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愛を信じて(PART 1)

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愛を信じて(PART 1)



 
  

自分だけが愛されたい



我々は皆、自分ひとりだけ愛されたい。
「林檎(りんご)の木の下で、私の他の誰とも一緒に座(すわ)っちゃいや」という古い歌の文句の通りである。
そしてこれは、W・H・オーデンが言っているように、人間というものが持っている一つの根本的な欠陥なのかもしれない。




どの女も、男も、
持って生まれた迷いから、
適(かな)えられないことに心を焦がし、
普遍的な愛だけではなくて、
自分だけが愛されることを望む。


しかしこれは、それほど罪なことなのだろうか。
私はこの句に就いて或るインド人の哲学者と話をしていて、非常にいいことを聞いた。
「自分だけが愛されることを望むのは構わないのですよ」とその哲学者は言った。

「二人のものが愛し合うというのが愛の本質で、その中に他のものが入ってくる余地はないのですから。 ただ、それが間違っているのは時間的な立場から見た場合で、いつまでも自分だけが愛されることを望んではならないのです」というのは、我々は「二つとないもの」、---二つとない恋愛や、相手や、母親や、安定に執着するのみならず、その「二つとないのも」が恒久的で、いつもそこにあることを望むのである。

つまり、自分だけが愛されることの継続を望むことが、私には人間の「持って生まれた迷い」に思える。
なぜなら、或る友達が私と同じような話をしていた時に言った通り、「二つとないものなどなくて、二つとない瞬間があるだけ」なのである。



(注: 赤字はデンマンが強調
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)



62−63ページ 『海からの贈物』
著者: リンドバーグ夫人 訳者: 吉田健一
2000(平成12)年7月15日 第63刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




デンマンさん。。。あんさんは久しぶりに愛の本質について話しますのやね。



そうやでぇ〜。。。めれちゃんも、なんとのう、わくわくとしてきたやろう?

してきませんがなァ〜。。。

どうして。。。?

どうしても、こうしても、わたしに対するあてつけがましい事を引用してはりますやん。

さよかァ〜?

何を惚(とぼ)けてますねん! あんさんは、どうせわたしの次の手記を引用しますのやろう!?


行き違う愛という言葉
 
 

 
 
わたしに必要なのは

わたしひとりを

愛してくれるひと

わたしひとりが

そのひとに抱かれる
 
・ 
 
愛という言葉を

ふりまくひとに

わたしは別れを告げる
 
  
by めれんげ
 
2009.02.10 Tuesday 11:01



「即興の詩」
『行き違う愛という言葉』より

『裏切られた愛』に掲載
(2009年6月13日)




あれっ。。。めれちゃんは、こないな事を書きよったのかァ?



何を言うてますねん。。。惚けんで欲しいわァ!。。。あんさんは、この手記を持ち出そうと思ってリンドバーグ夫人の書いたものを引用しやはったのやろ?

いや。。。それは、めれちゃんの考えすぎやと思うでぇ〜。。。被害妄想とちゃうかァ〜?

それやったら、あんさんはどないの手記を持ち出すつもりやったん?

よう聞いてくれたなァ〜。。。わては次の手記を持ち出すつもりやったのやでぇ〜(微笑)


頼りに思っています

投稿日時: 2007-04-09 11:29
 
縁は異なもの妙にして有難きものですね



デンマンさん♪
まずは50万ヒット達成おめでとうございます!
継続は力なり。
そして、凡庸へのアンチテーゼへの、
様々なリアクションが、社会の縮図として
ネット上で展開されてきたことに、
ますます好奇心と関心をそそられています!

…と、話題を「不倫」にしますね
わたしの実生活でのスタンスは、
「羹にこりてナマスを吹く」なんですよー
不倫経験は、例の件の後にも先にも全くありません…

既婚者であるか否か、ということを
神経質なほどに気にかけて、
男性とのおつきあいを
するようになりました。

当然、いくら懇意になったとしても
既婚者の方とは、決して何があろうとも
never、 never、 never
肉体関係を持つことは、避けておりますー

男子「ええやんか。おまえのことホンマに大事にするって!」
わたし「アッカーン!あんたは友達ですう!」
まあ、こんな具合ですね

男ともだちとして、
つきあっている既婚男性は、いるのですが
冗談?本気?で迫ってこられても、
キック.パンチなどを、お見舞いして、
「ヨメさんとしなさーい!」
と、一喝するわたしですよ…
かなりカタくなってしまいましたね。ははは。

学習能力というものが、
わたしには強烈に作用しているようですね。

それにしても
デンマンさんのおっしゃるように、
長いおつきあいになりましたよねっ!(ニコニコ)
ネットで知り合って、紆余曲折はあったものの、
現在もこうして、きわめて親密なやりとりを
続けることができている、ということに、
あらためて「縁」というものを感じています。

そして、今のわたしはデンマンさんを
信頼しています。
信じていると同時に、頼りに思っている面も
あるんですよ(困りますか?)

