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平和と武士道 (PART 1)

 

平和と武士道 (PART 1)


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小村寿太郎

日本は、外相小村寿太郎を指揮者としてうごいている正規の外交機関のほかに、元老の伊藤博文の手もとから派遣した陰の舞台演出家ももっていた。
米国へは金子堅太郎がゆき、英国へは末松謙澄(けんちょう)が行っていた。
金子はこの戦争中、ほとんどワシントンに居っきりであった。 ... かれはルーズヴェルト大統領とはハーヴァード大学でのクラスメートで、その後も親交が深かった。 伊藤は金子を同大統領に接触させることによって、米国に講和への口火を切る役をつとめてもらおうとしたのである。

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ルーズヴェルト大統領

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金子堅太郎

この金子堅太郎の派遣と活動は成功した。
ただし、英国へ行った末松謙澄の場合は、成功といえるような結果はえられなかったといっていい。
末松は、幕末における長州藩の革命史である「防長回天史」の著者として知られている。
明治型のはばのひろい教養人で、文学博士と法学博士のふたつの学位をもっている。

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末松謙澄

かれは「源氏物語」を英訳してはじめて日本の古典文学を海外に紹介したことでも知られ、さらには新聞記者時代に多くの名文章を書き、つづいて官界に転じ、伊藤博文に見こまれてその娘むこになり、つづいて衆議院に出、のち逓信大臣や内務大臣にも任じたといういわば一筋縄ではとらえがたい生涯をもっているが、外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであった。
さらにこの小男が説くところが誇大すぎるという印象を英国の指導層や大衆にあたえた。 末松は、
「昇る旭日(きょくじつ)」
といったふうの日本宣伝をぶってまわった。 不幸なことに英国人は日本が「昇る旭日」のごとく成長することを好まなかった。 末松はその講演速記を本にして刊行した。 無邪気で楽天的な明治男子の文章であり、元来、日本国家が末松が説くほど栄光にみちた過去をもち、またいかに将来への希望にみちた国であろうとも、英国人には関係のないことであった。 英国人はかれの無邪気さを冷笑し、ほとんど黙殺した。

(赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)



202-204ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


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僕は司馬遼太郎さんの考え方には賛成できることが多いのだけれど、司馬さんの人の容姿に対する印象は僕とはだいぶ違うのですよ。

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どのように。。。?

末松謙澄さんの写真を見てくださいよ。 司馬さんは外交をやる上での最大の欠点はその容姿が貧相すぎることであったと書いているけれど、僕の目には容姿が貧相とは見えない。 シルヴィーにはどう見える?

他の日本人とあまり変わりがないように見えるわ。 ケイトーと比べても、それほど変わってないわよ。 うふふふふ。。。

そうでしょう。。。正直言って、僕にも末松謙澄さんは他の日本人と大して変わりがないように見える。 つまり、司馬さんは日本人というのは欧米人に比べて容姿が貧相に見えるという固定観念を持っていたのかもしれない。

つまり、司馬さん自身も自分の容姿に対しても劣等感を持っていたのかしら?

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司馬さんも末松謙澄さんも日本人としてそれほど変わりがないように僕には見えますよ。

つまり、ケイトーはその事が言いたかったの?

もちろん、違いますよ。 容姿のことは付けたしですよ。

。。。で、何が言いたいのよ。

あのねぇ〜、末松謙澄さんは人間としてすごい人だと僕は思うのですよ。 文学博士と法学博士のふたつの学位を持っている。 しかも、日本の元勲でもある伊藤博文は末松さんの人物を評価して自分の娘の婿にさえしている。 つまり、末松さんは才能でも人格の上でも相当な人物のはずですよ。 それにもかかわらず、英国人に日露戦争の講和をしてもらうことに成功していない。 結果として成功したのは金子堅太郎の方だった。


ロシアはすでにそうと察し、開戦後ほどなく、駐米ロシア大使カシニーに対し、アメリカにおいて同情世論を形成せよ、と命じた。
カシニーの世論形成法は、いかにもロシア風であった。 米国における新聞という新聞を片っぱしから買収してかかったのである。
たとえば、ロシアに買収されたワールド紙などは露骨な反日論を掲載した。日本人のことを、
「Yellow little monkey」
とよび、日本人がいかに卑劣で、とるにたりない国力しかもっていないかということを書き、日本人はわれわれキリスト教徒の敵である、といったふうの、かつての十字軍時代の布告文をおもわせるような論説まで書いた。
金子がサンフランシスコに上陸したのが、あたかもルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときであった。 金子はもともとこの根まわしに自信がなかったため、上陸早々この宣言を読んで失望し、
「とうてい任務を全うできない」
とおもった。
かれは日本としては精一杯の機密費をもってきたが、しかしロシアのように全米の新聞を買収しようというほどの金ではなく、もっとも有力な日本宣伝の武器としてかれが携えてきたのは、二冊の書物だけであった。 新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」とイーストレーキの「勇敢な日本」であり、このたった二冊の本で全米に親日世論をまきおこさねばならないかと思うと、勇気よりもむしろ自分のみすぼらしさがさき立って、気おくれがした。

(赤字はデンマンが強調)



213-214ページ 『坂の上の雲(七)』
著者: 司馬遼太郎
2009年11月20日 第29刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


日露戦争概略

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日露戦争物語

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僕の目には末松さんよりも金子さんの方が怖そうに見える。 末松さんの写真の方が親しみ易く感じられるのですよ。 それにもかかわらず、末松さんは英国で目的を成し遂げられなかった。 堅物(かたぶつ)でとっつきにくそうな印象を与える金子さんの方がアメリカで成功している。 なぜか・・・?

