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輸入された愛 (PART 1)

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輸入された愛 (PART 1)




「大日本国語辞典」第二版を引用します。

あい-.する【愛】〔他サ変〕

一 人や動物に対して心が引かれる場合。 (略)

二 物事に対して心が引かれる場合。 (略)

三 (一説、相(あい)する) 適当に扱う。 子供などのきげんをとる。 あやす。 (略)

四 (キリスト教で)神が、あらゆるものをいつくしむ。 また、そのような精神で、自分以外のものをかけがえのないものと思う。

? 平安初期には漢文訓読の際に用いられたが、和文系資料では平安末期(院政期)以降に見られるようになる。

? 対象となるのは人・動植物・物事などさまざまであるが、対象への自己本位的な感情や行為を表すことが多く、精神作用にとどまらない点が「おもふ」と大きく異なる。 また、人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へという傾向が著しかった。

? 明治中期 英love ドイツ語lieben などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対しては、対等の関係での愛情を示すようになる。 また、物事に対しても、より精神性に傾いた意味で用いられる。 その点で感覚的である「このむ」とは異なっている。

? 現代の用法は明治中期以降の流れに沿うものであり、口頭語としての使用も増えているが、文章語の性格を脱したとは言えない。 語感に個人差・年齢差が大きいと思われる。

? 使役「せる(す)」受身「れる(る)」が付くときは、「せさせる(せさす)」「せられる(せらる)」となるが、近世以降詰まって「させる」「される」の形が現われる。 樋口一葉「うもれ木-六」の「喜ばし度し愛されたし」、夏目漱石「それから-十六」の「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させるようにして」など。

(赤字はデンマンが強調。)



178-181ページ 『国語辞書の100年』
著者: 倉島長正
2010年9月9日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 おうふう




デンマンさん。。。国語辞典など持ち出してきやはってぇ、「広い愛」とか言わはるけったいなモンを、またわたしにお説教しやはるのォ〜?



あれっ。。。めれちゃんは「広い愛」について少しは納得したのんかァ〜?

納得しますかいなァ! アホくさァ〜。。。男女の愛というモンは、「狭い愛」に決まってますねん。

わては、ちゃうと思うねん。

あんさん!。。。いい加減にしいやァ〜。 わたしは同じお説教をここで聞きとうないねん。

めれちゃんには分かりきったことでも、これを読んでいる人には何の事だか判らへん。 そやから、めれちゃんには迷惑やと思うけど、ここに書き出すよってに、こらえて欲しいねん。


バカバカしい

テーマ: ヲチヲチヲチ〜♪



ああ。バカバカしい。

男女の愛が、閉鎖的であるのは当然だ。
それを、狭いなどと、何をぬかしているのか。
人間愛と、男女の愛をいっしょくたにしているアナタは、
本音を語っているのなら、一生誰とも
愛を語れないだろう。

それとも、ただのエロなのか?

もう、バカバカしくて、相手にもしたくない。
そんな低能な方と、かかわっていると、
こちらまで、悪影響をうけてしまいますので。
 
 
posted by merange

2009-03-08 18:48:47



『バカバカしい』より
(2009年3月8日)

『雨降って仲直り?』にも掲載
(2009年4月6日)




めれちゃんの言う「男女の閉鎖的な愛」というのんは、めれちゃんが勝手に男女の愛が閉鎖的やと解釈しているにすぎへん。



あんさんは、また理屈を捏(こ)ね繰り回すのォ〜?

いや。。。理屈を捏ね繰り回さんでぇ〜。。。わてが言うても、めれちゃんは信用せ〜へんから、このページの冒頭に国語辞典から「愛する」を引用したのやないかいなァ。

「大日本国語辞典」ってぇ、あまり聞かへん名前やないのォ〜。 「広辞苑」ができる前の辞典やのォ〜?

いや、ちゃうねん。。。「広辞苑」の編者で有名な新村出先生が1933(昭和8)年に「英国の大を以てしても、40年にして10冊の完成なのだから、私の理想では、今後50年も経ってから、日本の理想的のものが出来るのではなからうか」と言うたのやがなァ。

英国で何が10冊完成したと言うのォ〜?

Oxford English Dictionary (OED) のいことを言うたのやァ。 そやから、日本でも OED のようなりっぱな国語辞典が50年も経てば出来るやろうと予想したわけやァ。

それが「大日本国語辞典」やと、あんさんは言わはるのォ〜?

ちゃうねん。。。わてが言うたところで、めれちゃんは信用せ〜へん。 そやから『国語辞書の100年』から冒頭の小文を引用したのやないかいなァ。 その著者の倉島さんが次のように言うてるねん。




そのときから50年というと昭和58年ということになりますが、それよりわずかに早い昭和51年に『大日本国語辞典』全20巻が完成しました。 新村の理想とした辞書にどの程度近づくことが出来たかは措(お)くとして、ほぼ予想通りの年月の後に本格的な大辞典が刊行されたことになります。




つまり、そのように勿体(もったい)つけた辞典の中から「愛する」を引用して、わたしにお説教しようとしやはるのォ〜?



