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仙台の女 (PART 1 OF 4)

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仙台の女 (PART 1 OF 4)



現在の仙台駅



昭和40年・50年代初期の仙台駅

仙台・昭和の風景

(昭和50年代)

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デンマンさん...なんだか、最近仙台のことばかり書いていますわね。



言われてみれば、確かに仙台の事を書いてますね。

意識して書いているのですか?

いや。。。全く意識してなかったのですよ。



"Memory Lane to Sendai"

(December 8, 2011)

第21回定禅寺ストリート

ジャズフェスティバル 2011

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『仙台ジャズフェスティバル』

(2011年12月7日)



。。。で、今日は上の記事の続きですか?



違うのですよ。 今回も上の2つの記事を全く意識していなかった。

でも、上の2つの記事とは関係があるのでしょう?

仙台だけが共通するだけで全く関係ないのですよ。

だけど、上の2つの記事を書いたので、また仙台の事を書くのでしょう?

上の2つの記事を並べたら、おそらく誰もがそう思うだろうけれど、実は全く関係ない理由で仙台の事を書かねばならなくなったのですよ。

どのような理由なのですか?

あのねぇ、たまたま1週間ほど前に今村昌平監督が作った『赤い殺意』という映画の DVD をバンクーバー図書館から借りたのですよ。 僕はこの映画を20年ほど前にトロントで初めて観た。

『赤い殺意』予告編

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僕は迂闊(うかつ)にも、この映画の中に仙台駅や、広瀬橋を渡る市電が出てきたのをすっかり忘れていた。 記憶の中では、どういうわけか福島駅近くで、東北線沿いの田舎を舞台にした映画だという記憶にすり替わっていたのですよ。



。。。で、DVD を観て急に記憶を新たにしたのですか?

そうですよ。 つい2日前に DVD を観たのですよ。 メチャ懐かしくなって、それでまた仙台のことを書く気になったのですよ。

それ程懐かしくなるものですか?

あのねぇ〜、古い仙台駅には思い出があるのですよ。




じゅぁきさんのコメントがいつものように僕にインスピレーションを与えてくれました。
ラーメンで思い出しましたが。。。



僕はラーメンが好きなんですよ。
僕の好物は仙台の五右衛門ラーメンです。



これは食べ残しの写真ですけれどね。。。うへへへ。。。
手打ちの太い麺を使ったもので、
味噌味、塩味、しょうゆ味の3種類がありました。
僕の好物は味噌味のモノです。

仙台は僕の第2のふるさとなんですよ。



僕はこの新しい駅ができる前の古い駅を知っています。
高校生の頃、仙台に立ち寄ったのですが、旅費を稼ぐためにこの旧駅舎で一晩夜を明かした事があります。



僕の他にも10数人一晩夜を明かした人たちがいましたよ。
ほとんどの人が“田舎の人たち”という印象を与える表情をしていました。

つまり、苦労が顔のシワに現れているような純朴そうな人の顔ですよ。
ああいう素朴で苦労人の表情が最近の日本人の顔からなくなっていますよね。
もちろん、僕自身も苦労を知らない顔をしていますよ。うへへへへ。。。。

でも、僕は違う苦労をしています。
それは、冒険による苦労です。
贅沢な苦労ですよね。うひひひひ。。。。

でも、死ぬ思いを10本の指では数え切れないほどしています。
今、生きているのが不思議なほどですよ!

高校生の頃の自分には想像もつかないような人生を歩んできてしまいました。
とにかく30カ国近い国を放浪したのですから。。。
この町の仙台商業高校で後年、教育実習をやることになり、数学を教えるとは夢にも思っていませんでした。

。。。仙台駅の事ですが。。。
寒くてベンチでは眠れなかったですよ。
それでも、駅舎を閉めずに待合室に居させてくれただけ良かったです。
北海道の小樽駅で、僕が一晩駅舎で明かそうとしたら、
当時の(あのレンガ造りの)小樽駅ではドアを閉めて、待合室では夜を明かすことができませんでした。
つまり、11時頃の最終列車が出ると追い出されてしまったわけです。




現在の小樽駅の建物は3代目で昭和9年に建てられた。
道内では木造駅舎の札幌、函館に先んじた鉄筋コンクリート造りの近代的駅舎。
東京の上野駅に似ており、同時期に建てられた小樽市庁舎ともそっくり。
僕の記憶の中ではレンガ造りなんですよね。
これとは形も違っている。
僕は他の建物と勘違いしていたのだろうか????


