とっちゃん坊やも日本を滅ぼす(PART 1)
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デンマンさん。。。 笑わせないでくださいなァ〜。。。 うふふふふふふふ。。。
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ジューンさん。。。 何が そんなに可笑しいのですか?
何がってぇ〜、上の写真ですわよ。。。 また、モンタージュとコラージュで上の写真をでっち上げたのですか?
いけませんかァ〜? (微笑)
かまいませんけれど、なかには上の写真を見てムカつく人もいると思いますわ。
どうして。。。?
だってぇ〜、上の写真は、どことなく Rowan Atkinson に似ているでしょう!? 彼の熱烈なファンはムカつくと思うのですわァ。
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いや。。。 ムカつきませんよう。 むしろ、彼の似顔絵を見るようで喜びますよ。
。。。で、今日はアトキンソンさんが日本を滅ぼすということですか?
違いますよう。 実は夕べ、バンクーバー市立図書館から借りていた本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。
日本人の誇り
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日本の軍人達は、戦場で涙ながらに老いた父母を思い、自分の死後に遺される新妻や赤子の幸せを祈り、恋人からの手紙を胸に秘め、学問への断ちがたい情熱を断ち、祖国に平和の訪れることを願いつつ祖国防衛のために雄々しく戦いました。
それが今、地獄さながらの戦闘で散華(さんげ)した者は犬死と嘲(あざけ)られ、かろうじて生き残った者は人殺しのごとく難詰されるという、理解を絶する国となってしまったのです。
祖国のために命を捧げた人に対し感謝の念をこめ手を合わせて拝むべきものであるのに、戦争の罪を一身に背負わせているのです。
このような状態で日本人としての誇りが生まれようもありません。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
86ページ 『日本人の誇り』
著者: 藤原正彦
2011年4月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
上の本を読んで感銘を受けたのですか?
いや。。。 上の部分はもっともなことですよ。 確かに、戦闘で散華(さんげ)した者を犬死と嘲(あざけ)、かろうじて生き残った者を人殺しのごとく難詰し、祖国のために命を捧げた人に対し戦争の罪を一身に背負わせてしまうようでは、日本人としてと言うよりも人間として恥ずべき行為ですよ。
その事を言うために、わざわざ上の部分を持ち出してきたのですか?
いや。。。 問題は、「だから、どうすればいいの?」と言うことですよ。
デンマンさんは、どうすればいいと思っているのですか?
まず、僕の意見を言う前に次の Biker Granny の書いた文章を読んで欲しいのですよ。
戦後50年と私
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(終戦の)1年前、結婚して7年半だった主人は、赤紙とともに南方の島フィリピンに送られていました。
もちろんなんの消息もなく---生きているのは死んでいるのかも知れず---人づてに最初はミンダナオ島に送られたと聞いておりましたが、その後セブ島に渡ったという噂もあり、本当のところはわからずじまいです。
軍人でもない1民間人だった36歳の主人は、家計が裕福だったこともあり、趣味の油絵を勉強するために「戦争が終わったらフランスに行ってみたい……」などと、夢のようなことを言っておりました。
しかし、それも実現しないまま、帰らぬ人となってしまいました。
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出征したあの日のことは、今でも鮮明に脳裏に焼きついております。 (略) 1歳の次女を背に、6歳の長女、4歳の長男の手を引き、みんなと駅までぞろぞろ歩いては行ったものの主人の姿は見当たりません。
どうしたことかと心配していましたが、汽車の出発時間も迫ってくることですし、見送りの方々もプラットフォームに上がって来られました。
私も一緒に上がって行きましたら、なんと主人は長いホームの先端にたった一人で立っていたのです。
戦争を心底憎み、自由人でありたいと願っていた主人のやり場のない思いが、そんな行動を起こさせたのかもしれません。
軍律の厳しい軍隊の中で、その後どう生活したものかと考えると、胸がふさぎます。
終戦の翌年、昭和21年3月に、政府から正式に死亡公報が送られてきたときには、「皆さんと一緒に出発しなかったからよ」と、一人ごちたものでした。
同時に出征した町内の若者二人は無事帰還しましたが、桐箱の中に石と化した主人は、いったいどんな死に方をしたのでしょうか。
目の前で死を確かめていない別れ方は、いつまでもいつまでも中途半端な思いを引きずるものです。
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(中略)
しかし人間というものは、本当に悲しいときには涙は出ないものだということを、この主人の死によって私は身をもって体験しました。
主人の遺骨の箱を手にした時は、涙よりも先に自分の肩にずっしりとかかってくるこれからの生活と、混沌とした将来を思い、「とにかく、しっかりしなければ」と自分に言い聞かせました。
「何があってもこの家族を飢え死にさせることはできない……」と心に誓ったとき、涙の一滴も落とす余裕はなかったのです。
(中略)
(横浜のカトリック系)女学校で夢中で勉強した英語のおかげで、その後、私は外国商社で仕事をはじめました。
