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マルタ島のロマン(PART 2 OF 3)

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マルタ島のロマン(PART 2 OF 3)




(egypygals.jpg)



一目見ただけでも、エジプトの女性の方がシンプルですよね。。。というか、言葉は悪いですが“土人スタイル”ですよね。 クレタの女たちよりも原始的な感じがします。我々の眼には、どう見てもクレタ島の女性の方が現代的な印象を与えます。 そう思いませんか?



確かにこの写真で比べるとそうですね。

僕がクレタ文明にロマンを感じるのはそのような理由ですよ。 ヘアスタイルといい現代風なスカートといいセックスアピールする胴着といい、19世紀のパリジェンヌよりもパリジェンヌらしいところがありますよ。

フープ・スカートは、どう見ても時代遅れなので、そのように映るのではないですか?

それだけじゃなくて、例えば当時上流社会で流行していた胸を見せる短い胴着(bolero)を身に着けていますよ。当時も細いウエストが好まれたそうです。

確かにファッションを見ると現代的なところがありますね。でも、それだけでは女性のパラダイス、女神の国とは言えないのではないですか?

もちろん、それだけで決め付けるつもりはありません。他にも理由があるんですよ。

どんな?

クレタ文明が栄えた紀元前18世紀から16世紀には実権を持っていたのは王ではなく大巫女だったんだ。

大巫女ですか?

そう。 英語で言うならHigh priestessですよ。

つまり女王ということですか?

女性だから、女王と言ってもいいんだけれど、やはり宗教的な性格が強かったらしい。中世のローマ法王のような権力を持っていたと思えば間違いないよ。

王様は居なかったのですか?

形式的な王様は居たらしい。 でも、実権はなかったようです。

でも、ミノアと言う名前はそもそも王様の名前でしょう?

そのとおりです。

 (中略)

クレタ島は母系社会だったんです。話せば長くなるんですが、紀元前4000年頃までは、 ヨーロッパは全域にわたって母系社会だったんですよ。

どうしてそのようなことが言えるのですか?

実は、他のページにこのことを書いたんですよ。でも、英語なんです。まだ訳していません。とりあえず、写真だけここに貼り付けます。


(huyukmother.jpg)

Enthroned Birthing Goddess

from Çatal Hüyük 5700 BC.

(The head was restored.)


(map6.jpg)



わああ、すごーく太った女性が出てきましたね。



この女神は紀元前5700年頃、人が住んでいたチャタル・ヒュユク(Çatal Hüyük)と呼ばれる集落の遺跡から出てきたんですよ。場所は上の地図の小アジアの中に見つけることができます。

この女神が出てきたから母系社会だというのですか?

この女神だけじゃなく、とにかく圧倒的に女神が多いんですよ。ジューンさんはこの小アジアがアナトリア(Anatolia)と呼ばれていることを知っているでしょう?

ええ、知ってますよ。

じゃあ、その意味は何だと思いますか?

意味があるのですか?

あるんですよ。“女神がたくさん居る土地”と言う意味なんです。とにかく母系社会だということを考古学者が出土品からも確認しています。

アナトリア以外からもこのような女神は出てきたのですか?

マルタ島からも見つかっています。


(maltamap.jpg)


(maltavenus3.jpg)

“Venus of Malta”


(maltabig.jpg)

“The Sleeping Venus of Malta”

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マルタ文明もやはり母系社会だったのですか?



そうです。

それがどうして父系社会になってしまったのですか?

すでに言ったように、紀元前4000年頃を境にヨーロッパには人類の大移動があったんですよ。

やはり気候と関係あるのですか?

そうらしい。この時は半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したんです。 ジューンさんの遠い祖先の皆さんですよ。 もちろんこの人たちは現在と同様、父系社会を形成していました。

そうなんですか?

そうですよ。 現在は男女同権といわれていますが、基本的には父系社会ですよね。 たいてい父系の姓を名乗ります。 この父系社会というのは戦争が強いんです。 アナトリアの社会でもクレタの社会でも、大きな戦争と言うものがなかった。その事は遺跡からも確認されています。

つまり戦いに弱い母系社会は戦争に強い父系社会の集団に追われるような形でクレタ島やマルタ島に移り住んだと言うわけですか?

そういうことです。

では、クレタ島のミノア王はどう説明されるのですか?

ミノア王の伝説はアカイア人がギリシャ本土から乗っ取りに来てからできた話なんですよ。 それまではミノア王みたいな男の権力者は居なかったんです。

つまり、大巫女さんが実権を握っていたと言うわけですか?

その通りですよ。



『ラピスラズリと美女アメニア(クレタ島)』より
(2005年7月13日)




“クレタ島のロマン”は“パリジェンヌ”が出てくるので、なんとなく解るような気がしますが、マルタ島の“ビーナス”はデンマンさんの好みのタイプではないでしょう!?



ちょっと、と言うよりも、かなり太っていますよねぇ〜。 うへへへへへ。。。

それなのに、どうして“マルタ島のロマン”なのですか?

あのねぇ〜。。。 そこですよ。。。 上の本を読んでいたら、地中海は、今から500〜600万年前に干上がってしまったことがあると書いてある。

だから。。。?

もう一度次の地図を見てください。


(medmap.png)



クレタ島の北に“サントリー二島”という小さな火山島があるのですよ。


(santo002.jpg)


(santo001b.jpg)



ああらっ。。。 懐かしいですわあああァ〜。。。



ジューンさん!。。。 懐かしんでいる場合じゃないのですよ。 “マルタ島のロマン”ですからねぇ〜。。。

このサントリーニ島が“マルタ島のロマン”と関係あるのですか?

大有りですよ。 このサントリーニ島が あの伝説の“アトランティス”じゃないか!?と考えている人が結構たくさんいる。



(atlantis2.jpg+cleoani.gif)

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デンマンさんもサントリーニ島が あの伝説の“アトランティス”だと考えているのですか?



いや。。。 無理にサントリーニ島と あの伝説の“アトランティス”を結びつける必要はないのですよ。 “アトランティス”は実際にあったと僕は思うのです。 でも それは、伝説のように大西洋の沖にあったのではなくて、地中海の底に 今でも遺跡として横たわっていると、僕は考えているのです。 つまり、地中海が干上がったことは何度かあった、と僕は仮定しているのですよ。 その何度目かに、高度に発達した文明が地中海の底近くにあった。


(med001.jpg)


(atlantis3.jpg)

地中海の底にあった“アトランティス”



ところが、やがて氷河が溶け出して大西洋の水位が上がって、閉まっていたジブラルタル海峡の上を乗り越えて海水が滝のように流れ込んだ。


(med002.jpg)



大洪水となって“アトランティス”の住民を押し流してゆく。


(noah01.jpg)



そして、現在、“アトランティス”の遺跡は地中海の底にある。



(atlantis2.jpg+cleoani.gif)



この生き残った人たちの子孫が、あるグループはマルタ島に残って巨石文明を、他のグループはクレタ島に残ってミノア文明を、また エジプトに渡った人たちはピラミッドを作ったのですよ。 僕は、そう考えたのです。 これが僕の“マルタ島のロマン”ですよ。



(laugh16.gif)

 (すぐ下のページへ続く)



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