エロマンガ島 (PART 3 OF 4)
わたしと詩の出会い
at 2006 05/10 00:32 編集
(terayama.jpg)
寺山修司氏の詩に出会いました。
学校の図書室で。
めっちゃくちゃハマりました。
お小遣いをためて、詩集を買いました。
だんだん自分でも書くようになって、
もう何年たつのかわからない・・・
日記と詩が日課だった時期が、
とても長かったです。
このホームページの中でも、
詩を書かせてもらってますが、
それがはじめてです。
ほかの人に自分の詩をみせたのは。
すっごく画期的。
わたしにとっては。
『えっちなんです』より
(2015年2月21日)
社会科のエロいクラスメートにも影響を受けたけど、めれちゃんは図書室で寺山修司の詩にハマッたのやないかいなァ~。。。 そいで、やがて境界性人格障害に悩まされて何度も死の淵を彷徨(さまよ)うことになるねん。。。
(sadgirl.gif)
不安と焦燥感と寂しさ
もう、このままで生きてるんなら、
命いりません。
ドナーカード持ってるから、
心臓でも角膜でも、
なんでも持っていって下さい。
家族はいません。
承諾とらなきゃいけない人は
誰もいません。
by メレンゲ
2004/10/03 18:28
(dokuro3.gif)
『自殺の名所』より
(2012年12月19日)
こないな“死の願望”をネットで公開するまでになる。。。 そやけど、どういうわけか、めれちゃんは死に切れへん。。。 それはなぜか? なぜなら、めれちゃんは“文学少女”から 更なる成長を遂げなければならなかったのやがなァ~。。。
私は骨の髄まで
文学少女なのです
(sadgirl32.gif)
「文学少女」は普通の小説である。
探偵小説壇には普通の小説に似たものを書く人も多いけれど、その気迫において「文学少女」までいたっている作品は非常に少ないのではないかと思う。
短い短編の中に類型ではあるが、しかし決して通常人ではない一人の文学少女の生涯が、簡潔に、しかし溢れる「情熱」と「自尊心」とをもって描かれている。
。。。
僕はかつて、「日本探偵小説傑作集」の序文で、探偵作家諸君の作風を紹介したことがあるが、その中で木々高太郎君だけは、少し見誤っていたことを告白しなければならない。
彼の文学執心には医学者の余技以上のものがある。単なる精神分析作家ではない。
文学心に燃ゆること、探偵小説界彼の右に出(い)ずるものもないほどであることが、だんだん分かってきた。
僕は彼の作品に、スリルまでに高められた「情熱」と「自尊心」とを感じる。
それが人を打たぬはずはない。
「文学少女」でいえば、わざと学校の答案を間違って書くというくだり、
「恋愛は二人のことだけれど文学は孤独の業である」というくだり、
大心池(おおころち)博士が具体的表現ということから女主人公の文学素質を看破するくだり、
有名な小説家に自作を剽窃(ひょうせつ)されて怒るよりも喜ぶという心理、
その謝礼金の小切手を夫が費消(ひしょう)したことを知って、突如としてメチルアルコールを買いに行くあたりの描写、
そして、女主人公が獄中で一躍流行作家となる運命。
「先生、痛みなどは何でもありません。私は始めて人生を生きたいという希望に燃えて来ました。
(中略)
文学というものは、なんという、人を苦しめ、引きちぎり、それでも深く生命の中へと入って消すことのできないものでしょう。
でも、私はもう七度(たび)も生まれてきて、文学の悩みを味わいたいのです。
私は骨の隋まで文学少女なのです」
これは女主人公が普通の人には堪えられぬ程の骨の痛みに堪えながら、大心池先生に叫ぶ言葉であるが、僕はそれを作者木々高太郎の絶叫ででもあるように錯覚して、快い戦慄を禁じえなかったのである。
そして...
(kiss123.jpg)
「お願いが一つあるのです。。。それは私はもう一度生まれてきて、文学をいたします。そしたら、やっぱり先生が見出してくださいますわね」
「。。。ミヤが心の内で、先生に接吻しているのを許してください」
…とやせ細った手を上げたが、それは先生を身近く招くためではなくて、近づこうとする先生を、近づかぬように制するためであった。
…という幕切れの、パッと消えてゆく情熱の花火が、消え行く刹那、たちまちその色彩を一変して見せるかのごとき、すっきりしたあの味。
僕は木々高太郎君が、「情熱」の作家であることを知っていた。
しかし彼のより以上の特徴が自尊心の作家であるということをハッキリ認識したのはつい三四ヶ月以来である。
僕は以前からも、それを漠然と感じて、「気迫」という言葉で言い表わしていたが、「自尊心」というのがもっと適切である。
pp.511-513
「文学少女」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社
『自分の世界を持つ』に掲載
(2009年5月26日)
この小文が どないしたと言うねん?
つまり、めれちゃんも骨の髄まで文学少女やったのやがなァ~。。。 それで めれちゃんの場合には次のようになるねん。
(renge25y.jpg)
「お願いが一つあるのです。。。
それは私はもう一度生まれてきて、
文学をいたします。
そしたら、やっぱりデンマンさんが
見出してくださいますわね」
「。。。めれんげが心の内で、
デンマンさんに接吻しているのを
許してください」
(kiss003.gif)
…とやせ細った手を上げたが、
それはデンマンを身近く招くためではなくて、
近づこうとするデンマンを、
近づかぬように制するためであった。
あんさん。。。 また妄想をたくましゅうしやはったん?
いや。。。 決して妄想やないでぇ~。。。 めれちゃんは“文学少女”から、さらに生まれ変わって“平成の与謝野晶子”になろうとしていたのやないかいなァ~。。。
その証拠でもあるのォ~?
あるでぇ~。。。 めれちゃんは次のようなエロい。。。 いや。。。 極めて情熱的な短歌を書いていたのやでぇ~。。。
くちづけ
(kiss003.gif)
罪深き
ことと知りつつ
この夜も
きみのくちづけ
もとめて止まぬ
(merange52.jpg)
by めれんげ
2009.01.14 Wednesday 14:21
『即興の詩 冬枯れ』より
旧・【即興の詩】サイトは閉鎖!
『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)
この短歌は、与謝野晶子が詠んでいた次の短歌と同じように情熱的なものやんかァ~。。。
やわ肌の
あつき血汐に
ふれも見で
さびしからずや
道を説く君
by 与謝野晶子
(yosa11.jpg+yosa22.jpg)
あんさんは わたしに“平成の与謝野晶子”になれちゅうのォ~。。。?
あきまへんかァ~?
あっか~♪~ん! そないなこと、日本語が解る世界のネット市民の皆様の前で言えるわけないやろう!? あんさんばかりか、わたしまでが笑われてしまいますやん。。。
めれちゃん。。。 そないに謙遜することはあらへん。。。 ここまで読み張ったネット市民の皆様は、めれちゃんの日記に、ちゃんと“栴檀は双葉より芳し”を見てるねんでぇ~。。。 すくなくとも、めれちゃんも、与謝野晶子も、一つだけ共通するものを持って生まれてるゥ~。。。
それってぇ、なにィ~?
二人とも エロいねん。
(foolw.gif)
(すぐ下のページへ続く)