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アメリカ人よりも英国人の方が表面的にはどうであれ、内心では日本人を馬鹿にしていたからじゃない?

でも、この時、英国と日本は日英同盟を結んでいたのですよ。

それはロシアが巨大になるのを恐れて英国と日本が手を組んだだけでしょう!? 要するにお互いの利益が共通していたからよ。 でも、だからと言って英国人が日本人を尊敬していたわけではないわ。

つまり、アメリカ人の方が日本人に対して親密感を抱いていたとシルヴィーは思うの?

そう思うわ。 だから、ルーズヴェルト大統領は金子さんの申し出に応じたのよ。

それはないと思うな。 上の引用の中でも日本人を Yellow little monkey と書いたアメリカ人が居たのですよ。 ロシアの皇帝ニコラス2世と変わりがないのですよ。 しかも、やがてアメリカでも排日運動が盛んになるのですよ。

じゃあ、才能もあり人格的にもすぐれている末松さんが英国で失敗したのに、相手に対して怖そうな印象を与える金子さんがアメリカで成功した要因は何だとケイトーは言うの?

あのねぇ〜、これまでの顔写真を見て一番怖そうな印象を与えるのは広瀬さんなのですよ。 僕にはそう見える。 それにもかかわらず、当時ペテルブルグの貴族の娘のなかで、きっての美人と言われたアリアズナ・コヴァレフスカヤが広瀬さんに熱烈な好意を抱いた。 なぜか。。。?

広瀬さんが我が身を捨てて国家のために働こうとか、誠心誠実に任務を遂行しようという真摯な考え方を持っていたからでしょう!? それに当時のロシアの腐りかけている貴族の男と比べて勇敢で誠実なサムライに見えたのよ。

僕もそうだと思うのですよ。

でも、だから、どうして金子さんがアメリカで成功したと言うのよ?

つまりねぇ、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎はハーヴァード大学のクラスメートだった。 要するに、学生時代にルーズヴェルトは金子堅太郎の人物の中に「勇敢で誠実なサムライ」を見ていたに違いない。 つまり、二人の間に友情が芽生えた。 そうでもなければ、ルーズヴェルト大統領が金子さんの申し出を素直に受け入れる理由がない。 日英同盟を結んでいた英国でも末松謙澄さんの申し出はむしろ反発を受けるほどだった。

要するに、末松さんの場合には英国人の中に真の友人が居なかったのね?

その通りですよ。 でも、ルーズヴェルト大統領と金子堅太郎の友情だけではなかった。

他にどのような理由があるの?

新渡戸稲造が英文で書いた「武士道」ですよ。

その本がどうだというの?

あのねぇ〜、僕が知りえたエピソードの中で面白いのは、ルーズヴェルト大統領は旧友の金子堅太郎に日露戦争講和の仲介を頼まれた時に初めは断ったというのですよ。 堅太郎さんが思ったとおりタイミングが悪かった。 ルーズヴェルト大統領の局外中立の宣言が出たときだった。 だから、彼はどうせ無理だろうと思った。 案の定、ルーズヴェルト大統領は断ったのですよ。

。。。で、堅太郎さんはどうしたの?

せっかく二冊の本を持ってきたのだから、これだけは置いてゆこうと思った。 「君には断られてしまったけれど、君がこの二冊の本を読めば少しは日本人を理解してくれるだろうと思う。 ロシアに買収された新聞の反日論などに毒されないためにも、暇がある時にこの二冊の本を読んでもらいたい。 それで、もし気が変わったら、改めて講和の仲介のことを考えて欲しい」 そう言って二冊の本を手渡したのですよ。

それで、ルーズヴェルト大統領の気が変わったの?

大統領は旧友の申し出を断ってしまったので、多少後ろめたいものを感じたのでしょう。 せっかく二冊の本を持ってきれくれたので捨てるのも申し訳ないと思って、読み始めたのですよ。

それで。。。?

ルーズヴェルト大統領は『武士道』を読んでマジで感銘を受けた。 それで彼は堅太郎さんに言ったのです。 「私は日本人を見直したよ。 このような精神を持っている国民であるならば、私も仲介の労を惜しまない」

マジで。。。?

このような時にウソや冗談を言えませんよ。

『武士道』という本がそれ程の感銘を大統領に与えたの?

もちろんですよ。 だからこそ大統領は考え方を改めたのですよ。

いったい、どういうところに大統領は感銘を受けたの?

次の箇所を読んでみれば判ります。

 (すぐ下のページへ続く)





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