馬鹿やめたのね?(PART 3 OF 4)
恋愛は、年頃の男女が肉体に
触発された心理現象?
音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。
小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。
壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。
(中略)
いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の
“Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。
(中略)
わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。
J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。
pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2
著者: 太田将宏 初版: 1994年1月 改定: 2006年6月
『愛の会話 (2009年3月19日)』より
(violin03.gif)
赤字で強調した所に注目して欲しいのだよ。 「J.S.Bach は、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。。。」と、オマエは書いているのだよ。
そうなのですよ。。。 オイラの家内とは、日本語が通じなくなってから、もう何年になるかァ~。。。!?
あのさァ~、オマエの奥さんは、心優しい いい人なんだよ! オマエは、これまでに、心から奥さんを愛したことがない!
デンマンさんには、オイラと家内の関係は解らないはずです。。。 いい加減なことを言わないでください。
あのさァ~、僕はオマエにも、奥さんにも、かつてお世話になったことがある。。。 だから、普通の人よりも、オマエと奥さんの関係はよく知っているのだよ。 しかも、オマエの作品集の中には、夫婦愛や、男女の愛に関する、オマエの考え方が赤裸々に書いてある。
要するに、オイラは人を心から愛したことがない、とデンマンさんは言うのですか?
その通りだよ。。。 今からでも遅くないから、人を本当に心から愛してみろよ!
つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんは、オイラに愛してもらえないので不満なのですねぇ~?
あのさァ~。。。 気持ちわりィ~から、そういう事を言うなよなァ! 僕には、そういう趣味はないんだから。。。 僕が言いたいのは、もう一度奥さんを見直してごらんよ。。。 人間的には、オマエよりも ずっと素晴らしい人なんだから。。。
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