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チョコレートと甘い権力(PART 2 OF 3)

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チョコレートと甘い権力(PART 2 OF 3)




でも、ずいぶん昔の話じゃないの! 現在のアメリカの政治家に、そのような事をテレビのインタビューで語る人は居ないでしょう?



もちろん、本音をむき出しで語ったらリベラルな考え方を持っているアメリカ国民の反発を買いますよ。 だから、そのような愚かな真似はしません。 でもねぇ~、本音をうまく内に秘めて裏で非人道的な事をしている政治家は現在でも居ますよ。

それってぇ、誰よ?

僕は、たまたま“The Trial of Henry Kissinger”という DVD をバンクーバー市立図書館で借りて観たのですよ。


(trial2.jpg)

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つまり、ヘンリー・キッシンジャー氏がそのような政治家だとケイトーは言うのォ~?



その通りですよ。 以前から胡散(うさん)臭い政治家だとは思っていたけれど、これ程までにあくどい事をやってきたとは思いもよりませんでした。

それ程ひどいことをしてきたの? でも、キッシンジャー氏は1973年にノーベル平和賞まで受賞したじゃないの!

あのねぇ~、確かにそうなのだけれど、裏でカンボジアに空爆を実施したのはキッシンジャーだったのですよ。 そのような裏の状況を DVD は暴露しているのです。 

でも、キッシンジャー氏はベトナム戦争では和平協定を進めたのでしょう?

そうですよ。 でもねぇ、裏でカンボジアに空爆を実施したキッシンジャーが、どうして和平に踏み切ったか? そのままではどうしようもないと思ったからですよ。 それは、その後のベトナム戦争の成り行きを見れば明らかなことですよ。 そもそもカンボジアを秘密裏に空爆することが間違っていたのですよ。

でも、それは結果論でしょう?

あのねぇ、キッシンジャーはアメリカ議会の承認も得ずに、独自に、しかも秘密裏にカンボジアの空爆を実施したのですよ。 米空軍の記録にはカンボジアではなくベトナムに爆弾を落としたことになっている。

でも、戦争というのは、もともと常識では考えられないような事をやることでしょう!?

だけど、現代の戦争は国際法とかジュネーヴ協定を守って戦争をやることになっている。 それをキッシンジャーはアメリカ議会の承認も得ず、ペンタゴンとか、国務省とかを無視してカンボジア空爆を実施した。 そして風向きが悪くなると和平協定に乗り出した。 

和平協定は確か1973年1月27日に調印されたのよね。

そうです。 すべての参加国は「1954年のベトナムに関するジュネーヴ協定によって承認されたベトナムの独立、主権、統一性、領土を尊重する」ように要請された。 その後、アメリカは1969年に開始した米軍の撤退を継続し、同年1月29日、ニクソン大統領はベトナム戦争の終戦を宣言した。 アメリカ軍は3月29日に南ベトナムから撤退完了した。 表面的には、そのような調印へ向けての功績を称え、ヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官と北ベトナムのレ・ドゥク・ト特使にノーベル平和賞が与えられることになった。 でもねぇ、レ・ドゥク・ト特使は辞退したのですよ。

どうして。。。?

グエン・バン・チュー大統領をはじめとする南ベトナム政府は協定に反対だった。 結局、その後も戦争は続いたからですよ。 1973年にキッシンジャーがノーベル平和賞をもらった時、ベトナムにはまだ平和はなかった。 だから、レ・ドゥク・ト特使はノーベル賞を辞退したのですよ。 1975年3月10日に北ベトナム軍は総攻撃を再開し、4月30日にサイゴンを占領。 南ベトナム政府は無条件降伏した。 翌年、1976年7月に南北は統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した。 DVDで、あるジャーナリストはキッシンジャーは和平派(war-ender)と言うよりも、むしろ戦争派(war-maker)と言う方がふさわしいと述べている。

。。。で、キッシンジャー氏が裏で非人道的な事をしたと言うのはどういうことなの?

あのねぇ~、キッシンジャー外交は人権問題へは無関心だった。 中国共産党の支配の下で国民は過酷な統制下におかれていたけれど、人権問題を無視して中華人民共和国との国交を樹立した。

でも、日本政府だって同じようなことをしたのでしょう?

その通りですよ。 日本はアメリカの追従ですからね。 バンドワゴンに乗り遅れないようにと中国との国交を結んだわけですよ。

それが、キッシンジャー氏が裏で行った非人道的な事なの?

いや、まだありますよ。 DVD ではキッシンジャーが1973年にチリのサルバドール・アジェンデ政権転覆に深く関わっていた事を暴露しているのです。 続く親米軍事政権として知られたアウグスト・ピノチェト政権の国内弾圧もキッシンジャーは黙認していた。 ピノチェトのクーデターについて、キッシンジャーは、「われわれは、ひとつの国がその国民が無責任なせいで、共産主義化するのを無為に見ている必要はない」と述べた。 つまり、キッシンジャーは反共主義や勢力圏の安定という自らの信念を民主主義より上位に置き、選挙によって示されたチリ国民の民意を積極的に踏みにじろうとしたのですよ。 アメリカ国内でも、キッシンジャーの態度はタカ派、リベラルを問わず多くの非難を受けた。 1998年にピノチェトが亡命先のヨーロッパで拘束された時には、チリ国内における過去の弾圧への加担者としてキッシンジャーを裁判にかけようとする動きまであった。 

でも、どうして、そうならなかったの?

実は、チリのシュナイダー将軍の遺族が2001年9月10日にキッシンジャーをワシントンの連邦裁判所に告訴したのですよ。

どのような罪で。。。?

