思い出のベンハー(PART 1 OF 3)
ベンハー
『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)とはアメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。
1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。
小説はフィクションであるが、イエス・キリストをはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。
小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。
この小説はすぐに舞台化され好評を博したため、何度も上演された。
やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。
戦車競走のシーンはあきらかにソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中のオレステスの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。
あらすじ
ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。
紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。
彼の名前はメッサーラ。
メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。
ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。
しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。
そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。
その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった罪人におとされるという憂き目にあう。
護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。
その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。
罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令官の養子にまでとりたてられる。
戦車競走の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。
やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。
1925年の映画
ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。
これが大ヒットとなった。
サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であった。
群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。
戦車競走の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及んだが、編集されて229mになった。
この戦車競走の場面こそが1959年版『ベン・ハー』の戦車競走シーンのモデルとなり、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面の元ネタとなったのである。
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルというサイレント映画史上第3位の興行収入を稼ぎ出している。
あまりの人気に1930年代に入ると音声がついたバージョンも公開されている。
1959年の映画
1959年に公開された名匠ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』は知名度や世界的な名作としての評価においてその揺るぎない地位を獲得した。
同年アカデミー賞にて11部門を獲得。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『杜の都の映画』に掲載
(2009年3月8日)
デンマンさん。。。あんさんはどうしてまた古い映画を持ち出してきやはったん?
バンクーバーの図書館から『ベン・ハー』のDVDを借りて20年ぶりでじっくりと観たのやがなァ〜。
どうして今更『ベン・ハー』やのォ〜?
たまたま、めれちゃんが書いた次の短歌を読んだのやァ。
ひとを選びて
木々の芽は
未だ固く
閉じれども
ひとを選びて
その花を誇る
by めれんげ
2009.03.07 Saturday 23:32
『即興の詩 ひとを選びて』より
『その詩が戯作なら
人生も戯作やでぇ〜』に掲載
(2009年3月11日)
わたしが2年以上も前に書いたものやん。
そうやァ。。。その時、わては次のようなコメントを書いたのやでぇ〜。 覚えてるかァ〜?
う〜♪〜ん。。。
めれちゃんが人生をじっくりと考えながら詠んだということが良〜く出ておるがなぁ〜
そうやがなぁ〜
ひとを選ぶッちゅうことは、とっても大切な事やと思うでぇ〜
でもなぁ〜
人間ちゅうもんは、神様やあらへんから完璧な人はおらへんのやでぇ〜
だから、モンスターエンジンだって、神さんのことをよォ〜取り上げるけれど、あの二人も完璧ではあらへん。
うしししし。。。
人間ちゅうもんは、50%の欠点と
50%長所を持って生まれてきよるのやでぇ〜
もちろん、聡明なめれちゃんも知っておるのやがなぁ〜
でも、ついつい人間が不完全だと言うことを
めれちゃんは忘れてしまうのやぁ。
それで、完璧を求めてしまうのやがなぁ〜
それが、たぶん、めれちゃんに不幸をもたらすのやぁ〜
そうして詠んだのが次の詩なんやでぇ〜
行き違う愛という言葉
わたしに必要なのは
わたしひとりを
愛してくれるひと
わたしひとりが
そのひとに抱かれる
・
愛という言葉を
ふりまくひとに
わたしは別れを告げる
by めれんげ
2009.02.10 Tuesday 11:01
【即興の詩】
『行き違う愛という言葉』より
わては、これから『小百合物語』の中で
『ベンハー(Ben-Hur)』の事を書くのやけれど、
■ 『杜の都のデート (2009年3月10日)』
“愛”を別の言葉で言い換えれば、
“許す”ということなんやでぇ〜
わては、あの映画を見て、しみじみとそう思ったのや!
ええ映画やったでぇ〜
めれちゃんは観たことがあるかぁ〜?
とっても感動的な映画やったぁ。
『ベンハー』の中で言おうとしていることは
人間は憎しみ合うものではなくて
許し合うと言うことやがなぁ〜
ユダ ベンハー(Judah Ben-Hur)の心の恋人 エスター(Esther)が言おうとしていたことは、憎しみ合うことでなくて許し合うと言うことやでぇ〜
ベンハーは、初め、聞く耳を持たなかった。
憎しみの炎を燃え上がらせてしまう。
しかし、やがてエスターの言うことが分かるようになってゆくのやでぇ〜
ミーハーでも理解できるように映画の中では奇跡を起こしたのやけれど、ベンハーは、エスターの言うことをやがて理解する。
キリストさんも出てくるのやでぇ〜
でも、映画の中でキリストさんの顔を見せへんのやぁ〜。
ケチィ〜〜!
わては、そう思ったもんやぁ〜 うへへへへ。。。
でもなぁ〜、あの映画の中で本当にキリストらしいのは、エスターだった。
エスター役のハイヤ・ハラリート(Haya Harareet)はきれいな人やったでぇ〜
普通の意味で「きれい」なんじゃない!
心がきれいな人なんやでぇ〜
あの映画の中で主要な役をした俳優で、現在でも生存しているのはエスター役のハイヤ・ハラリートだけだと言うことや。
なんだか、不思議な気がするなぁ〜
とにかく、あの映画は素晴しかった。
1200円ぐらい払ったけれど、12万円分ぐらいの価値があったと思ったでぇ〜。
うん、うん、うん。。。
。。。んで、めれちゃんのこれまでの短歌と詩は120万円分ぐらいの価値があるでぇ〜
うしししし。。。
マジで。。。
そやから、これからも、あんじょう詩と短歌を書いてぇ〜やぁ。
頼んだでぇ〜
おおきにィ〜
\(^_^)/ キャハハハ。。。
by 心の恋人 (デンマン)
2009-03-08 06:13 AM
『即興の詩 ひとを選びて』のコメント欄より
『その詩が戯作なら人生も戯作やでぇ〜』に掲載
(2009年3月11日)
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