わては、お説教好きな坊さんとちゃうでぇ〜。。。めれちゃんは、かつて次のように言うてたやないかいなァ。


愛を探して。。。

投稿日時: 2004-8-30 4:54

レンゲ本人です(´▽`)ノ
デンマンさん、
わたしの事を
アナウンスして下さって、
とてもうれしく思っています。
感謝!です。

blooでは、わたしひとりが
「愛〜」「愛〜」と言ってるだけで、
真正面から、わたしと「愛についてのディスカッション」をしてくださる方は、なかなか現れてくれません。

BLOGの方も
(こっちを恋愛専科に
しようかなと思ってます)
なんせ、レスがつかないんですよ・・・
しょぼん・・・
では、ワタクシから・・・

『愛を探して。。。』に、
遊びに来てくださいね!
みなさんと愛について
考えたいと思い、
立ち上げました。
心の中が温かくなるような
交流の場にしましょう。
 
 
by めれんげ & レンゲ



『愛と性と無常』より
(2007年7月27日)




こうして、めれちゃんとレンゲさんはネットで愛を探すたびに出たのやないかいなァ。



あんさんは、わたしとレンゲさんが書いたものは何でも保存してはるのやねぇ〜?

あきまへんかァ〜?

それで、あんさんは何が言いたいねん?

"I love you." という日本人のオツムに、当たり前のように浮かぶ「愛」というのは、実は、明治時代の中期に欧米から輸入された概念なのやがなァ。

要するに、明治時代以前には「わたしはあなたを愛してますねん」と言わへんかったと、あんさんは言わはるのァ〜?

上の辞典にそないに書いてあるねん。 

江戸時代の人は何て言うてたん?

「わては、めれちゃんを好いてしもうたのや」とか、「わては、めれちゃんにぞっこん惚れてしもうたのやでぇ〜」と言うたのやがなァ。 「愛してる」なんて昔の人は言わへんかった。

そやけど、平安末期(院政期)以降に「愛する」という言葉が使われていたと書いてありますやん。

意味がちゃうねん。 「かけがえのないものと思う」という意味やんかァ。 しかも、人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へと言う傾向があった。 つまり、男と女が対等で言うような言葉ではなかったのやないかいなァ。

。。。で、明治中期以降に欧米から入ってきた「愛」は「広い愛」やったと、あんさんは言わはるのォ〜?

そうやァ。

その証拠でもあるのォ〜?

あるのやァ。 わてがカナダで、この目で見た忘れがたいシーンがあるねん。 すでに書いたことやけど、めれちゃんも改めて読んでみたらえ〜やん。


愛の世界
 
 




僕がエドモントンに居た頃に付き合っていたシングルマザーのことを書きますけれどね、この女性はエミリーさん(仮名)といって3人の子持ちでした。長男が5つぐらいでしたよ。



そのエミリーさんは30歳ぐらいの女性ですか?

そうです。

きれいな方だと言いたいのでしょう?

いや、ブスだとか美人だとかは、この場合関係ないんですよ。

でも、デンマンさんが付き合っていた方ですから気になりますわァ。





こんな感じの人でしたよ。



きれいな方ですわ。デンマンさんがお付き合いする人って、どうしてこのようにォきれいな方ばかりなんですの?

これは実物の写真ではありませんよ。 プライバシーを守らなければなりませんからねぇ。

(中略)

。。。それで、そのエミリーさんはどんな躾(しつけ)をしていたのですか?

それが驚いたのなんのって。。。

だから、どのような。。。

そう、せかせないでくださいよ。今から言いますからねぇ。その5歳のマイケル君が食事のあとに皿洗いをするんですよ。5歳ですよ。日本では考えられない事でしょう?僕は危ないのじゃないか?と思いましたよ。ナイフなんかがシンクの中に混ざっていますからね。

しかし、5歳の坊やでは流し台にとどかないでしょう?

そうなんですよ。欧米の台所の流しはかなり高いですからね。そのままではとてもマイケル君には皿洗いができないんですよ。

それでどのようにして?

ビール瓶が1ダース入ったプラスチック製のケースがスーパーマーケットなんかにあるでしょう?あれが台所の隅に置いてあってね、それをマイケル君が流しの所に引きずって行き、ケースをひっくり返してその上に乗るんですよ。

そんなことまでして5歳のマイケル君に皿洗いをさせるのですか?ちょっと可哀想ですわ。

そうなんですよ。見かねて“危ないから僕がやりましょう”と申し出たのだけれどね、“それは躾のひとつだからマイケルにやらせているの”と言って僕の申し出を断固として拒絶しましたよ。

エミリーさんの家が特別なのではありませんか?

いや、そういうわけじゃないんですよ。欧米で僕は他の家でも同様な躾を何度か見ています。僕自身の小さい頃や、その当時友達の家に遊びに行った時などに目にした家庭の様子などを振り返ってみて、日本人の家庭では子供が甘やかされていると、僕はしみじみと感じましたよ。

しかし、躾と家庭崩壊とどのような関係があると言うのですか?

