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かぐや姫異聞(PART 1)

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かぐや姫異聞(PART 1)
 
 

 
 


デンマンさん。。。あんさんは意外に少女趣味的なところがおまますのやなァ〜?



どないなわけで、めれちゃんはそないな事を言うねん?

そやかてぇ、今どき「かぐや姫」なんて大人の男が口にするもんとちゃいますやん。

めれちゃんともあろう知能指数が140もある知的な女性が、そのような非文学的な事を言うのんかァ〜?

IQには関係あらへん。

いや。。。知能指数が140もある女性が「かぐや姫は少女趣味的やん」、と言うのは可笑しいでぇ〜。。。

わたしは、あんさんのレベルまで知性を落として言うてるねん。 うしししし。。。

さよかァ〜。。。?

。。。んで、あんさんは、どないな訳で「かぐや姫」などを取り上げる気になりはったん?

あのなァ〜、「かぐや姫」と入れてYouTubeで検索してみィ〜なァ。。。ぎょうさんヒットするでぇ〜。。。まず、わては実物の俳優が出てきて劇的なドラマを演じるFSじみたビデオクリップをゲットしたのやァ。 めれちゃんも、じっくりと腰をすえて観たらええやん。

かぐや姫の別れ

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Bl2cMMcm8LA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



あらっ。。。マジですごいやん。。。ホンマに平安時代のサイエンス・フィクションになってますやん。



そうやろう? 20世紀になって月に人間が着地したのやけど、平安時代にも現代の世の中を先取りして物語を考え出した人が居(お)るねん。

単なる空想やと思いますわ。

めれちゃんのような文学的、詩的な才能のある女性が「竹取物語」を「単なる空想の産物」だと言って欲しくないねん。

どうして。。。?

どうしてもこうしても「かぐや姫」は平安の昔から未だに世界の文学界ならずアニメ世界にも大きな影響を与えているのやでぇ〜。。。

それはオーバーとちゃうの?

いや。。。決してオーバーなことはあらへん。。。実際に次のビデオクリップを観れば判るように素晴らしいアニメもできておるねん。

アニメ竹取物語

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/8yOXNidWRfk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



あらっ。。。ホンマに幻想的で素晴らしいアニメやんかァ!



そうやろう? めれちゃんかて、そう思うやろう?

そやけど、世界の文学界とアニメ界に影響を与えていると言うのは、どう考えてもオーバーやと、わたしは思うねん。 日本だけとちゃうん?

それは、めれちゃんが大阪という日本の限られた世界に住んでいるからやでぇ〜。。。わてのように人生の半分以上を海外で暮らしている者にとって、「竹取物語」は世界的な傑作やという事がしみじみと実感できるねん。

そのように言う事がオーバーやと、わたしは言うてるねん。

そやから、めれちゃんが大阪という小さな世界に住んでいるからやでぇ〜。。。

あんさんは、そないに言うけれど何か証拠でもおますのォ〜?

わては根拠のない事は、よう言わん。。。証拠が欲しいのならば次のアニメを観たらええやん。 ちゃんと国際語である英語を使ってアニメが作られておるねん。 めれちゃんも目の玉をムキムキしてじっくりと観たらええやん。

「かぐや姫」アニメ in English

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/NM9ObFClDpg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



あらっ。。。ホンマに英語で面白く作られてますやん。



めれちゃんにも英語が分かるんかァ〜?

この程度の英語なら、わたしでも分かりますう。

さよかァ〜。。。さすがに知能指数が140やなァ〜。。。

あんさん!。。。いい加減にしいいやあああァ〜。。。IQは関係ないと言うてますやん。

そう謙遜しなくてもええがなァ!

謙遜しているのではおまへん。 あんさんは、少しくどいのですねん。 そんなことよりも、あんさんはYouTubeを観やはって「かぐや姫」を取り上げる気になりはったん?

ちゃうねん。 わてはバンクーバー図書館から『葬られた王朝』という梅原猛さんが書いた本を借りてきたのや。

その本の中に「かぐや姫」が出てきたん?

