模で草の根の環境運動で提唱された独立主権国家に提案されてきた名前である。
この国はカナダのブリティッシュコロンビア州、アメリカ合衆国のオレゴン州およびワシントン州が合体することにより形成されると仮想されていた。
この種の「連邦」は合衆国やカナダからの脱退を必要とした。
カスカディアは最大領域の場合、人口1,700万人以上となり、年間4,500億ドル以上の商品とサービスを生み出す経済力があり、世界でも20傑に入るとされた。
歴史
トーマス・ジェファーソンは1803年にルイス・クラーク探検隊を太平洋岸北西部に送り出した後で、北アメリカ西部に独立した国家を樹立することを考え、その名前を「太平洋共和国」とした。
この当初の発案以来、多くの異なる集団が概して同じような目的で提案してきた。
オレゴンが州になった当初から、この地域の人々の一部がアメリカ合衆国から分離し、独自の国を作ることを求めた。
南部州が合衆国から脱退してアメリカ連合国を形成したとき、オレゴン人のなかには自分達の国を樹立する絶好の機会と考えた者もいた。
しかし、その運動は南部寄りで奴隷制を擁護するゴールデン・サークル騎士団と結びつくようになった時に失敗した。
他にもクラマス、トリニティおよびジャクソンなどの行動で、合衆国の支配からカスカディアの特定地域を捻り出そうという動きがあった。
オレゴンが州に昇格(1859年)する前の19世紀中頃と1930年代に再度ジェファーソン州を作ろうという試みがあった後で、この地域のそのような運動では最も良く知られた試みがあった。
この運動ではオレゴン州南部とカリフォルニア州北部をそれぞれの州から分離し、合衆国の中で新しい州を作ろうという提案で、この地域に注目を呼んだ。
歴史的にも抑圧された地域なので、多くの地元住民はオレゴン州セイラムとカリフォルニア州サクラメントのそれぞれ州政府を非難した。
近年では、広い範囲の問題に関わる不満によって独立カスカディアの考えに新しい関心を惹き付けている。
2001年9月、カスカディア国民党が完全な政治綱領を持って結成された。
3日後の9月11日に、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、この運動に対する支持は行き詰まった。
2005年、カスカディア国民党の綱領をほとんど借りて、カスカディア独立プロジェクトが創られた。
これは当時、カスカディア独立の概念を積極的に推進する唯一の組織となった。
サイトライン協会やカスカディア目論見書のようなカスカディアの概念を議論する他の集団の多くは、完全な独立を除いて多国籍共同一体性の一つとしてこの概念を見ている。
その他にもカスカディア共和国のようなものは政治的抗議行動のふざけた表現になっている。
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出典: 「カスカディア」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
でも、どうして急に「カスカディア」を持ち出したのですか?
あのねぇ〜、先日 本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。
カスカディア独立という構想
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カスカディアの人たちと話すと、誰もが「東海岸はもういい。 これから我々は西海岸のゲートウェイとして繁栄を目指していかねばならない」という。
また、カスカディアで講演をする時は、たいがい事前に主催者から「地域国家論の大前さんには、この地域がワシントンにもオタワにも依存せず、地域国家としてアジア諸国との関係を強化していくべきだ、という趣旨の話をしてほしい」と、筋書きまで準備して頼まれる。
イギリス系とフランス系のフォッサマグナ
今日、多くのカナダ人が不便を感じ、「カナダは面倒くさい国だ」と口を揃える。
たとえば、商品の成分や効能、使用方法、取扱説明書などは、アメリカだったら英語表記だけで済むが、カナダでは必ず英語とフランス語の両方で表記しなければならない煩わしさがつきまとう。
また、ブリティッシュ・コロンビア州では、小学校と中学校の義務教育期間はフランス語が必修になっているため、面倒なことが起きている。
すべての学校行事で、英語とフランス語の挨拶が要求されるのだ。
しかも、二つの母国語が話される時間が同じでなければ、クレームをつける住民がいる。
結局、どんな式典も通常の2倍の時間を要するわけだ。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
180-183 『さらばアメリカ』
著者: 大前研一
2009年2月11日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館
あのねぇ〜、上の本は大前研一さんが書いたのだけれど、出版されたのは2009年の2月なのですよ。
出版された時期が何か意味があるのですか?
もちろんですよ。 あのねぇ〜、ウィキペデアには次のように書いてある。
2001年9月、カスカディア国民党が完全な政治綱領を持って結成された。
3日後の9月11日に、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、この運動に対する支持は行き詰まった。
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カスカディアとアメリカ同時多発テロ事件が関係あるのですか?
