道鏡と卑弥子(PART 2)
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■『道鏡と床上手な女』
(2011年3月1日)
述べ5人の訪問者が読んでいるのですわね。
その通りです。
どうして道鏡さんの記事が読まれるのですか?
実は、道鏡さんがお目当てではなくて、「床上手な女」がお目当てなのですよ。
どうして、そのような事がデンマンさんに判るのですか?
次の人気記事のリストを見てください。
(wp20128.gif)
■『床上手な女の7つの見分け方』
あらっ。。。上の記事がダントツで 21,151回も読まれているのですわね。
これは Denman Blog の統計だけれど、『道鏡と床上手な女』も 49回読まれている。 つまり、「床上手」か「床上手な女」で検索して『床上手な女の7つの見分け方』を読み、ついでに『道鏡と床上手な女』も読んでいるのです。
でも。。。でも。。。、道鏡さんは分かりますけれど、どうして。。。、どうして、このお話にあたくしが出てこなければならないのでござ〜♪〜ますか?
それはねぇ〜、次の検索結果を見れば判りますよ。
(gog20129.gif)
あらっ。。。これは、あまりと言えばあまりでござ〜♪〜ますわ。 あたくしはネットでは「源氏物語の卑弥子」ではなく「床上手な卑弥子」と思われているのでござァ〜ますか?
そうらしいのですよ。 (微笑)
そうらしいではありませんわよ! よく見ればリストに載っている記事は、すべてデンマンさんが書いたものではござ〜♪〜ませんかア! んもおォ〜〜。。。
【卑弥子の独り言】
本当に腹が立ちますわ。
あたくしは「床上手な女」に見られるのが嫌なのでござ〜♪〜ますわよ。
そういえば、キャンパスにも、あたくしのみだらな写真が出回っているのですわ。
デンマンさんがコラージュしてでっち上げた写真をプリントアウトして、成績の悪かったあたくしの教え子が逆恨みしてキャンパスにばら撒いたのですわ。
いやんなってしまうのですわよ。
学生の中にはマジで、あたくしが「床上手な女」だと思っているかもしれませんわ。
んもおォ〜。。。
こう見えても「源氏物語と日本文化」を講義しているのですわ。
あたくしも負けずに検索してみました。
その結果をご覧くださいまし。
(gog20129b.gif)
あららあああァ〜♪〜。
ムカつくではござァ〜ませんか!
「卑弥子 床上手な女」は 28,300 件。
「卑弥子 源氏物語」は たったの 12,600 件なのですわよ。
んもおおォ〜〜!
これではいけませんわ。
「源氏物語の卑弥子」と言われるように頑張らなければなりません。
とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
元旦も過ぎてしまい
お餅も、もう無くなってしまったでしょうけれど、
元旦にお餅を神棚にお供えするのは
そう遠い昔からあった習慣ではなかったようです。
(mochi100.jpg)
江戸時代よりも以前には、「餅なし正月」と呼ばれて、
正月三箇日に餅を神仏に供えたり食べたりしなかったそうです。
「餅なし正月」は、畑作地帯に見られた習慣です。
畑作地帯とは、水田を作るには不適当であったため、
米以外の作物で定畑や焼畑を行っていた地域です。
これらの地域では、米およびそれを原料とする餅は
自己の土地からは生み出されない外来の食物であり、
神仏に土地の豊饒を願う儀式の場において、
こうした外来の食物を用いることはタブーでした。
こうした風習に代わって餅を主体とする雑煮が
全国的に広がっていく背景には、
交通や情報伝達の発達もさることながら、
石高制に基づく幕藩制による米の生産への
政治的・経済的な圧力が畑作地帯を含めて加えられ、
実際に灌漑設備の整備や新田開発によって、
こうした地域も米作地帯に転換していったからだということです。
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを
やっています。
興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして
覗いてみてください。
■『あなたのための笑って幸せになれるサイト』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