ぶんぶく阿波踊り(PART 1)

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件名:
鰻重食べたのを思い出しました!
♪┌(・。・)┘♪

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日付: Wed, Sep 23, 2017 at 8:16 PM
差出人: "dominis@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"
CC: "barclay1720@aol.com"
お久しぶりです。。。
デンマンさんが投稿した記事を読ませていただきました。

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■『ぶんぶく茶釜だよ』
茂林寺へ“たぬき”を見に行ったのは2009年の10月ですわねぇ~。
その途中で鰻重(うなじゅう)を食べたなんて、すっかり忘れていました。
キモのお吸い物をデンマンさんが生まれて初めて飲んだなんて全く知りませんでした。

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帰りに、東行田駅からデンマンさんが実家に帰る途中で
「かどや」に寄って焼きそばを4人前買ったということですが、
あのお店は、もうありません。

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あの101歳のおばあちゃんも亡くなって、
家族はどこかへ引っ越したようです。
今では、あの土地は更地(さらち)になってます。
あの頃は、デンマンさんのお母さんも元気だったのですわね。
確かにそうでした。
私が電話した時、デンマンさんのお母さんが出られて
「デンマンがご馳走になったそうで、ありがとう」と
元気な声で言われたので、
ちょっとビックリしました。

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ところで、デンマンさんは、その晩 NHKの深夜番組で
『日本の祭り2009』の「阿波踊り」を観たそうですが、
私も今年の夏、徳島の藍場浜演舞場で開催された
「阿波踊り」を観ました。

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YouTube のクリップを見るには
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■『Denman Blogで
YouTube クリップを見る』
デンマンさんが言われるとおり 自由で、
躍動的で実に素晴らしいと思いました。
お祭りっていいですね。
私も観ていると“日本人の血”が踊り出します。
ところで、ずいぶん前ですが、沖縄に行った時に
「旧盆エイサー」を見ました。
四つ竹を手にして踊る現地の女性を見ながら、
もしかして、「エイサー」が四国に伝わって
「阿波踊り」になったのかしら?
。。。と、ふと思いました。

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デンマンさんが10月に帰省するのを楽しみにしています。
ところで、またお願いがあります。
ついででいいですから、次の3つの品を買い求めていただけますか?
1) SMUCKER'S Raspberry JAM

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2) Hot dog relish

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前回いただいたモノは甘かったのですが、今回は甘くないものをお願いします。

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3) Irish Creme Ground Coffee

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では、体調を整えて元気に帰省してください。
お待ちしています。
(V__/)
(+'.'+)
(")_(")

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小百合より

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小百合さんは今年の夏に阿波踊りを見たのですか?

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見ましたわ。。。 私もお祭りが大好きで、時には飛び入りで躍らせてもらったりするのですわァ~。。。
マジで。。。?
半分冗談ですわァ。。。 うふふふふふ。。。
小百合さんが沖縄で「旧盆エイサー」を見て、もしかしてエイサーが四国に渡って「阿波踊り」になったのではないか?。。。 そうメールに書いてあったけれど、実は、僕も「エイサー」と「阿波踊り」を見て、何か共通するものを感じ取ったのですよ。。。 それで、調べてみたのだけれど、「阿波踊り」の起源は解ってないようです。。。
阿波踊り

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阿波おどりは徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。
日本三大盆踊りであり、江戸開府より約400年の歴史がある日本の伝統芸能のひとつである。
夏季になると徳島県内各地の市町村で開催され、なかでも徳島市阿波おどりは踊り子や観客数において国内最大規模である。
起源と名称
精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていない。
徳島藩が成立して以後、盛んに踊られるようになったとされる(徳島市観光協会の説明より)。
天正14年(1586年)、徳島城が竣工した際、当時の阿波守・蜂須賀家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥という説もある(蜂須賀入城起源説)。
しかしながら、戦国時代に城内でそのようなことができたとは考え難く、「蜂須賀入城起源説」は多くの歴史家によって否定されている。
江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波おどりが禁止されていた時期もあった。
その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。
また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。
阿波おどりという名称は徳島県内の各地で行われてきた盂蘭盆の踊りの通称であり、昭和初期からそう呼ばれるようになった。
この名称は日本画家・林鼓浪が徳島商工会議所(当時は商業会議所)に提案したものとされる。
尚、徳島市や高円寺の阿波おどりではポスターや看板等において専ら「阿波おどり」と表記される。
また、徳島県が発行する印刷物等においても「阿波おどり」で統一されている。
ちなみに、名称から徳島県阿波市が阿波おどりの本場と思われることがあるが、阿波市でも阿波おどりは行われるものの特別なことは特にない(そもそも阿波市の存在自体が近年まで無かった。市の歴史はまだ浅く、2005年の市町村合併で誕生した新しい市である)。
なお、一部では「阿波踊り」と漢字表記している。
連
阿波おどりでは一つの踊りのグループの事を「連(れん)」という。
徳島県には有名連と呼ばれる連が多数あり、主に各協会などに所属している連が多い。
もちろんいずれの協会にも属していない連もある。
大抵の徳島県民には個人個人に贔屓の連があり、「あっこの連がええ」とか「ほらやっぱりここの連やろ」といった具合に話題になることもある。
こうした有名連以外にも踊りが好きな者同士が集まって結成した連、企業が企業名を売り込む目的で結成した企業連、大学のサークルなどで結成した大学連、気の合う仲間で結成した連、商店街で結成した連等、徳島県内には大小さまざまの数多くの連が存在する。
殆どの連は先頭に連名を書いた巨大な提灯を掲げて浴衣などに名前を入れて踊っている(よって、当然提灯係のような者も毎年選定されている)。
また徳島県外には徳島県出身者が主体となって結成した連もあり、関西を本拠地とする阿波おどりの連の中には徳島県出身者が始めたものが多い。
徳島県内の有名連

