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パリ夫人(PART 2 OF 4)

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パリ夫人(PART 2 OF 4)



『舶来夫人(2011年11月7日)』



よく覚えてますね。



だってぇ、上の記事を書いたのは、まだつい最近ではありませんか!

「舶来夫人」というタイトルにしたのも、もとをただせば小百合さんの上流志向というか? 豪華なものというか? そのようなものに寄せる思いが気になったからなのですよ。

それで、今度はどう言う訳で「パリ夫人」なのですか?

あのねぇ〜、考えてみたら僕にも「上流社会」を垣間見たような思い出があったのですよ。

その思い出ってぇ。。。?

かつて卑弥子さんと「上流社会」について話したことがあるのですよ。 ちょっと読んでみてください。






今日は上流社会についてお話なさるのでござ〜♪〜ますか?



そうですよう。でもねぇ、僕は上流社会だとか下層社会だとか。。。そう言うようにレッテルを貼る事は嫌いなのですよう。

どうしてでござ〜♪〜ますか? デンマンさんは下層社会に生まれて育ったので、上流社会に対して嫉(そね)みとか、妬(ねた)みを感じているのでござ〜♪〜ますか?

ほらねぇ〜。。。十二単を着ていると、そのような事を言うのですよねぇ〜。。。僕はそのように言われるのが一番イヤなのですよう。

つまり、あたくしが本当の事を申し上げたので、デンマンさんは頭に来て、ムカついているのでござ〜♪〜ますわね?

ますます僕の気に障る事を卑弥子さんは、わざと言うのですか?

わざとではござ〜♪〜ませんわ。 あたくしは思ったとおりの事を言っているのでござ〜♪〜ますう。 常日頃からデンマンさんが本音で生きなさいと言っているので、あたくしはデンマンさんの助言どおりに、心に浮かんだ事をズバズバと申し上げているのでござ〜♪〜ますわ。

心に浮かんだとしても、言わなくていい事まで言う必要は無いのですよう。

でも、上流社会についてデンマンさんがお話になるのですから、あたくしの申し上げている事は決して脇道にそれているとは思いませんわ。

でも、卑弥子さんは、まるで日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、わざと僕の気持ちを不愉快にさせていますよう。

いいえ、それはデンマンさんの誤解でござ〜♪〜ますわ。 あたくしは『小百合物語』のホステス役としてデンマンさんのお手伝いをしているだけでござ〜♪〜ますわ。 おほほほほ。。。

だったら僕を不愉快にさせるような事を言わずに、今日の話題に沿った事を言ってくださいよう。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんにとって上流社会とは、どのようなものなのでござ〜♪〜ますか?

実は、僕は思いがけなく、子供の頃に上流社会を垣間見た事があるのですよう。

どのようにして、でござ〜♪〜ますか?

ちょっと次の写真を見てください。





実はねぇ、この写真は僕がコラージュして作ったものですよ。 僕が小学校1年生か2年生の頃覗き見た別世界のイメージですよ。



行田ですか?

そうですよ。行田の町は戦前、足袋で知られた町だったのですよ。日本の足袋生産の7割から8割を占めていたと言われたほどです。行田の町を歩くと、どこからとも無く、次のような音が聞こえてくると言うのですよ。




フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ

フンジャトッテ、カッチャクッチャ






何ですか、これは。。。?



足袋を作る女工さんがミシンを踏む音ですよ。フンジャとは、ミシンを踏んで、トッテとは、給料を貰って、カッチャで、行田のフライを買って、クッチャでフライを食べるわけですよ。それで、ミシンを踏む音がフンジャトッテ、カッチャクッチャと聞こえると言うのですよ。

つまり、“行田のフライ”と言うのは、女工さんのための食べ物だったのでござ〜♪〜ますか?

調べてみると、どうも、そうらしいのですよう。

。。。んで、上のカッチャクッチャは、デンマンさんが語呂合わせで作ったのですか?

