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串カツと黒豚(PART 1 OF 4)

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串カツと黒豚(PART 1 OF 4)

 


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デンマンさん。。。 なんだか妙な取り合わせですわねぇ〜。。。 串カツと黒豚ですか。。。?


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いけませんかァ?

別に、かまいませんけれど。。。、どうして“串カツと黒豚”に私を呼んだのですか? バレンタインの小包には“串カツ”も“黒豚ジャッキー”も入れませんでしたけれど。。。

あのねぇ〜、実は夕べ、本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。



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みなさんは串カツをご存知だろうか。
薄く切った牛肉に衣をつけ油で揚げたごく安直な食い物で昔は丁稚やなんかが身に油をつけるために二銭とかそんなんで食っていた。

揚げたてを出すので店はたいていカウンター方式になっていて、客は職人に直接、カツ三本、などと注文する。
注文を聞いた職人はやる気なげな態度でカツを揚げ、客の前に置いてある網のはまった金属製のバットに揚がったカツを置く。
客は同じく、バットになみなみと入ったソースにカツを浸し、ふうふういってこれを食らうのである。


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カウンターには山盛りのキャベツが入ったバットも置いてあってこれはいくら食べても無料である。
それ以外にも玉葱やししとうを揚げたもの、茹でた鶏卵やヒロシマといって牡蠣を揚げたものもあって、なにをとっても一本百円かそこらだった。

 (中略)

驚いたのは他でもない、あろうことかこの串カツ店では、串カツに味噌汁、白飯、サラダを添付したものに、雅、花、風、菜、猿。
猿なんて名前はないが、そんな洒落臭い名前をつけ、定食仕立てにしてあるのである。


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なんたることであろうか。
と嘆声を上げつつ周囲を観察すると、大抵の人は花か雅を頼んでいて、その都度、和服のおばはんが、花一丁、雅一丁、と虚空に向けて絶叫するのである。
いったいいつから串カツはこんなことになってしまったのだろうか。

 (中略)

私の頼んだ「花」は実は恥ずかしい話であるがもっとも安い定食で、安い材料を使った串カツ八本ついているはずである。
そして先ほどの兄ちゃんは、これでお終いです、と言った。

ところが私はまだ七本しかカツを貰っていない。
これはいったいいかなる禍事であろうか。
私は驚き惑い、思わずカウンターのなかの兄ちゃんの顔を見たが、兄ちゃんは、なんか文句あるのか、というような目つきで睨みかえしてきたので慌てて目を逸らし、それから、なんというあさましい行為であろうか、左右の客の皿の上にある串の数をひそかに数えた。


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どちらも私と同じ、「花」を頼んでいて、空き皿には串が八本あった。
やはり私だけ七本しか貰っていないのだ!

 (中略)

どう転んでも私があと一本串カツを貰えるのは間違いないが、しかしそんなことをして嬉しいだろうか。
柳眉を逆立て、眦(まなじり)を決して、「俺の串カツ、なめとんのかあっ」と叫んだ後で、果たして人はにこにこ笑ってカツを食べられるだろうか。

 (中略)

しかしそれがもはや一本のカツでは埋められない心の寂しさなのである。
私は悲しい気持ちで席を立ち、悲しい気持ちで勘定を済ませた。
会計を担当したおばはんは、自分たちはなにひとつ誤りをおかしていないというような顔でレジを操作して紙幣を受け取った。

(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより
読み易くするために改行を加えています)



158-167ページ 『東京飄然』
著者: 町田康
2005年11月10日 再版発行
発行所: 中央公論新社




なるほどねぇ〜。。。



何がなるほどねぇ〜、なのですかァ〜?

デンマンさんが、どうして上のエピソードを取り上げたのか理解できたからですわァ。

ほおォ〜。。。 僕がなぜ上のエピソードを取り上げたのか? 小百合さんは、すぐに理解できたのですか?

