愛に揺らぐ女(PART 1)
早咲きの天才
(青木繁)は21歳の若さで画壇にデビューした。 1904年に東京美術学校を卒業し、夏には絵描き仲間4人と千葉の布良(めら)海岸に赴いた。
この旅は民家の一室を借りての合宿のようなものだったらしいが、青木繁の人生にとってふたつの点でとても重要である。 ひとつはここで《海の幸》の着想を得たこと、もうひとつは旅に同行した女性とのあいだに子供ができたことである。
《海の幸》
その女性は栃木の出身で福田たねといった。 男ばかりの旅に女ひとりで加わったのだから、大胆な女性であることはまちがいない。 たねは日光出身の小杉放庵の師、五百城文哉の元で絵を学び、そこで小杉と親しくなる。
福田たね
小杉が上京したときに たねも東京に出て不同舎に入る。 絵の上のことだけでなく恋愛感情が絡まっていたものと思われるが、その恋が実らずに終わると、つぎにときどき不同舎にぶらっとやてくる青年に心を寄せた。 それが青木繁である。 ふたりは間もなく付き合いだした。
(中略)
青木は現実をそのまま絵に移すのではなく、想像を加えて象徴的に描くのを好んだ。 神話から多くの作品を生んでいるのも、物語によって想像をかき立てられたからだった。...それでは、男の顔が女性に変えられ、前向きだったのが横向きに直されたのはなぜだろう。 また他の人物は褐色なのに、彼女と中央の男の肌だけが光っているのも気になる。 まるで物語の主人公のような雰囲気だ。...友人の証言によると、加筆されたのは1906年ころだという。 《海の幸》が描かれた1904年と、その後の2年間にはいろいろなことが起きている。
(中略)
1905年8月には、たねが男の子を出産。 出産費用はたねの実家に頼っている。 『古事記』のオオナムチノミコトの受難の物語を題材にした《大穴牟知命》や、翌1906年には《日本武尊》など大作を仕上げているが、美術界の評価はいまひとつだった。
《大穴牟知命(おおなむちのみこと)》
尊大であろうが、傲慢であろうが、世間の注目さえ得られれば、青木のなかでバランスがとれたはずだ。 だがさまざまな不調がかさなって歯車が噛み合わなくなり、夢と現実とに引き裂かれるような思いだったろう。
そんなとき布良(めら)でのふたりの輝かしい記憶を、絵の中に込めようとして筆を入れたのではないだろうか。
ここでどうしても気になるのはふたりの表情のちがいだ。 男のほうは自信に満ちた顔で、女のほうは不安げである。
まるでその視線をキャンバスのこちら側にいる画家に投げかけ、無言で問いかけているかのようだ。 いたい、わたしたちはどうなってしまうのかと。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
128 - 130ページ
『あの画家に会いたい個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社
デンマンさん。。。あんさんは、どないな訳で青木繁の絵を取り上げはったん?
あのなァ〜、上の《海の幸》の絵を見て、それから福田たねさんのことを読んでいると、なんとのう、めれちゃんの不安そうな表情が思い浮かんできよったのやがなァ〜。。。
どうして、わたしの不安げな顔が思い浮かんできやはったん?
次のめれちゃんの手記を思い出したのやァ。
夢のバンクーバー
2004-8-16 19:46
ご苦労様、
ありがとうございます。
バンクーバーでのわたしは、
デンマンさんに
エスコートされて、
のびのびした表情をしていますね。
ここ大阪では考えられません。
わたしの精神年齢は32歳ですか?
