あなたの平和な日々(PART 1)
8月15日に考えたこと
中世の十字軍時代の資料を読んでいて感じたことなのだが、当時の西洋のキリスト教徒にとっての十字軍は、イエス・キリストのために行う聖戦だった。 ところが攻めてこられた側のイスラム教徒たちは、宗教戦争とは見ずに侵略戦争と受けとったのである。 宗教心から起こった戦争ではなく、領土欲に駆られての侵略というわけだ。
そのアラブ側の資料を読みながら、私は思わず、ならばその前の時代の北アフリカやスペインへのイスラム勢の侵攻は何なのよ、と言ってしまった。 その時代のイスラム教徒は、右手に剣左手にコーランという感じで、地中海の南に限らず西側までもイスラム下に加えていたのだ。
(中略)
第二次大戦での日本も、防衛で始まり侵略に移った後でも勝ち続けて大東亜共栄圏を樹立し、しかもそれで百年つづいていたとしたら、侵略戦争と言われることもなかったろう。 だが、その前に負けたのだ。 七百年も昔にキリスト教側の敗退でケリがついているはずの十字軍でさえも、今なおイスラム側では侵略戦争としているくらいなのだ。...ゆえに私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。 はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまったのだった。
となれば、毎年めぐってくる8月15日に考えることも、方向がはっきり見えてくるのではないか。 第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、戦時中と戦後の日本と日本人を振り返って示す。
戦争を知らない世代に知らせるためである。 だがその後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。 そこで論じられるのはただ一つ。 どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むか、である。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
218 - 220ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010(平成22)年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
ケイトー。。。今日は8月15日の日本の敗戦のことなの?
いけませんか?
ケイトーが引用した塩野七生さんの文章では、かなり物騒(ぶっそう)なことを言ってるじゃない!?
シルヴィーにも判る?
だってぇ、第二次大戦の反省なんてものは脇に押しやり、どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むかを考えなさい!と言ってる訳じゃない!? なんだか軍国主義に戻れと言ってるみたいじゃない?
僕にもそのように聞こえますよ。
だから、私は危険じゃないの!?と思うのよ。
シルヴィーもそう思うでしょう? だから、僕も塩野七生さんの文章を取り上げたのですよ。
塩野七生さんさんは戦争を体験しているのでしょう?
1937年生まれだから終戦の時には8歳ですよ。 だから、戦争の悲惨さを覚えていると思うのですよ。
悲惨な戦争体験を持っていれば、たいていの女性は戦争を始める事など絶対に反対するはずよね。
うん。。。僕もそう思いますよ。 「戦争を知らない世代に知らせるためである」と塩野七生さんは書いているけれど、塩野さん自身はそれほど酷(ひど)い戦争体験を持っているようには思えない。
ケイトーは、どうしてそう思うの?
あのねぇ〜、戦争の悲惨さを体験した人は、どうやれば日本は、二度と負け戦をしないで済むかなんてことか書かずに、たとえば次のように書くのですよ。
石原「元帥」の人気を憂う
石原慎太郎東京都知事が2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している。 もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。 (中略) こういうものに対処するには、なかなか警察の力をもっても限りとする。 ならばですね、そういう時に皆さんに出動願って、都民のですね災害の救援だけではなしに、やはり治安の維持も、一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」などと発言した、と新聞で読んだ時、私はアメリカにおける少数民族の自分をそれに当てはめてみて身震いをした。
(中略)
この後、真夜中に大阪で迷い回ってやっと摑まえたタクシーの私ぐらいの年恰好の運転手が石原知事の発言を誉めたもんで、「あなたは戦争を覚えているでしょ。 彼のような国粋主義者が天下を取って、兵役を敷いたら、あの人に投票した人はみな年齢を問わず兵隊に行ってもらうから」と怒鳴ったら、彼は「へえ、行きまっせ。 国のためやったら敵ぐらい何ぼでも殺したる」と言ったので私は恐ろしくなって降りようと思ったが、真夜中に不案内なところでタクシーを摑まえるのも怖いしで、そのままホテルに着いた時も怒鳴り合いの最中だった。 ドアマンがいなかったのが幸いだった。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
44 - 46ページ
『なにゃ、これ? (アメリカと日本)』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店
米谷ふみ子
1930年大阪生まれ。 作家・画家
大阪女子大学国文科卒業
二科展に三年連続入選し、関西女流美術賞受賞。
1960年、米国からフェローシップを受け、渡米。
作家ジョッシュ・グリーンフェルドと結婚し、二児の母となる。
現在、ロスアンジェルス郊外在住。
第94回芥川賞受賞。
なんだか笑ってしまうわね。 米谷ふみ子さんは変わった経歴の持ち主なのね。
僕も実は、米谷ふみ子という名前を初めて目にしたのですよ。 面白そうなタイトルなのでバンクーバー図書館から上の本を借りて読んでみたら、確かに面白い人だと思いましたよ。
それで、ケイトーも米谷ふみ子さんの考え方に同意するの?