終戦直後、舅を送り、姑とは25年間生活をともにし最期を看取りました。
戦後のどさくさで荒稼ぎする人も多いなか、女の細腕を頼りの生活は本当に心細いこともたびたびでしたが、みんなが健康であってくれたのが何よりと思っております。
進駐軍の手から初めて日本側に戻された横浜のデパートというものを、「デパートってなあに?」と不思議がる次女に「何でも売っている所よ」と言ったら、「じゃあ、お父様を買ってきてよ」とダダをこねて私を困らせたものです。
その娘の住むトロントに移住して今年で18年が過ぎ、こちらの生活にもすっかり慣れました。
日本のように物があり余るぜいたくさはないにしても、生活に不自由しない適度な余裕を心から有り難いと思います。
そして、ここに来てからお知り合いになったご親切にしてくださる多くの方々との繋がりは、85歳という人生の先が見えている者には、何にもましての財産と日々感謝しております。
主人と、また沖縄の高射砲部隊で弟をも戦死させたこの大戦の「私の戦後」は死ぬまで消えることはないにしても、あの軍国主義の日本がなくなったことは、一日本人として全く悔いがないことを最後に付け加えたいと思います。
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(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
213-218ページ 『カナダ生き生き老い暮らし』
著者: サンダース・宮松敬子
2000年12月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社
『きびしい暮しの中のロマン』に掲載。
(2014年7月28日)
上の文章を書いたのは、本の著者のサンダース・宮松敬子のお母さんである宮松芳子さんなのですよ。 ご主人は36歳で出征してフィリピンで戦死した。 おそらく、遺される幼い子供のこと、それに芳子さんのことを思い、死ぬに死に切れなかったと。。。僕にも、その無念な気持ちが理解できますよ。
つまり、亡くなられたご主人にしても、芳子おばあちゃんにしても、戦争など金輪際(こんりんざい)イヤだと言うことですね。
そうですよ。。。 しかも、これまでに人類の歴史で初めて原爆を落とされて多くの無実の日本人が死んだ!
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だから、日本人は、どの国の国民よりも声を大きくして絶対に戦争はしてはいけない!と声を大きくして世界に叫ばなければならないと僕は思うのですよ。
そうですわねぇ〜。。。 デンマンさんの言うことは良く解りますわ。。。で、藤原正彦さんはどのように言っているのですか?
次のように言っているのですよ。
「誇り」を回復するのに何が必要か
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「誇り」を回復するための必然的第一歩は、戦勝国の復讐劇にすぎない東京裁判の断固たる否定でなければなりません。
(中略)
その上で第二は、アメリカに押し付けられた、日本弱体化のための憲法を廃棄し、新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作り上げることです。 (略) 国家の主柱たる憲法に嘘があるからです。
「嘘があってもいいではないか。
戦後の経済発展は軍備に金をかけず経済だけに注力したからではないか」
という人もいます。
これも真っ赤な嘘です。
戦前のドイツ、日本、戦後の韓国や台湾、近年の中国など、毎年GDP比10%、あるいはそれ以上の軍備拡大をしながら目覚しい経済発展を遂げたからです。
軍備拡大とはある意味で景気刺激策とも言えますから、むしろ当然です。
次いで、第三は、自らの国を自らで守ることを決意して実行することです。 (略) 少なくとも一定期間、自らの力で自国を守るだけの強力な軍事力を持った上で、アメリカとの対等で強固な同盟を結ばなければなりません。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
246-247ページ 『日本人の誇り』
著者: 藤原正彦
2011年4月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
これを読んでねぇ、結局、藤原正彦さんは、“とっちゃん坊や”で 日本を滅ぼすような考え方に凝り固まっていると思ったのですよ。 自分では、教養人のつもりでも、数学という狭い世界に閉じこもっていた“井の中の蛙”だと思えるようなことを言っている。
でも、自らの力で自国を守るだけの強力な軍事力を持つことは、すごく当然なことだと思いますけれど。。。
あのねぇ〜、だから、それが“とっちゃん坊や”の浅はかな考え方ですよ。 すでに、世界のネット市民は地球人として“非暴力”の世界を望んでいるのですよ。
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でも、軍事力を持たないと国は守れないのじゃないですか?
だから、それがアメリカの悪い影響ですよ。 ケネディー大統領を暗殺した“アメリカン・エスタブリッシュメント (またの名を Military-industrial-Pentagon complex)”は軍事力こそ、平和のシンボルだと考えている。 それこそ地球を滅ぼす考え方ですよ。
でも、軍事力を持たないと国は守れないでしょう?
国を守るのは軍事力だと思うから、いつまで経っても戦争がなくならない。 上の4人は、暴力に反対しながら、平和を守り、自分たちの目的を達成させているではありませんかア!
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(すぐ下のページへ続く)