大人ですね。
昔から思索にふけることが
多かったのですが、
そういった時に、
わたしは大人に
なれるのかもしれません。
でも、妄想にふける
中学生のわたしもいますが。
もうひとつ言えば、
不安にさまよう
4歳のわたしもいます。
わたしの詩・・・
(自分では自慰行為と呼んでいますが)
人に見せるのも、まして批評していただけるなんて、
全く初めてだったんです。
デンマンさんが感想を書いて下さって、
冗談ぬきで、舞い上がるようないい気持ちです。
ネットで公開してよかった・・・
デンマンさんは少々わたしのことを、
買いかぶっておられるんじゃないかと、
少し不安です。
わたしがデンマンさんの“心の恋人”足り得るか・・・
いつか、ガッカリさせてしまうのではないかと、
自分自身の内面を省みて、心配になっています。
それにしても、わたしは幸せ者ですね。
この、“夢のバンクーバー”で、
わたしはデンマンさんを独占してしまったのですから
本当にありがとうございます。
質問の方もできるだけ早く、残りをお答えしますね。
by レンゲ
『どうしたら大人の恋になるのですか?』より
2006年01月17日(火)
デンマンさん。。。あんさんは古いモノを持ち出してきやはりましたなァ。。。これは、わたしが2004年の8月に書いたものですやん。
そうやァ。。。
あんさんは、わたしの書いたモンならば、何でも保存してましたん?
そうやァ。。。このような時に、こうして引用できると思うたのやがなァ。 (微笑)
マジかいな? 2004年に、あんさんはマジでそないに思いましたん?
マジやがなァ。。。めれちゃんの詩や、短歌や手記に触れ、わては、なんとのう消し去りがたい感銘に打たれたのやがなァ。
あんさん。。。ホンマにマジかいなァ?
このような時にウソや冗談が言えるかいなァ!
なんぼでも言えますやん。。。口は重宝なものですねん。
あのなァ〜。。。青木繁の有名な《海の幸》の絵まで持ち出してきたのやでぇ〜。。。ウソや冗談で、この記事を汚すわけにゆかんがなァ〜。
それで、タイトルの「愛に揺らぐ女」というのは、もしかして、わたしのことを言うために書きはったん?
そうやァ。。。
それは、あんさんの独断と偏見やと思いますわ。
つまり、めれちゃんは不安になることは、めったにないと言うのんかァ〜?
そうですう。。。わたしは次のようにルンルン気分になることも、けっこうあるねん。
朝のキモチ
昔、好きな人と会える日は、
朝、目が覚めた瞬間に、
身体中にしあわせが
いっぱいになって、
踊るように
出かける仕度をして、
出かけていったなあ。
あの頃のわたしは、
多分、今の100倍
キレイだったと思う・・・
by レンゲ
2004/12/10 07:33
『心の痛みを話す気になりましたか?』より
(2005年11月26日)
確かに、めれちゃんがルンルン気分になってスキップしながらボーイフレンドに会いに出かけて行く姿が見えるようやけど。。。、でもなァ〜、上の詩から受ける印象は、その想い出を追憶している寂しそうなめれちゃんの姿やんかァ。
上の詩を読んで、あんさんはそないにしか受け留めることができへんのォ〜?
あのなァ〜、めれちゃんには陽気でルンルン気分のときもあるかもしれへん。。。でもなァ〜、これまでのめれちゃんの書いたものを読むと、どこかに不安な面影が潜んでいるように思うたのやァ。
それでタイトルを「愛に揺らぐ女」としやはったん?
そうやァ。
そやけどそれは、あんさんの極めて個人的な受け留め方やと、わたしは思うねん。
いや。。。決してそないな事はあらへん。
その証拠でもあるのォ〜?
あるがなァ。 次の検索結果を見てほしいねん。
あらっ。。。こないにしてわたしの不安な気分を確かめはったん!?
そうやァ。。。15,100件も、めれちゃんの不安が記事に取り上げられておるねん。 上の検索結果に現れている10件の記事は、すべてめれちゃんの不安が表現されている詩や、短歌や手記についての記事やんかァ。
リストの記事すべてが、わたしについて、あんさんが書きはった記事やのォ?
もちろんやァ。。。ウソやと思ったら自分で上のリストの中のURLをブラウザに入れて、それぞれの記事を調べてみたらええやん。
つまり、わたしが「愛に揺らぐ女」やと、あんさんは決め付けたいん?
いや。。。そないに決め付けようとしているわけではあらへん。 わてはただ《海の幸》を観て、冒頭の文章を読んで改めて青木繁と福田たねという女性の関係に、ちょっとばかり関心を持ったのやがなァ。。。
(すぐ下のページへ続く)