わたしがデンマンさんに対してキレること…
今は、自分から一方的に決別するようなことは
考えられないんですよ
互いを人間として尊重しつづければ、
何ら恐れるものはないと、思っています。

それに…
しつこいようですが
わたしはボダを克服したんですよ!
とっても苦しい道のりでしたが、
通院するとともに、自分でも勉強して、
回復のための、あらゆるメソッドの中で、
「気付き」というものを、得ることができました。
かたくなで脆い自我を、育てなおすこと…

それは、死ぬまで続けなければならないことですが、
逆戻りなどしたくはありません。
ボダのマイナス面によって、
自分以外の方に、迷惑をかけることが
如何に幼稚で見苦しいものかということを、
血がでるほど、痛感しています。

by レンゲ



『あなたのロマン』より
(2007年9月28日)




あんさん。。。マジで上の手記を持ち出すつもりやったん?



もちろんやァ!。。。めれちゃんがマジで「気付き」をゲットして、リンドバーグ夫人のように次の事実に気づいたのやないかいなァ!

自分だけが愛されることの継続を望むことが、

私には人間の「持って生まれた迷い」に思える。

なぜなら、「二つとないものなどなくて、

二つとない瞬間があるだけ」なのである。

それで、わたしがこの事実に気づいたという証拠でも、あんさんはゲットしやはたん?

もちろんやァ!。。。めれちゃんは次のように短歌を詠んで告白していたやないかいなァ。



 
 
朝まだき

眠れぬふたり

闇ふかく

重ねる身体

心みだれて
 
 
めれんげ



『裏切られた愛』より
(2009年6月13日)




分かるやろう、めれちゃん。。。? めれちゃんは自分だけが愛されたいという独占的な愛を望んでいたので心が乱れてしもうたのやァ。 そうやろう?



あんさんは、こないな短歌まで保存しておきはったん?

そうやァ。。。こないな時に利用価値があるねん。 うししししし。。。

こないな時に笑わんで欲しいねん。 つまり、あんさんの言う「広い愛」で愛し合うならば心が乱れへんと、あんさんは言わはるのォ〜?

そうやァ! なぜならば、お互いに人間として尊重し合って、許し合えるからやァ。 めれちゃんかて「気付き」をゲットしたのやさかいに理解できるやろう?

そやけど、それはおかしいねん。

どうして。。。?

男女の愛は、もともと閉鎖的ですねん。 わたしは、はっきりとあんさんに言ったつもりでっせぇ〜。。。


バカバカしい

テーマ: ヲチヲチヲチ〜♪



ああ。バカバカしい。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛をいっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。

それとも、ただのエロなのか?

もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。

posted by merange (めれんげ)

2009-03-08 18:48:47



『バカバカしい (2009年3月8日)』より

『雨降って仲直り?』に掲載
(2009年4月6日)




あのなァ〜、めれちゃんは時たま感情の爆発を起こすねん。



わたしがブチギレて上の手記を書いたと、あんさんは言わはるのォ?

そうやァ!。。。めれちゃんかてぇ分かってるねん。 そやから次のような手記を書いていたやないかいな。


 
シロとクロの世界
 



2004-09-08 11:45

わたしは精神障害者です。
しかも、誰もが関わりたがらない
境界性人格障害者です。
時に、感情の爆発という
発作も起こります。

愛憎にあやつられる人生です。
わたしの世界には、
シロかクロしかありません。
誰かに愛着をかんじすぎると、
怖いのです。
見捨てられ感、迫害妄想で、
全面的に愛していた人のことを、
全面的に否定してしまうのです。

そのうえ、わたしはある人に対して、
“ほれこむ”ということも、
よくあります。

でも、その場合でも、
相手から見れば全く理不尽な
理由で、ほれこんでいた人のことを、
全否定してしまうのです。

これらは、精神の発達が
未熟であるのはもちろん、
幼少時の体験によって
「見捨てられる恐怖」が、
頭にこびりついていて、
見捨てられる
つらさを味わうくらいなら、
こっちから先に、
相手との関係を絶つ、という
逃げの行動なのです。

わたしは、この障害で
苦しんでいます。
わたしに関わったことで、
理不尽な気持ちで去ってゆく
“被害者”の方々も、
多いと思います。

治せるものなら治したい。
でも、幼い頃の心の傷が、
真人間になることを、
かたくなに拒み続けます。
二度と傷つきたくないから、
防衛するのです。
この硬い殻を、
どうすればこわせるのか・・・

治療はうけていますが、
今は目先の“うつ”
の治療が主です。
それも、最近容態が悪いようで、
心理テストなどばかり受けています。

長々と書いてしまいましたが、
こんな迷惑な人間も
いるのだということを、
書き連ね、より自虐的に、
とことんどんぞこまで
落ち込み、自分への罰と
したいとおもいます。

by レンゲ



『信頼と思い込み』より
(2007年6月4日)




 (すぐ下のページへ続く)




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