もちろんですよ。 僕が米谷ふみ子さんの立場に居たら、タクシーの運転手に同じような事を言い、間違いなく喧嘩になったと思いますよ。
そうねぇ、ケイトーならば警察のご厄介になったかもしれないわね。 (微笑)
米谷ふみ子さんは1930年生まれだから塩野七生さんよりは7つ年上です。 だから、終戦の時には15歳。 戦争中は嫌な思いばっかりしたので、戦争は何がなんでも絶対反対だと本に書いてあります。
女性ならば、たいていの人がそう思うでしょうね。
そうですよ。 もう亡くなってしまった作家の野上弥生子(1885−1985)さんも太平洋戦争が始まる前、1937(昭和12)年の年頭の新聞に次のように書いていましたよ。
たったひとつお願いごとをしたい。 今年は豊年でございましょうか、凶作でございましょうか。 いいえ、どちらでもよろしゅうございます。 洪水があっても、大地震があっても、暴風雨があっても、……コレラとペストがいっしょにはやっても、よろしゅうございます。 どうか戦争だけはございませんように……
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
僕は戦後生まれだけれど、親類にもあの戦争で死んだ人がいるし、僕の親父は満州から沖縄に転戦して、運がよく沖縄本島ではなく宮古島に駐屯したので全滅にならずに生き残ったのだけれど、僕の親類の生き残りの人たちからも戦争の悲惨な体験を聞かされて、僕自身が戦争は絶対にやってはならないと思うようになりましたよ。
塩野七生さんは、そのような悲惨な戦争体験を聞かされたことがないのかしら?
ないのでしょうね。
でも、戦争は反対するのが当然だと私は思うのだけれど。。。
あのねぇ、塩野七生さんは歴史を40年書いているのですよ。
だったら戦争の悲惨さを知っているでしょう!?
でもねぇ、塩野さんはオツムの中で。。。特にローマ時代からの戦争、それに十字軍などの戦争を書いてきた。 でも、実際には戦場に出向いたことはないし、要するにオツムの中で戦争の物語を書いてきたから、自分の体で体験した戦争の悲惨さを知らない。 だから僕は塩野七生さんのことを“戦争の箱庭作家”と呼んでいるのですよ。
でも、戦争体験を実際に身をもって体験するなんて現在の作家には難しいのじゃないの?
あのねぇ〜、作家じゃなくても実際に戦争の悲惨な体験を自分で確かめてエッセーを書いている人が居ますよ。
誰。。。?
黒柳徹子さんですよ。 次のように書いていましたよ。
チャイルド・ソルジャー
「もし、いま銃をあなたに渡したら、あなたは、また人を撃ちますか?」
私は、自分でも、こんな風に少年を問い詰めるみたいなのはイヤだと思った。 この子は、たった10歳だったんだから。 でも、少年兵が、どんな考えで、そして、どんな状況で、内戦に参加していたかは、ちゃんと知らなければならない。 ...少年は小さい声で答えた。
「もう、撃ちません」
この会話を聞いたら、みなさんは、なんて凶暴な子どもだろう、とお思いかも知れない。 でも、この子は、大人たちにあおられて、兵隊になった。 戦争が終わった今、殺された側の人たちから人殺しと呼ばれ、離れた村に住む両親も、この少年の親ということで、まわりの人たちから嫌われているという。
生活は、すべて戦争で台無しになた。 この子は、行くところがなくて、アメリカ人の宣教師が1992年に作ったた、子どもの、「いやしの家」にいた。 戦争の犠牲になった子どもや、兵隊だった子どもたちを藪の中から探し出し、ここに連れてきて、社会復帰できるようにする。 心のケアもしてくれるという。 小柄だけど、いま17歳になったという、その少年を私は見た。
(自分のしたことが、なぜ、いけなかったんだろう。 正しいことだと思ってやったのに。 一体、あれは何だったんだろう)。
私は、きっと、その子がそう思っているのだろうと思った。
だけどいま、誰も彼に対して責任をとってはくれない。 私は涙をこらえるのに必死だった。
その子とダブって、私には、日本の軍国少年や、特攻隊の若者や、我先にと死んでいった志願兵のことが浮かんだからだった。 特攻隊の生き残りで、一生涯、屈折したままで死んだ俳優の顔も浮かんだ。 戦死した戦友たちに済まない、という思いが、生きている間中、彼を悩ましていたことも知っていた。
(中略)
この地球上の87%の子どもは、発展途上国で暮らし、その多くがこんな風に、家族や自分の命を心配しながら必死に生きている。 残りの13%が先進国の子ども。
この、ほんの一握りの子どもが、ちゃんとしたお水を飲んで、ご飯もたべて、予防接種もして、教育も受けさせてもらっている。 日本は、その13%の中に入っている。
「ほんとうの幸せとは?」。
地球上の子どものすべてが、安心して希望を持って生きていかれる時が来たら、それが本当の幸せ、といえると思う。 そうやって考えてみると、私が小さい時、雨の降る夜、家の中にいて(うれしい)と思ったのが、本当の幸せではないか、と思えてもくる。 少なくとも、世界の発展途上国の子どもたちは、そう考えるのじゃないか、と思える。
ひきこもり、登校拒否、家庭内暴力、子どもの自殺、家庭崩壊、わが子殺し、動物虐待……、いま日本で問題になっているすべてのことが、なかった家庭。
「家族が一緒にいて、顔を見合わせて笑える家庭」。 これが、新しくはないけれど、私にとっては、「ほんとうの幸せ」のように思える。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
134 - 135、211 - 212ページ
『小さいときから考えてきたこと』
著者: 黒柳徹子
2001年11月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社
「チャイルド・ソルジャー」なんて、あってはならないことだわ!
