忌々しい生命力 (PART 2 OF 3)
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■『喪失した愛の日記』
。。。で、どないなわけで、また2005年の7月の日記を持ち出してきやはったん?
あのなァ~、わては 上のめれちゃんの日記を読んでいたら、次の手記を思い出したのやがなァ~。。。
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不安と焦燥感と寂しさ
もう、このままで生きてるんなら、
命いりません。
ドナーカード持ってるから、
心臓でも角膜でも、
なんでも持っていって下さい。
家族はいません。
承諾とらなきゃいけない人は
誰もいません。
by メレンゲ
2004/10/03 18:28
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『自殺の名所』より
(2012年12月19日)
めれちゃんが上の手記を書いたのが2004年の10月。 2005年の7月23日に次のように書いてるねん。
確か去年の今ごろにも、
わたしは強い希死念慮にとらわれ
あんさんは わたしが思い出したくないことを思い出させるのやねぇ~。。。
めれちゃん! 何を言うてるねん。。。 めれちゃんが先に「確か去年の今ごろにも、わたしは強い希死念慮にとらわれ」と、言うてるのやでぇ~。。。
それで、あんさんは何が言いたいねん?
めれちゃんは“忌々しい生命力”と言うて自分の生命力を呪(のろ)っているけど、どないなわけで 2004年の10月に自殺せんかったのか? 解っているのんかァ~?
解っていたら、“忌々しい生命力”と言うて 自分の生命力を呪(のろ)いますかいなァ!
わてには、明確に めれちゃんの強い生命力の理由が解っておるねん。
マジで。。。?
死ぬか生きるか?と言う瀬戸際(せとぎわ)に、悪い冗談を飛ばせるかいなァ~!
あんさんがマジで解っておるなら、細木数子のようにズバリ!ズバリ!と言うたらええやん。
めれちゃんが そないに言うなら、まず次の小文を読んで欲しい。
私は骨の髄まで
文学少女なのです
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「文学少女」は普通の小説である。
探偵小説壇には普通の小説に似たものを書く人も多いけれど、その気迫において「文学少女」までいたっている作品は非常に少ないのではないかと思う。
短い短編の中に類型ではあるが、しかし決して通常人ではない一人の文学少女の生涯が、簡潔に、しかし溢れる「情熱」と「自尊心」とをもって描かれている。
。。。
僕はかつて、「日本探偵小説傑作集」の序文で、探偵作家諸君の作風を紹介したことがあるが、その中で木々高太郎君だけは、少し見誤っていたことを告白しなければならない。
彼の文学執心には医学者の余技以上のものがある。単なる精神分析作家ではない。
文学心に燃ゆること、探偵小説界彼の右に出(い)ずるものもないほどであることが、だんだん分かってきた。
僕は彼の作品に、スリルまでに高められた「情熱」と「自尊心」とを感じる。
それが人を打たぬはずはない。
「文学少女」でいえば、わざと学校の答案を間違って書くというくだり、
「恋愛は二人のことだけれど文学は孤独の業である」というくだり、
大心池(おおころち)博士が具体的表現ということから女主人公の文学素質を看破するくだり、
有名な小説家に自作を剽窃(ひょうせつ)されて怒るよりも喜ぶという心理、
その謝礼金の小切手を夫が費消(ひしょう)したことを知って、突如としてメチルアルコールを買いに行くあたりの描写、
そして、女主人公が獄中で一躍流行作家となる運命。
「先生、痛みなどは何でもありません。私は始めて人生を生きたいという希望に燃えて来ました。
(中略)
文学というものは、なんという、人を苦しめ、引きちぎり、それでも深く生命の中へと入って消すことのできないものでしょう。
でも、私はもう七度(たび)も生まれてきて、文学の悩みを味わいたいのです。
私は骨の隋まで文学少女なのです」
これは女主人公が普通の人には堪えられぬ程の骨の痛みに堪えながら、大心池先生に叫ぶ言葉であるが、僕はそれを作者木々高太郎の絶叫ででもあるように錯覚して、快い戦慄を禁じえなかったのである。
そして...
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「お願いが一つあるのです。。。それは私はもう一度生まれてきて、文学をいたします。そしたら、やっぱり先生が見出してくださいますわね」
「。。。ミヤが心の内で、先生に接吻しているのを許してください」
…とやせ細った手を上げたが、それは先生を身近く招くためではなくて、近づこうとする先生を、近づかぬように制するためであった。
…という幕切れの、パッと消えてゆく情熱の花火が、消え行く刹那、たちまちその色彩を一変して見せるかのごとき、すっきりしたあの味。
僕は木々高太郎君が、「情熱」の作家であることを知っていた。
しかし彼のより以上の特徴が自尊心の作家であるということをハッキリ認識したのはつい三四ヶ月以来である。
僕は以前からも、それを漠然と感じて、「気迫」という言葉で言い表わしていたが、「自尊心」というのがもっと適切である。
pp.511-513
「文学少女」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社
『自分の世界を持つ』に掲載
(2009年5月26日)
この小文が どないしたと言うねん。
つまり、めれちゃんも骨の髄まで文学少女やったのやがなァ~。。。 それで めれちゃんの場合には次のようになるねん。
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「お願いが一つあるのです。。。
それは私はもう一度生まれてきて、
文学をいたします。
そしたら、やっぱりデンマンさんが
見出してくださいますわね」
「。。。めれんげが心の内で、
デンマンさんに接吻しているのを
許してください」
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…とやせ細った手を上げたが、
それはデンマンを身近く招くためではなくて、
近づこうとするデンマンを、
近づかぬように制するためであった。
あんさん。。。 また妄想をたくましゅうしやはったん?