ロベルト・ビオー(Roberto Viaux)将軍がシュナイダー将軍を誘拐する計画にキッシンジャーとCIAが援助の手を差し伸べたと言う罪ですよ。 抵抗したのでシュナイダー将軍は殺されてしまった。

。。。で、どうなったの?

アメリカの連邦裁判所は 主権免除・外交特権(sovereign and diplomatic immunity)に基づいてキッシンジャーに対する告訴を取り上げるのを拒んだ。

でも、そのようなニュースを聞いたことがないわ。

あのねぇ~、翌日、9月11日に、あのハイジャックされた飛行機がニューヨークの貿易センターに突っ込んだ。 その騒ぎのために、キシンジャーのニュースは全く問題にされなかったのですよ。

でも、世間ではキッシンジャー氏は「外交の達人」として評価されてるじゃないの。。。?

そうですよ。 キッシンジャーが国務長官退任後に発表した著書や回想録がひろまって、そのように評価されるようになったのですよ。 でもねぇ、知っている人は知っていた。

どういうこと。。。?

ニクソン政権時代には外交政策の司令塔を国家安全保障会議に集中させるあまり、キッシンジャーは国務省の職業外交官たちを重要な外交政策から排除してしまった。 本来なら外国語と外交交渉のプロ集団である彼ら職業外交官を、ニクソン・キッシンジャー外交の手足として協力させるべき責任のあったキッシンジャーだったけれど、彼らを使いこなすことはしなかった。

どうして。。。?

だから、キッシンジャーが自分で権力を握りたかったからですよ。 それで、1971年の極秘訪中の際も、アメリカ代表団に国務省は入ってなかったため、アメリカ側に中国語の通訳ができる人物がおらず、中国側の英語通訳に依存して交渉が行われた。

どうして国務省の役人たちをツンボ桟敷(さじき)にやってしまったの?

キッシンジャーは権力を自分の手の中に集中させようとしたのですよ。

それが「甘い権力」だと言うの?

そうです。 当時のキッシンジャーの敵は中国でも、ソ連でも、北ベトナムでもなかった。 キッシンジャーにとっての真の敵は、アメリカ国内の国務省の高官とか、ホワイトハウスのスタッフだったと言うのですよ。 これには面白いエピソードがあるのです。 キッシンジャーが秘密にしておいたカンボジアの件が新聞記者に漏れた。 これはキッシンジャーに親しい誰かが故意に新聞社に漏らしたというわけで、キッシンジャーはFBIに協力を要請して身近な人物の電話に盗聴器をつけさせたというのです。 あとでニクソン大統領が辞任に追い込まれるウォーターゲート事件の盗聴器は、この時のキッシンジャーの盗聴器のアイデアが使われたようなものですよ。 つまり、何が何でも自分に権力が集中するようにキッシンジャーは手段を選ばず裏で動いたのです。 DVDの中で女性ジャーナリストが言ってるのですよ。 「あなたにとって何が最も重要ですか?」と尋ねたらキッシンジャーは答えたと言うのです。

なんて。。。?

権力こそ、もっとも甘い強壮剤・媚薬(Aphrodisiac)だってぇ。。。

冗談でしょう!?

半分冗談としても、キッシンジャーが自分に権力が集中するように動いていたことは国務省をないがしろにしていた事実からもはっきりしていますよ。 1977年、キッシンジャーがフォード政権の退陣と共に国務長官を退任した時に、コロンビア大学から教授就任の誘いを受けた。

それで、キッシンジャー氏は教授になったの?

ところが、コロンビア大学の学生はキッシンジャーの裏を知っていた。 それで学生の激しい反対にあい、就任を断念しなければならなかったと言う経緯(いきさつ)があるのですよ。 世間を騙したつもりになっても、知っている人は知っているのですよ。

。。。で、その後キッシンジャー氏はどうなったの?

1982年、キッシンジャーは国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立した。 そして、社長に就任したのです。 同社にはジョージ・ブッシュ(父)政権で国務副長官を務めたローレンス・イーグルバーガー(後に国務長官)や、国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレント・スコウクロフトなどが参加しているのです。 また、バラク・オバマ政権で財務長官に就任したティモシー・ガイトナーも、一時同社に籍を置いていた。 世間では「現代外交の生き字引的存在」としてもてはやされているので、キッシンジャーは現在、本を書いたり、世界各国で講演活動を行っているのです。 実際、ニクソン以降のアメリカの歴代大統領をはじめとする世界各国の指導層と親交を持っており、国務長官退任から30年以上たった今でも、その国際的影響力は相当なものだと評価されている。 チリに頭を突っ込んだのも、現地の AT&T とペプシコーラが国有化されそうだということで相談を受けたのが、そもそもの始まりだと言うことですよ。

つまり、キッシンジャー氏のしてきた事は、アメリカ大手企業と CIA、それにチリの軍隊を巻き込んだ軍産複合体の黒い霧だとケイトーは言いたいの?

その黒い霧の奥から次の二人の大統領の言葉が聞こえてくるようですよ。




対外援助は、アメリカが世界に影響と支配を及ぼす地位を維持するための方策である。

--- ジョン・F・ケネディ大統領 (1961年)





念頭におくべきは、援助の主目的が他国の支援ではなく、自国の支援であるということである。

--- リチャード・ニクソン大統領 (1968年)




でも、ケネディ大統領は、軍産複合体の危険に気づいてベトナム戦争から手を引くことにしたのでしょう!?



その通りですよ。 だけど、その軍産複合体の意向に反対したので暗殺されたのですよ。


【初出: 2012年2月22日 『チョコレートと甘い権力』】

 (すぐ下のページへ続く)

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