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娯茶平: 連員350人を超える徳島県最大規模の連であり、賜天覧4連のうちの一連。 娯茶平調である。 東京の飛鳥連と姉妹連である。
のんき連: 徳島一の歴史を誇る賜天覧4連のうちの一連。 のんき調である。
新のんき連: 性億政明を初代連長とする、のんき調の連である。 東京支部として東京新のんき連がある。
阿呆連: 阿波踊り三大主流と呼ばれるもののうちの一つ、阿呆調である。東京の江戸っ子連と姉妹連である。
出典: 「阿波踊り」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿波おどりは旧・阿波国を発祥とする盆踊りである。 精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていないと書いてありますわねぇ~。。。

そうです。。。 とにかく“盆踊り”には違いがない。。。 すると、「エイサー」も、言ってみれば“盆踊り”なのですよ。。。
エイサー

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エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。
また、かつては祝儀を集めて集落や青年会の活動資金とする機能も重視され、その金でため池を設けた例もある。
地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐゎちもーい)、念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる。
近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために沖縄全島エイサーまつりをはじめとする、各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベントとなっている。
歴史
東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。
18世紀中頃には、托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(念仏屋、にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。
当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。
明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していった。
沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化する中で、民謡などを取り込む例も増えた。
与那国島で始まったのは80年ほど前と言われている。
なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。
念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している。
戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。
旧コザ市(現在の沖縄市)主催で1956年に全島エイサーコンクールを開催。
この沖縄随一のエイサーイベントは後のエイサーの発展に多大なる影響を与えた。
当初コンクール(順位を競う)であったため、審査員や観客に魅せる(見せる)という部分に重きが置かれ、出場する青年会は構成や隊形、衣装、パフォーマンスなどをより派手なスタイルに変化させていくことになる。
これらのエイサー文化と共に歩んできた沖縄市は2007年6月13日に「エイサーのまち」宣言をし、地域の活性化に取り組んでいる。
一方で、名護市以北の本島北部では手踊りの伝統エイサーも続けられている。
また、沖縄本島中部の与勝地域の伝統エイサーも歴史は古く、屋慶名青年会、平敷屋青年会などは100年余りの伝統がある。
屋慶名エイサーの起源は明治24年(1890年)旧暦7月とされ、1991年には生誕100年祭が行われた。
全国的には1990年代以降に沖縄県出身者が中心となって多くのエイサー団体が設立された。
また、県出身者以外の愛好者の加入や独自団体の設立も増えていると言われる。
国外で踊られた例として、アメリカ合衆国やフランスなどがある。
語源
エイサーの由来は、浄土宗系念仏歌に挟まれる囃子の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているとされる。
また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。
出典: 「エイサー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したらしいけれど、この後で船で四国によって念仏踊りを徳島で広め、それが阿波踊りになったのではないか? 僕は、そう思うのだけれど。。。

それは、デンマンさんの想像に過ぎませんわァ~。。。 それで、私がお願いした品はどうなりましたァ~?
あのねぇ~、9月24日の日曜日、バンクーバー市立図書館は午後6時に閉館になったので、ロブソン・ストリートを西に向かってずっと歩いて、デンマン・ストリートとぶつかる角にあるセーフウェイ(Safeway)に寄ったのですよ。。。

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スマッカーズのラスプベリー・ジャムはありました。

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でもねぇ~、ハインズのホットドッグ・レリッシュはありませんでした。

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でも、その代りに、上の品とほとんど同じものがありましたよ。

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Compliments のホットドッグ・レリッシュです。。。

じゃあ、これでもいいですわ。。。
それから3つ目のアイリッシュ・クリーム・グラウンド・コーヒー(Irish Creme Ground Coffee)はありませんでした。

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あのねぇ~。。。 この缶入りのコーヒーは特殊なのですよ。。。 僕が調べた限りアマゾンでしか手に入りませんよ。。。 バンクーバーのどの店にもなさそうです。。。 小百合さんもネットで調べてみてください。。。

じゃあ、セーフウェイ(Safeway)で量(はか)り売りのコーヒー豆を買うしかないのですか?
そうです。。。
でも。。。、量り売りのアイリッシュ・クリーム・コーヒーの豆を保存しておくと、苦(にが)くなってしまうのですわァ~。。。
あのねぇ~、そういう時には密閉できる缶にコーヒー豆を保存しておくのですよ。。。
そうしているつもりなのですわ。。。
缶が密閉してないのですよゥ。。。 しっかり密閉できる缶を100円ショップで買ったらどうですか?
分かりましたわ。。。 今晩寝ずに考えてから返信を書きますわァ~。。。

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(すぐ下のページへ続く)