いや。。。 決して妄想やないでぇ~。。。 小文の中の“文学少女”は、もう一度生まれる前に 文学をいたしていたのやないかいなァ~。 ところが、めれちゃんは、まだ文学をいたしていたほどには、文学をいたしていないのやでぇ~。。。
わたしには、文学の才能があるようには思えまへん。
めれちゃん、それは違うでぇ~。。。
どう違うと、あんさんは言わはるのォ~?
ちょっと次の文章を読んでみィ~なァ。
境界性パーソナリティ障害の有名人
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太宰治は慢性的な虚無感や疎外感を抱えていた。
安定している時期は自己愛的性格だったが、不安定時は感情統制が困難であったとされ、芥川賞を逃した時の怒りは常軌を逸していたという。
感受性が強く、なおかつ高い知能を持っていた太宰がパビナール依存に陥ったのはごく自然な成り行きだったのかもしれない。
また、離人感や自殺念慮も有しており、自殺(心中)未遂を繰り返し、5回目で自殺完遂に至った。
28歳の時には精神科病院である江古田の東京武蔵野病院へ入院している。
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マリリン・モンローも7回に及ぶ自殺未遂を繰り返し、薬物の過量服薬で死去した。
母子家庭であったが、母親はうつ病で何度も精神科病院に入院しており、孤児として育てられたモンローは、愛情に飢えていたが、他者との親密な関係を保ちにくかったといわれる。
睡眠薬とアルコールの依存症になり、1954年から精神分析医による治療を受けている。
主治医はモンローについて「いつも自分を価値のないつまらない人間だと思っていた」と振り返る。
死の数日前のインタビューでは、女優としてのこれからの展望と抱負を語り、また別のインタビューでは「世界が必要としているのは本当の意味での親近感です。
どうぞ私を冗談扱いにしないで下さい」と述べている。
境界性パーソナリティ障害で入院歴もあるウィノナ・ライダーは、主演・制作総指揮をした映画「17歳のカルテ」で、境界性パーソナリティ障害の主人公スザンナ役を演じている。
映画の原書となったノンフィクション小説 「思春期病棟の少女たち」 に惚れ込んだ彼女は、映画化権を買い取り制作にも参加した。
原作者のスザンナ・ケイセンは、10代の頃に境界性パーソナリティ障害と診断されたが、治癒した後に作家になり同自伝的小説を書いた。
スザンナは現在でも小説家として活動を続けている。
なお、ウィノナ・ライダーは「バカに見える」という理由で元来ブロンドである髪を黒く染めており、女優業については長い間、軽薄で恥ずかしい仕事だと思っていたという。
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ダイアナ妃もリストカットなどの自傷行為、過食嘔吐の摂食障害を克服した人物として知られている。
特に王妃として公人生活を送るようになってからは、衆人の目にさらされるストレス、夫婦間の諍いにより摂食障害が悪化し、カミソリやレモンスライサーで体を切ったり、夫のチャールズと口論中にテーブル上にあったペンナイフで自分の胸や腿を刺すなど衝動的な行動を取ることもあった。
慢性的なうつ状態もあり、大勢の心理療法士や心理学者、精神分析医にかかっていた。
後年のダイアナはチャリティー活動に生きがいを見出し、対人地雷の廃絶、ホームレスやエイズ患者、暴力被害や薬物依存症の女性問題に取り組むなど、既存の枠に捕らわれない奉仕活動を行い、「病んでいる人、苦しんでいる人、虐げられた人とともに歩んでいる」と称えられ、世界中で愛された。
弁証法的行動療法を開発したワシントン大学博士のマーシャ・リネハンは、17歳の時にひきこもりとなり精神科病院に入院した。
当初の診断名は統合失調症であった。
薬物療法を受け始め、その後何時間ものフロイト式精神分析や30回に及ぶ電気けいれん療法も行ったが症状は改善せず、自傷行為の激しさのために2年以上も入院生活を送り、退院後も自殺未遂を起こした。
退院後は保険会社の事務員として働きながら、ロヨラ大学の夜間部に通い心理学を勉強し、1971年に博士号を取得して心理学者となった。
出典: 「境界性パーソナリティ障害」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わたしと有名人を比較せんで欲しいねん。
あのなァ~、めれちゃん。。。“ボダ”を患った人に アホはおらん。。。 めれちゃんが自殺せんかったのは、まだ文学の才能を充分に この世に出し切っておらんからなのやでぇ~。。。
そう信じているのは、あんさんだけやと思うわァ。
ちゃうねん、わて以外にも めれちゃんの才能を見い出した人がおるねん。
新しい才能を直感
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つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。
こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。
孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。
小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、
というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。
ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。
ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。
岩下俊三
July 30, 2009 17:00
『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』の
コメント欄より
『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)
解るやろう。。。めれちゃん。。。 めれちゃんの“忌々しい生命力”は、この文学の才能を出し切るまで続くのやでぇ~。。。
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(すぐ下のページへ続く)