シルヴィーもそう思うでしょう!? 黒柳さんは20年近くユニセフ親善大使を務(つと)めてイラク戦争やアフガン戦争の時の難民キャンプを自分の目で見て悲惨さをエッセーに書いて日本人に、その悲惨さを訴えているのですよ。
黒柳さんはいくつぐらいの人なの?
この人は年をとらない不思議な人なのだけれど、生まれは1932年8月9日ですよ。
あらっ。。。もう80歳近いのじゃない!?
そうなのですよ。。。写真を見ると、ちょっと信じられない。
つまり、戦争に絶対反対している人は塩野七生さんよりも、皆、年上の人なのね?
いや。。。そのようなことはありません!
戦後生まれの人でも絶対反対している人が居るの?
居ますよ。 僕ですよ。
ケイトー以外によ。。。。
居ますよ。 韓国の人気作家の孔枝泳(コンジヨン)さんですよ。 1960年代のはじめに生まれてますよ。 ちょっと次の小文をシルヴィーも読んでみてね。
どんな殺人にも反対する
孔さんは、アメリカで、イラク戦争に反対する州はマサチューセッツ州やニュージャージー州など東海岸に集中し、開戦に賛成しているのはテキサス州を始めとする西南部の州であることを知る。 ふと思い当たった孔さんは、すぐさま、それまで収集した死刑関連資料を引き出してみた。 ...イラク戦争に反対している州では、すでに百年以上ものあいだ、死刑制度が廃止されたままであり、逆に開戦支持の州では、ほとんどが今なお死刑制度が継続しているのだった。
(中略)
---フセインも悪い人間だ。 だが、そんなひとりの人間を殺すためにたくさんの人が死ななきゃならないのだろうか、いや、違う!
次の日、孔枝泳(コンジヨン)さんは子どもたちを呼んだ。
「死刑はやっぱりいけない。 人を殺しては駄目。 人はどんな場合にも他人の生命を奪ってはいけないの。 だからこそ、殺人は最大の罪なのよ」
子どもたちへの孔さんの話は続く。
「殺したのが国家だからといって罪にならないわけではない。 私たちがそういう行為をすべて罪と断定してこそ戦争に反対できるし、どんな形の殺人にも反対する本文が立つのよ」
死刑制度廃止に対する彼女の強い意志が肌に伝わってくる。
正直、僕自身はというと、彼女の意見にそのまま賛成できない。 殺人を行った人間や死刑制度のことよりも、殺された人やその遺族の思いのほうが、強く胸に迫ってくるからだ。
ただ、自分が正しいと思ったことをはっきりと表現する、ひたむきで、リスクを恐れない孔枝泳さんの姿に、敬意を表したい。
(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)
204 - 205ページ 『半島へふたたび』
著者: 蓮池 薫
2009年9月9日 第11刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
要するにケイトーも孔枝泳さんのように死刑制度も戦争も絶対反対するの?
もちろんですよ。
でも、そのような事をネットでいくら書いても戦争は無くならないと思うわ。
あのねぇ〜、何もしないよりはマシなのですよ。 戦争を無くすのは意識の問題ですからね。
そうかしら?
歴史の流れを見てくださいよ。 ガンジーさんの無暴力抵抗運動を手始めに、マーチン・ルター・キング牧師、ダライラマ14世、マザー・テレサ、それに、アウンサン・スーチー女史と無暴力を標榜しながら独立運動、貧困撲滅、人種差別や、戦争反対に命を捧げて運動してきた人たちが居るのですよ。 だからねぇ、そのうち世界のネット市民から意識革命が起こって、あと10年もすれば、この世界から戦争が無くなりますう。 僕は100年早く生まれてきてしまったのですよ。 うへへへへへ。。。
(すぐ下のページへ続く)