スカートをはいた兵隊 (PART 3 OF 4)
その夜、高木が主(あるじ)の名をあかさない招待の話を小津に持って来た。
「先方はお会いになればわかるといっておられます。 小津さんの旧知の方のようです」
小津は招待を受けた。
場所を聞くと、芸者の入る高級将校用の料亭で「近松」という家だった。
近松門左衛門の子孫が経営しているといわれ、シンガポールの日本料亭の中では格式の高さを誇っていた。
中国従軍時代の小津を知っている人だろうと斉藤はいったが小津には思い当たる人間がなかった。
ふすまを開けると、床の間を背負う席を開けて座っていたのは、あの紬(つむぎ)を着て撮影所の前で小津を待っていた男だった。
参謀飾諸(しょくしょ)を吊り、大佐の階級章をつけている。
「大本営第四班長の永井八津次です。 あの折は」
言葉は短かったが、丁寧な物腰の挨拶だった。
名前を聞いて、咄嗟に小津は思い出した。
外務大臣・松岡洋介がドイツからロシアを廻った時、随行武官として同行した永井の名を何度か新聞で見ている。
(中略)
「とうとう大本営が姿を現したと思ってらっしゃいますな」
小津はくすっと笑った。 正体のない“大本営”を、小津が巧みに利用していることを、相手は知っているのだ。
「前線視察の途中に寄ったのですが、大本営が来た以上、ユニオン・ジャックだろうが星条旗だろうが上げさせます」
(中略)
「...堂々と外国人に見せられる映画にしてほしい、そのことだけです」
「忘れてはおりません」
「あとのことは全部おまかせします」
...
「来たついでに、ひとつ、お土産(みやげ)を用意しておきました」
「はあ」
「キャセイ・ホテルのあの劇場の倉庫に、軍が押さえたアメリカやヨーロッパの映画が山と積んであります。 なにかの御参考になるかと思って、あなたが御覧になりたいものは全部お見せしろといっておきました」
キャセイ・ホテルと劇場があった
キャセイ・ビルディング
(赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)
384-386ページ
『絢爛たる影絵-小津安二郎』
著者: 高橋治
2003年3月6日 第1刷発行
発行所: 株式会社 講談社
太平洋戦争中にも拘らず大本営には永井八津次・大佐のような「表現の自由」を理解している軍人が居たのですよ。 ちょうど竹ヤリ事件の時の丸亀連隊報道部の香川進大将のように。。。
つまり、この事が言いたかったの?
そうですよ。 この時期、小津監督はシンガポールでジョン・フォード、ウイリアム・ワイラー、ウオルト・ディズニーの映画を観まくった。 もちろん、この当時日本では誰も米国映画を観ていない。
小津監督はこの時期に充電していたわけね?
その通りですよ。 敗戦になり、帰国した後で小津監督は3作目の『晩春』で自分の世界を作り上げ、死ぬまで日本映画最高の位置を誰にも譲らなかった。 むしろ死後10年経ち、20年経って、ますます国際的に有名になったのですよ。
この事が言いたかったの?
いや。。。違いますよ!
何が言いたいのよ?
あのねぇ〜、乱歩先生が書いた小説『お勢登場』は映画の中では発禁処分にされているのだけれど、実際には『大衆文芸』の1926(大正15)年7月号に掲載された。 この時期は「大正デモクラシー」の言わば最後の年ですよ。
「大正デモクラシー」って何よ?
1910年代から1920年代にかけて、つまり、大正年間に日本で起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義、自由主義的な運動や風潮や思潮のことですよ。 それがやがて軍国主義になってゆき、映画"The Mystery of Rampo"の中で描かれているような愚かな言論統制をやりだす。 ところが統制の真っ只中にも拘わらず丸亀連隊報道部の香川進大将や大本営の永井八津次・大佐のような良心的な人が居た。
だから。。。?
それにも拘らず日本では愚かな言論統制をやったり、何よりも太平洋戦争という負けるのが判りきったような戦争を無理矢理始めてしまった。
どうして、そうなってしまったの?
つまり、丸亀連隊報道部の香川進大将や大本営の永井八津次・大佐のような良心的な人がもっとたくさん居たのだけれど、時代に押し流されるままに声を上げなかったのですよ。
だから。。。?
だから、正しいと思う事は、そう思っているうちに言わなければならない。 そうしないと、悪い奴の言う事がだんだんと正論になってしまう。 だからこそ言論の自由・表現の自由は大切だと、僕はしみじみと思ったのですよ。 うししししし。。。
マジで。。。?
もちろんですよ。。。このような話の最後にウソやデマカセが言えるわけがないでしょう!? (微笑)
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
確かに、そうですわよね。
『お勢登場』は大正デモクラシーの時代には出版できたのでござ〜♪〜ます。
それが軍国時代になると出版できなくなるのですわよ。
どうして。。。?
“無理が通れば道理が引っ込む!”
だから、無理が通る前に正しいと思うことを主張しなめればならない。
デンマンさんは、そう言いたいのでござ〜♪〜ますわ。
ええっ。。。そうじゃないと、あなたはおっしゃるのでございますか?
どうして。。。?
今の日本が軍国主義の時代に向かっているのだよ!
戦後、日本国憲法ができた時に、いったい誰が自衛隊ができるだろうと思ったことかア?
その自衛隊が湾岸戦争後の1991(平成3)年に自衛隊法第99条を根拠に海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣されるだろうと誰が想像しただろうか?
そして、原子爆弾の唯一の被害国である日本の、ノーベル平和賞をもらった首相が、密約で原子爆弾を持ち込むことを許していたなんて、いったい誰が想像していただろうか!?
さらに今、アメリカの一州のようになった日本がアメリカの世界戦略の一翼を担って極東におけるアメリカの尖兵のようになってしまっている現実を日本人の多くが半ば認めてしまっている。
日本はすでに危機的な進路を知らずに歩き始めているのだよ!
もう手遅れかもしれないのだよ!んもおおおおォ〜。。。
なるほどねぇ〜。。。
あなたの言っていることはマジで正しいかもしれませんわよ。
だから、無理が通る前に正しいと思うことを主張しなめればならないのでござ〜♪〜ますわ。
そう思ったら、あなたもコメントを書いてね!
ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。
■『シルヴィー物語(2011年4月27日)』
■『波乱の半生(2011年4月29日)』
■『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』
■『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』
■『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』
■『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』
■『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』
■『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』
■『国際的愚か者(2011年7月11日)』
■『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』
■『あなたも国際市民(2011年7月18日)』
■『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』
■『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』
■『思い出のパリ(2011年7月30日)』
■『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』
■『地球の平和(2011年8月9日)』
■『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』
■『死の写真狩り(2011年8月17日)』
■『キモい写真狩り(2011年8月21日)』
■『生パンツと床上手(2011年8月25日)』
■『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』
■『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』
■『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』
■『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』
■『文は人なり(2011年9月15日)』
■『キモい戦争(2011年9月19日)』
■『バカの歴史(2011年9月23日)』
■『ムカつく検査(2011年11月1日)』
■『アッシジからの平和(2011年11月5日)』
■『中国からの怪電話(2011年11月9日)』
■『気になる英単語(2011年11月18日)』
■『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』
■『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』
■『山形とバンクーバー(2011年12月8日)』
■『ねえ、ねえ、ねえ見て(2011年12月10日)』
■『URL スパマー(2011年12月20日)』
■『坂の上の平和(2012年1月4日)』
■『平和と武士道(2012年1月10日)』
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。
(すぐ下のページへ続く)