そうなのや。 引用するから、めれちゃんもじっくりと読んでみたらええやん。


『古事記』は、神話の名において諸氏の勤務評定をしたようなものである。 そしてその勤務評定において百点を取ったのは藤原氏のみである。 このような勤務評定を行い、かつ藤原氏に百点を付けるのは、権力者、藤原不比等以外にはあり得ず、(稗田)阿礼像と不比等像は全く重なり、稗田阿礼すなわち藤原不比等と断定して差し支えないと私は思う。



中央が父親の鎌足、

左が次男の藤原不比等

右が長男の定慧(じょうえ)

以上の推論から、稗田阿礼が不比等である可能性ははなはだ大であることが明らかになったわけである。 最後に、不比等がそのように手の込んだ容易には発見されない詐術を行う人間であったことを照明する物語を紹介しよう。 それは『竹取物語』である。

...前半は五人の「色好み」の貴公子たちがかぐや姫に「世にも珍しい宝物」をとって来てほしいいと頼まれ、いずれも失敗する話であり、滑稽な喜劇といえよう。 後半は、かぐや姫の昇天の話であり、悲劇と言えよう。
この前半部に注目してみたい。

前半部に登場する五人の「色好み」の貴公子とは、「石つくりの御子」「くらもちの皇子」「右大臣あべのみむらじ」「大納言大伴のみゆき」「中納言いそのかみのまろたり」である。
実は、この五人の登場人物はそれぞれ、持統朝から文武朝にかけての実在の重臣をモデルにしている。
「石つくりの御子」が丹比島(たじひのしま)、「右大臣あべのみむらじ」が阿部御主人、「大納言大伴のみゆき」が大伴御行、「中納言いそのかみのまろたり」が石上麻呂、

そして「くらもちの皇子」が藤原不比等である。 なぜ「くらもちの皇子」かというと、不比等の母は車持(くるまもち)氏の出自で、彼は車持の皇子と呼ばれていた。 皇子とよばれているのは、彼が天智天皇の子であるという噂によるものであろう。
車持が「くらもち」になったのは、彼が金持ちであったことを示そうとしたのであると思われる。

かぐや姫は自分に求婚してくるこの五人に、聞いたこともないような「宝物」をとってくるようにと、無理難題を押し付けるのである。 まず石つくりの御子には「仏の石の鉢」を、阿部みむらじには「火鼠(ひねずみ)の皮衣」を、大伴のみゆきには「龍の頸(くび)の珠(たま)」を、いそのかみのまろたりには「燕の子安貝」を、くらもちの皇子には「蓬莱(ほうらい)の白珠(しろたま)の枝」を取ってきてほしいという。 もちろん取ってきたら、その男の求婚を受けるとの暗黙の了解があった。

(注: 赤字はデンマンが強調
読み易いように改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



279 - 280 『葬られた王朝』
著者: 梅原猛
2010年6月20日 第9刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




あらっ。。。面白い解釈やんかァ。



そうやろう!? 「竹取物語」を平安時代の政治的批判の書だと言うてるねん。

そやけど、何を批判してるん?

そやから藤原不比等の詐欺的政治手法を批判してはるわけやァ。

そう言えば、あんさんは「新しい古代史」サイトで、マキアベリもビックリするような政治的策略の書『六韜(りくとう)』を藤原氏が代々受け継いで読んできやはった“聖書”やと言うてましたなァ。



『マキアベリもビックリ、藤原氏のバイブルとは?』

(2006年2月11日)



めれちゃんは、よう覚えておるなァ〜。。。?



そやかてぇ、この事では、あんさんがくどくどとブログにも書いてましたやんかァ!

そうやァ。 藤原不比等が権勢を欲しいままにして影で暗躍し、藤原氏の基礎固めをしたと、わても思うてるねん。 その過程で、権力の座から追いやられてしまった人たちの恨みを買ったのや。 そやから文学書と言われている作品の中に、藤原氏のあくどいやり方をその人たちが書き残したという事も十分に考えられるわけやなァ。

そやけど、それは仮説とちゃうん?

あのなァ〜、アインシュタインの特殊相対性理論かて、初めは仮説やったのやでぇ〜、そやけど太陽の後ろにある星が太陽の影になって地球から見えんはずやのに見えている。 どうしてか? それは太陽の重力によって光が曲げられている。 そやから見えないはずの星が見えるという事実を他の学者が相対性理論を使って証明した。 それによってアインシュタインの理論が真理として広く認められるようになったのやでぇ〜。

あんさんは、そのような事まで知ってはるのォ〜?

物理学の本に書いてあるがなァ。 そやけど現在では、そのアインシュタインの理論も真理ではあらへん。

ウソやということォ〜?

いや。。。ウソではないねん。 真理に極めて近い仮説やけど、アインシュタインの理論では説明つかない事実がいろいろと発見されてるねん。 それで最近ではアインシュタインの理論も含めた、もっと真理に近い「統一理論」があるはずやということになって、理論物理学者がやっきになって新しい理論を構築しようと頑張ってるねん。

つまり、絶対真理はあらへん、とあんさんは言わはるの?

そうやァ。。。限りのう真理に近づくけど、絶対真理はあらへん。 そういう考え方が現在広まってるねん。

。。。で、藤原不比等が悪賢い人間であったということが「竹取物語」の中で、どないに書かれてはるねん?

