かぐや姫異聞(PART 2)
■『万葉集は政治批判の書か?』
(万葉集の謎と山上憶良)
【2006年7月1日】
つまり、大伴家持は藤原氏に紀貫之以上に恨みを持っていると、あんさんは言わはるの?
もちろんやァ! 大伴家持は天平宝字元年(757年)に発生した橘奈良麻呂の乱には参加しなかったものの、藤原良継・石上宅嗣・佐伯今毛人の3人と藤原仲麻呂暗殺計画を立案したと藤原氏から睨まれた事があるねん。 暗殺計画は未遂に終わり、天平宝字7年(763年)に家持を含めて4人は逮捕されてしまう。
それど、どうなったん?
藤原良継一人が責任を負ったことから、家持は罪に問われなかったのや。 そやけど、翌年、薩摩守への転任と言う報復人事を受けてしもうた。
それで大伴家持は藤原氏に恨みを持ちはったん?
そうや。。。そればかりではあらへん。 桓武天皇の時代、つまり天応2年(782年)正月には氷上川継の乱への関与を疑われてしもうたのやァ。
それで、どうなったん?
一時的に解官されて都を追放されてしもうた。 でもなァ、同年4月には罪を赦され参議に復帰したのやァ。 3年後(延暦4年8月28日)に家持は亡くなってしまうねん。 そやけど災難は死亡後にもやってきた。
どないな災難やのォ〜?
家持が亡くなってまもなく、9月23日の夜に藤原種継暗殺事件が起きたのや。 造営中の長岡京で発生、家持も関与していたと疑われてしもうた。 そのため、家持の死体の埋葬も許されぬままに除名されてしもうた。 子供の大伴永主も隠岐国に配流になってしもうたのや。 家持は大同3年(806年)に、死後20年近くたってから一応、罪を赦されて従三位に復帰したけど、これだけの事件を見ても家持が政治家として藤原氏に対する反骨精神を持っていたことがよう判るねん。 そうでもなければ、藤原氏に、これほどまでに事件の関与を疑われることはなかったのやァ。
つまり、文学の書だと思わせながら大伴家持は『万葉集』にも『竹取物語』にも藤原氏の批判を込めたと、あんさんは言わはるのォ〜?
その通りやァ。 中国の歴史を見ても文学は政治とは切っても切れないものなんやァ。
【レンゲの独り言】
ですってぇ〜。。。
デンマンさんの独特の史観ですわ。
あなたは、どう思いますか?
かぐや姫のお話に、このような政治批判が込められていたと考えてみたことがありますか?
ところで、紅葉(もみじ)狩りに出かけましたか?
もう見ごろを過ぎているでしょうか?
あなたの地方ではいかがですか?
紅葉を見て癒されてくださいね。
あたしは久しぶりに京都の法然院を訪ねてみました。
紅葉が見ごろでしたわ。
あなたもお近くの森に紅葉狩りに出向いてはいかがですか?
とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
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