仙台駅では、駅員がお客を追い出すような事はしませんでした。
でも、とにかく寒くてベンチにゴロッと横になっても眠れませんでしたね。
スチームのパイプにわずかなぬくもりが残っていて、
僕は母親の肌のぬくもりを求める幼児のように
身を摺り寄せながら、スチームのパイプに体をこすり付けるようにして震えていたものです。
今から思えば懐かしいですよ。

寒くて空腹な僕が、まず朝一番に食べたのがラーメンだったのですよ。
うまかったですねええええええ〜〜〜。
でも、味なんかどうでも良かったんですよ。
とにかく、腹に入って体がぬくもるもの。。。
それだけ。。。
ぬくもりを求めてラーメンを食べました。

その時食べたのは五右衛門ラーメンではありませんでした。
ごく、当たり前のラーメンでした。



杜の都仙台。
その名の通り緑の多い街が仙台です。
この文字通り“青葉通り”を歩いて1番町まで行きます。
そこで小さな路地裏の店に入ると五右衛門ラ−メンが食べられました。
今でもあるのかどうか?

もしあなたが仙台の人なら、教えてくださいね。
ぜひコメントに書いてください。
当時、250円か350円ほどだったと思います。
30円か50円出すと大盛りにしてくれましたよ。



『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人』より
(2006年6月26日)




なるほど。。。このような思い出があったのですか。



そうなのですよ。。。映画『赤い殺意』には、古い仙台駅の待合室が出てくるのですよ。 でもねぇ、昼間のごった返した待合室です。 僕が一夜を明かした時には、何と言うか。。。侘(わび)しいものを感じたものですよ。 でも映画の中では、その侘しさが全く感じられない程の雑踏でした。

待合室の中の雰囲気が全く違っていたのですか?

そうなのですよ。 やっぱり、明け方と午後5時頃では全く人の数が違っていますからね。 あの明け方の寒さは今でも忘れることができませんよ! 消え入るような、かすかな暖かさが残るスチームのパイプに、体をこすり付けるようにして震えていたのですよ。

ホテルか旅館に泊まればよかったのに!

貧乏旅行で充分な金が無かった! そんな考えは浮かびませんでしたよ!

。。。で、その侘しさが懐かしくなったのですか?

違いますよ。 それだけだったら、こうして記事を書きませんよ。

他に心がぬくもるようなお話があるのですか?

もちろんですよ。 映画の中で広瀬橋を渡る市電が出てくるのですよ。 春川ますみが演じるヒロインの人妻は、しつこく擦り寄る男(露口茂)と別れようとするのだけれど、どう言う訳か一度広瀬橋で市電から降りる。 けれども、反対方向からやってきた市電に乗って、もう会わないと決めたはずの男に、また会いに行く。 その市電はガラガラで乗客はヒロインの人妻しか居ない。 その光景を僕は学生の頃毎日のように乗った仙南バスに乗りながら見ているような錯覚に陥った。

同じような情景を実際にデンマンさんは見たことがあるのですか?

あるのですよ。 





広瀬橋を渡る昭和50年頃の市電



  広瀬川



広瀬橋で女が寂しそうにガラガラの市電に乗るのを僕は仙南バスから、ちょうど映画のシーンのように見たことがある。 そのことが急に思い出されてきた。



それが心温まる思い出なのですか?

もちろん違いますよ。 それは、あまりにも寂しくて侘しい情景でしたよ。 だから、僕はそのいやな情景を振り切るようにして思い出したのが次の仙南バスでの出来事でした。


 (すぐ下のページへ続く)




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