違いますよう。 昔から行田で言い伝えられています。ところが太平洋戦争後、アメリカからナイロンの靴下が入ってきて、足袋産業はすっかり落ちぶれてしまった。 僕が小学生の頃には足袋を履いて学校へ行く生徒なんて全く居ませんでしたよ。

それで、足袋と白いドレスを着た女性の写真は、一体どのような関係があるのでござ〜♪〜ますか?

行田の本町(ほんちょう)通りと言うのが町のメインストリートなんですよ。その通りには足袋で財を成した人の大邸宅と工場が建っていた。 でも、僕が小学生の頃はほとんどの工場が足袋を作らず、学生服だとか作業衣を作るようになっていた。 でも、つぶれてゆく工場が後を絶たなかった。その一つが上の写真ですよ。

つまり、足袋で財を成した人の大きな邸宅があったのですわね?

そうですよ。でも、僕が小学校へ行く道筋にあったその邸宅は、いつも大きな門が閉まっていた。門が開いているのを見たことが無かった。

それで。。。?

いつも大きな門が閉まっていて中が見えない。 子供心に、この家の門の中はどのようになっているのだろうか?好奇心が湧いてきたのですよう。

それで、デンマンさんは覗いてみたのでござ〜♪〜ますか?

そうですよ。 がっしりとした大きな門も風雪に晒されてガタが来て隙間ができていました。 それで、その隙間から覗いたのですよ。

そうして見たのが上の写真のイメージだったのですか?

そうですよ。 びっくりしましたよ。 白いドレスを着ている人なんてアメリカ映画でしか見たことが無い。 それに晴れているのに白いパラソルなんかさしている。 “晴れているのに、なぜ傘をさしているのだろう?” それまで、パラソルをさしている女性を見たことが無かったのですよ。 とにかく、幻想的というか、初めて見る夢のような光景に、別世界と言う感じがしたものですよ。 白いドレスと、白いテーブルに椅子、日本人離れしたイデタチの女性。 僕はフランスに行ったような錯覚に囚われたのですよ。 フランスに行けば、おそらくこのような光景を見るに違いない。。。そう思ったものですよ。

それで、なぜ、デンマンさんが小学生の時に見た貴婦人は結婚式でもないのに、結婚式の時に着るような白いドレスを着ていたのですか?

確かに、普段、着るようなものじゃないですよね。





それで、貴婦人は一人っきりで居たのですか?



実は、少なくとも二人居たのですよ。相手は同じ年頃の男の人でしたよ。 二人はテーブルに腰掛けてコーヒーか紅茶を飲んでいたのですよ。

他にも人が居たのですか?

テーブルに座っていたのは二人だけでした。 でも、ちょっと離れたところに人が居たようにも記憶しているのですよ。

一体何をしていたのでござ〜♪〜ますか?

だから、僕と小百合さんが白いテーブルに座って大仏を見ながら、いろいろと取り留めの無い話をしていたように、そのカップルもお互いに気心が知れているように気兼ねなく楽しそうに話をしているように見えましたよ。

ただ無駄話をしていただけでしょうか?

なぜ、あのような白いドレスを着て周りの世界とはあまりにもちがった“外国”でお茶を飲みながら談話していたのか? 僕にだって、なぜなのか断言できませんよ。 想像を膨らませる以外には答えようが無いですね。

デンマンさんはどう思われるのですか?

僕は“最後の晩餐”ならぬ、“最後の茶会”だったのではないだろうか? 今、考えてみると、そのように思えるのですよ。 つまり、華麗で豊かな時代が終わったのですよ。 行田の足袋産業は斜陽化していた。すでに繁栄の時代の終焉は見えていたのですよ。 その女性は30代の半ばだったかもしれません。 一緒に居た男性は夫だったかも知れません。 二人はハネムーンにパリに行ったのかもしれません。



(すぐ下のページへ続く)

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