もちろんですよ。 もともとカスカディアというのは カナダ人にとっては馴染みのない考え方だったのですよ。 そもそも、トーマス・ジェファーソンが1803年にルイス・クラーク探検隊を太平洋岸北西部に送り出した後で、北アメリカ西部に独立した国家を樹立することを考え、その名前を「太平洋共和国」とした事が始まりですよ。
でも、ひと頃カスカディアという名前を新聞で見たことがありますわ。
そうです。 日本が経済大国になり"Pacific Rim (パシフィック・リム)"とうい環太平洋地域がクローズアップされた1980年代後半ですよ。 当時、欧米が高めの失業や不良債権により経済的失速を経験する中で、日本が高めの経済成長を達成し、一部では、近い将来に規模でアメリカを抜き世界一の経済大国になるのではないかと、日本がずいぶんと持てはやされたのですよ。
覚えていますわ。 日本に追いつけ追い越せと 東南アジアでは、台湾、韓国、香港、シンガポールなどが経済成長を目指して、ハイテクや産業全般に力を入れるようになり、俄然、"Pacific Rim (パシフィック・リム)"がバンクーバーの新聞にも取り上げられましたわ。
そうですよ。 カスカディアという名前はPacific Rimが注目を浴び始めたので新聞で取りざたされるようになった。 それまで、僕は Cascadia という名前を聞いたこともなかった。 でも、バブルが崩壊すると 1990年代の経済低迷により日本が世界総生産に占める割合は低下した。 それに伴って、いつしか "Pacific Rim (パシフィック・リム)" は新聞でもテレビでも話題になることはなくなってきたのですよ。 ジューンさんだって、最近、 Pacific Rim や Cascadia をラジオやテレビのニュースで聞いたことがないでしょう?
そうですわねぇ〜。。。 言われてみると、この 10年 耳にしませんわ。
でしょう!? しかも、2001年9月11日に あの事件が起こった。 それまでは、パスポートがなくても カナダ人はカナダとアメリカの国境をスイスイ通れたのに、事件後は厳しくなって、パスポートがないと国境を越えられなくなってしまった。
わたしは以前から仕事の関係でパスポートを持っていましたけれど、わたしのお友達のほとんどは、あの事件があったのでパスポートを持たなければならないと、ぼやいていましたわ。
それに、ブッシュ大統領が大量破壊兵器があるという“ガセネタ”でイラク戦争を始めた。 国連を無視するアメリカに対して当時のカナダのジャン・クレティエン首相は批判的で、ついにイラク戦争にはカナダ軍の参加を拒否した。 バンクーバーでもイラク戦争に対しては戦争反対の抗議集会が開かれた。
わたしも美術館前で開かれた反戦集会に参加しましたわ。
大前研一さんは、バンクーバーに居れば、このような政治的な雰囲気を即座に理解できるのですよ。 ところが、例によって“ウラ”をとらずに次のような“時代遅れ”な事を書いてしまう。
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また、カスカディアで講演をする時は、
たいがい事前に主催者から「地域国家論の大前さんには、
この地域がワシントンにもオタワにも依存せず、
地域国家としてアジア諸国との関係を強化していくべきだ、
という趣旨の話をしてほしい」と、
筋書きまで準備して頼まれる。
カスカディア独立という構想は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件と共に崩れ去ったといっても過言ではないのですよ。 大前さんは1980年代後半の時のオツムで本を書いて出版している。 僕は、その当時もバンクーバーに居たけれど、ラジオのローカルニュースは毎日聞いていた。 でもねぇ〜、大前さんの名前も、大前さんがバンクーバーで講演することも一度として聞いた事がない。 ジューンさんはどうですか?
わたしはデンマンさんが話題にするまでは 大前さんの名前を知りませんでしたわ。 おそらく、バンクーバーに住んでいるカナダ人も大前研一さんの名前は ほとんどの人が知らないと思いますわ。
僕も、そう思いますよ。
つまり、“自己顕示欲”が強いというのは、もしかして大前研一さんのことですか?
その通りですよ。 大前さんの書き方には“自己顕示欲”が、そこ ここに顔を覗かせるのですよ。
たとえば。。。?
次の本にも、このように書かれている。
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誰も気づいていないことだが、実は世界の中で日本だけが20年間貧乏になり続けているのだ。 (略)
この20年間の国民全体の家計所得を見ると、日本はマイナス12%。
ほかの先進国も見たようなものだろうと思っているかもしれないが、フランス、イギリス、アメリカはこの間に2〜2.5倍になっているのだ。
新興国にいたっては10倍ぐらいにもなっているから、これはもう比較の外というしかない。
要するに国民全体の家計所得が正味で減ったのは先進国では日本だけ。
だから、日本復興計画という前に、なぜ日本だけが減ったのか、この原因をきちんと解明しないといけないのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
110ページ 『日本復興計画』
著者: 大前研一
2011年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
『黒い白鳥』に掲載
(2014年4月29日)
あのねぇ〜、大前さんは「誰も気づいていないことだが」と書いているのですよ。 これは、あまりにも不注意だと僕は思うのですよねぇ〜。 なぜなら、僕は10年以上も前から気づいていましたよ。 ジューンさんはどうですか?
わたしも もちろん気づいていましたわ。
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世界で最も住みやすい街バンクーバー
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日本は一時は経済大国にはなったけれど、生活の質は決して良いとは言えませんでしたわ。 交通費や宿泊費は高いし、東京で暮らすことを思うとバンクーバーで少なくとも3倍のお給料を稼がないと、東京で暮らす意味がなかったのですわ。 だから、経済大国当時でも、暮らしのレベルは貧しいと感じたものですわ。 。。。で、デンマンさんは、どのようにして日本の生活レベルが貧しいと気づいたのですか?
あのねぇ〜、僕はその事で3年ほど前に次の記事を書いていたのですよ。
(すぐ下のページへ続く)