ええ。。。 すぐに解りましたわァ。。。 デンマンさんならば、8本串カツが出てくるまで カウンターの中の兄ちゃんに文句を言うと思うからですわ。

うへへへへへ。。。 小百合さんも、そう思うのですか? 僕の心の奥まで見透かされてしまったようですねぇ〜。。。

もちろんですわ。 デンマンさんのやることは解りますわ。 「花」は もっとも安い定食で、安い材料を使ったとしても、串カツ八本ついているはずだから、デンマンさんならば八本食べるまでは「個人の権利」を主張して、食べ終わるまでは勘定を払わないと思いますわァ。

その通りですよ。 僕ならば大人しく引き下がりません。

でも。。。、そういうのは日本人らしくないのですわ。

あれっ。。。 “日本人”を持ち出してきたのですか? 確かに、僕は典型的な日本人ではありません。 でもねぇ〜、7本で我慢して諦めるのが典型的な日本人だとしたら、僕はそういう日本人にはなりたくないですね。 「花」には、8本串カツがついてくるのですよう。 そうだとしたら、7本でお終いにするのはカウンターの中の兄ちゃんも無責任だし、客としても、そのような無責任を見逃すのは無責任だと僕は思いますよ。 だから、当然のことだけれど、僕なら、兄ちゃんに注意しますよ。

でも、そのようなことをして8本目を貰えたとしても、お互いに言い合いになるようで、気分が悪いから嬉しい気持ちでは8本目を食べられないと思いますわ。 だから、上の本のお客さんは、7本でお終いにして勘定を払ったのですわ。 それが日本人の“謙譲の美徳”というものですわ。

あれっ。。。 今度は“謙譲の美徳”を持ち出してきたのですか?

だってぇ、気分よく8本目が食べられないのなら、7本しか食べなくても、それで満足できれば、そのまま勘定を払ってもいいではありませんか!

でもねぇ、上のエピソードのお客さんは、決して満足したわけではないのですよ。 なぜなら「それがもはや一本のカツでは埋められない心の寂しさなのである」と心の奥で嘆いているのですよ。 そうだとしたら、あくまでもカウンターの中の兄ちゃんに“義務”を怠っていること、つまり、8本串カツを出すべきところを、まだ7本しか出してないことを指摘し、お客としての“権利”を主張すべきだったのですよ。

でも、私にはできませんわ。 串カツの8本目で嫌な思いをするくらいならば7本で満足して気持ちよく勘定を済ませますわ。

あのねぇ〜、小百合さんは軽井沢に別荘を持ち、高級車を乗り回せる身分だから串カツの1本や2本など問題がないと思えるけれど、その辺のおばさんやおじさんにとっては、串カツの1本や2本は重要なのですよ。

どうしてですか?

だってぇ、同じ「花」を注文したのに、左右のお客は間違いなく8本を貰って食べた。 ところが自分だけ、どういうわけか差別されて7本だけしか貰えない。 それで、ちょっとムカついて兄ちゃんを見たら、なんか文句あるのか、というような目つきで睨みかえしてきたので慌てて目を逸らし、それから、なんというあさましい行為であろうか、左右の客の皿の上にある串の数をひそかに数えたのですよ。

だから、このお客さんは気弱な人だったのですわ。 そういう日本人は結構たくさんいると思いますわ。 

僕は、そう思いませんね。 最近の日本人はむしろ僕のように個人の権利をどこまでも主張する人が多くなっているのではないかと思いますよ。

でも、上のエピソードは典型的な日本人を描いているように私には思えますわ。

でもねぇ〜、上のエピソードには続きがあるのですよう。

どのような。。。?

このお客さんは、実は、本の著者なんですよ。 つまり、町田康(こう)という作家なのです。 面白おかしくするつもりで書いたのかもしれないけれど、8本食べられるのに7本しか貰えなかったことが気になって、それから1週間近くも、そのことに拘(こだわ)り続けるのですよ。 小百合さんだったら、確かに、簡単に諦められることかもしれないけれど、この作家は諦めようとしても諦めきれずに、1週間近くも、拘っていた。 こうなると、“謙譲の美徳”なんて言ってられない。

デンマンさんの言おうとしている事が なんとなく解りましたわ。。。 でも、「串カツと黒豚」の「黒豚」はどうなってしまったのですか?

そのことですよ。。。 もう小百合さんは忘れてしまったと思うのだけれど、以前、僕は次の記事を書いたのです。 思い出してください。


 (すぐ下のページへ続く)



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