次のように書いてある。


「蓬莱(ほうらい)の白珠(しろたま)の枝」を求められた彼は、他の二人とは全く違う方法で宝物を手に入れる。 ここでくらもちの皇子は「心たばかりある人」であると書かれている。 その言葉どおり、彼は甚だ手の込んだ詐術を見事に行うのである。

まず彼は、宮中には「筑紫の国に温泉に入りに行く」といい、またかぐや姫の家には「珠の枝をとりに行く」といって、家来全てに船の出発する難波まで送らせた。 そして近臣の者を少し連れて彼は船に乗るには乗ったが、二日ばかりで家に帰ってきてしまう。 その後、彼は当時随一の鋳物師六人を召して、彼らと共に容易に人の来ないような家に閉じこもって、かぐや姫の言うような「珠の枝」を作らせたのである。 ようやくそれを作り終えると、彼はそっとその家を出て、難波に取って返し、彼の留守宅に「今帰った」と知らせた。 知らせを聞いた大勢の人が迎えに来て、「くらもちの皇子が優曇華(うどんぐゑ)の花をもって帰った」と大声でいい広めた。

そしてくらもちの皇子は、その珠の枝を長櫃(ながびつ)に入れ、旅姿のままかぐや姫の家に来て、「命を捨てて、かの珠の枝を持ってきました。 かぐや姫に見せてください」と竹取の翁に献上した。





見れば、立派な珠の枝である。 翁は「この上はこの人柄もよい皇子と結婚してください」と床入りの用意まで整えた。 その様子を見て、くらもちの皇子に嫁ぎたくなかったかぐや姫は深く嘆く。 



(中略) 彼は宝の島を見つけた喜びを語り、目前に迫った絶世の美人、かぐや姫との逢瀬をよだれをたらして期待していたのである。

ところが、しばらくしてどんでん返しが待っていた。 「くもん司(づかさ)の匠、あやべのうち麿」という者がある文を持ってかぐや姫の家に訪ねて来た。 そして、いうことには「私ども六人は五穀を絶って珠の枝を作りました。 皇子は官位をも下さるといわれましたのに、お給金もいただいていません。 かぐや姫がくらもちの皇子の妻妾ということを聞いたので、お給金をもらいにきました」と、その証拠を突き出したのである。 それを聞いて、かぐや姫の顔が、思わず明るくなった。 くらもちの皇子の嘘がばれたからである。 そして、喜んで匠らに給金を遣わした。 だが、我慢ならなかったのは、くらもちの皇子である。 匠らを帰る道で待ち構え、血の出るまで打ち懲らしめたのであった。 そして皇子は、恥をかいたと深い山に身を隠したという。

くらもちの皇子は、嘘を本当に見せかけることに天才的な才能を持っていた。 そしてまた金をたくさん持ち、官位を出すような権力も持っていたのである。 しかしどこかケチでかつ残酷でもあった。 これは不比等という政治家のまことに辛辣な風刺である。



281 - 284 『葬られた王朝』
著者: 梅原猛
2010年6月20日 第9刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




。。。で、この「竹取物語」はどなたはんが書きはったん?



いろんな学者が好き勝手な事を言うてるねん。

学界の定説ではどうなってるん?

作者については不詳である、ということになってるでぇ。 そやけどなァ、当時の推定識字率から考えて庶民が書いたとは思えん。 作者は貴族階級に属しており、情報がゲットし易い平安京に住んでいたと考えられる。 しかも、物語には反体制的な要素があるよってに、当時権力を握っていた藤原氏の者ではあらへん。

。。。となると、権力の座から追い落とされた人やね?

そう言う事になるがなァ。 しかも、作者は漢学や仏教や民間伝承にも詳しい人やァ。 和歌の才能もあり、貴重であった紙もゲットできるような経済的にもさほど困ってない人物やと思われる。

すると、どのような人が考えられるん?

候補者に上がっているのは源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄。。。というところやなァ。

その中で誰が一番「竹取物語」を書いた可能性が高いん?

最近の研究では作者は紀貫之である可能性が高いと言われてるねん。 文才があり時代的にも合い、藤原氏に恨みを持つ要因を持っている。

どのような訳で紀貫之は藤原氏に恨みを持ってるん?

あのなァ〜、紀氏は「応天門の変(貞観8年、866年)」により藤原氏の謀略で失脚してしもうたのやァ。 以後、政界から遠ざかって紀氏は文人の道へと進んだのやがなァ。

あんさんも、そう思うてるん?

いや、わては大伴家持(718年頃-785年)やと思うてるねん。 通説では、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたと言われておるねん。

大伴家持は『万葉集』を編纂した人ですやろう?

その通りや。 『万葉集』も政治批判の書だと、わては思うねん。 この事で、わては記事を書いたこともある。


 (すぐ下のページへ続く)



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