つまり、躾を通して社会的な規則や家族の絆を学んでゆくという姿勢ができてゆくと思いますね。マイケル君のような5歳の男の子に日本で皿洗いをさせたら、児童虐待と言われかねないかもしれません。でもね、もし、上の7人を殺害したカップルが幼い頃しっかりした家庭教育を受けていたら、社会的常識や規則、家族の絆を身に着けていたでしょう。だから、あのような無残な殺人をやってのけるような事にはならなかったと僕には思えるんですよ。

そうでしょうか?

じゃあ、もう一つエピソードを。。。僕はエミリーさんと子供たちと一緒に近くのショッピングセンターへ買い物に付きあった事があるんですよ。その時マイケル君がおもちゃの棚のところでプラモデルの飛行機が欲しいと言って駄々をこねたんです。エミリーさんは“前にも同じようなプラモデルを買ったじゃないの?あのプラモデルを途中で投げ出してしまったでしょう?だからこれは駄目よ!まだ、あのプラモデルがあるのだから、これは元の所に返してきなさい” このように言ってエミリーさんは断固として譲らなかったんですよ。

それで。。。?

マイケル君は泣きだしてしまいましたよ。“泣く子と地頭には勝てぬ”という諺が日本にはありますが、エミリーさんは断固としてマイケル君の言う事を無視し続けました。日本人の母親なら、子供が泣いてまで欲しがるのだから、おもちゃを買い与えてしまうかも知れませんよね。しかもショッピングセンターで子供が泣き出して駄々をこねる様子は日本人なら“みっともない”と考えて、そう高くはないおもちゃを買い与えてしまうかも知れません。

それで、どうしたのですか?

エミリーさんは全く取り合わなかったですよ。僕は、マイケル君にかなり同情していました。皿洗いまでしていましたからね。ご褒美に、もう一つぐらいプラモデルを買い与えてもいいのじゃないか?僕は、そう思いましたよ。

デンマンさんはどうなさったのですか?

僕が買ってあげると言い出したところで、エミリーさんが拒絶するのが分かっていましたからね。僕は何も言いませんでしたよ。あとでマイケル君にエミリーさんには内緒で買ってあげるつもりでした。そのことよりも、このあとマイケル君がどのような態度を取るのか?そのことの方に興味がありましたね。

マイケル君はどうしたのですか?

マイケル君もお母さんの性格が全く分からないわけじゃない。ひとしきり泣いていたけれど、お母さんが買ってくれないと分かると、泣き止みましたよ。そうなると、お母さんの機嫌を損ねた事が気になるのですね。マイケル君が駄々をこねたのでエミリーさんは無視し続けましたからね。マイケル君はエミリーさんと少し離れながら、買い物のあとに付いて行きましたよ。エミリーさんも気にならないわけじゃない。時々マイケル君の様子を見ていました。レジに着く頃にはマイケル君は駄々をこねた事を少し反省したらしくて、エミリーさんの手をそっと取って、じっと見上げるんですよ。

エミリーさんは何と言ったのですか?

何も言いませんでした。でも、マイケル君が握った手を離さずに、見上げるマイケル君にちょっぴり笑みを浮かべました。“Mommy, I'm sorry.” マイケル君は小さな声でそう言いました。エミリーさんはそんなマイケル君を見て前よりもやさしい笑みを浮かべたものですよ。僕がハッと思ったのはその次にマイケル君が言った言葉です。“Mommy, I love you.” 日本では、絶対にこのような会話は聞く事ができないですよね。





いいお話ですわァ。“小説的人生”を送っているあたしにはうらやましい限りです。

■ 『レンゲさんの小説的人生』



僕はその時、“家庭の絆”を目にしたような気がしましたよ。躾は厳しいだけじゃない。“母親のぬくもり”も充分にマイケル君に伝わっていたんですよね。この厳しさと母親のぬくもりが現在の日本には欠けているのではないか?実の両親と妹夫婦とその子供たちを殺し、死体を切り刻み鍋で煮て、ミキサーにかけてジュースにして捨てる。この死体なき完全犯罪をしようとした43歳の女性は心が壊れているとしか考えられないですよ。実際にこの犯行を考えたのは内縁の夫だったけれど、その夫の言うままに従ったこの女性の心は、決して正常ではなかったでしょう。このようなことが起こらないためにも、日本人はもう一度“家庭の絆”という事を考えてみる必要があるのじゃないか?そうすれば、レンゲさん、あなたが育ったような崩壊した家庭も無くなるような気がするのですよ。ちょっと、言い過ぎましたか?

いいえ、あたしの耳には痛みが残りましたが、デンマンさんの言われた事は理解できますわ。

そうですか。そう言ってもらえると、ちょっと長めに書いた甲斐がありますよ。レンゲさんが、いづれお母さんと仲直りできる事を祈っています。



『雨降って仲直り?』より
(2009年4月6日)

初出: 『不倫と家族の絆』
(2005年10月2日)


 (すぐ下のページへ続く)


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