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ボンド女と挫折 (PART 2)

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ボンド女と挫折 (PART 2)



(toratora2.jpg)

1968年12月24日の解任を境にして、黒澤の身辺で最も劇的に変化したことは、それまでフォックスとの連絡調整の要(かなめ)を握る自分の右腕として信頼してきた青柳哲郎プロデューサーが、監督にとって、突然「獅子身中の虫」になってしまったことである。
黒澤監督は、青柳に対して、クロサワの名において締結されたフォックスとの契約書を、すべて渡せと要求する。
青柳は言を左右にして、契約書をなかなか渡さない。
そうした中で、青柳に対する監督の疑念が次第に深まり、いつしか、青柳こそ自分を裏切り、『トラ・トラ・トラ!』から自分を降板させた“ペテン師たち”の首魁(しゅかい)であるに違いない、という“確信”に変わる。
監督解任から1ヶ月足らずの1969年1月下旬に相次いで開かれた黒澤と青柳の記者会見では、公然と互いを非難し合うという異常事態意に発展した。

(赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




402-403ページ
『黒澤明 vs. ハリウッド』
著者: 田草川 弘
2006年4月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




つまり、黒澤監督は契約書を見てなかったん?



そうなのやァ。 英語力が無いさかいに、すべてを青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのやァ。

それで、具体的に何が問題やったのォ〜?

要するに、黒澤監督も日本の黒澤ファンも「黒澤監督が総監督になって20世紀フォックスのお金で映画を作る」と思い込んでいたのやァ。



(toratora3.jpg)

黒沢明『虎・虎・虎』を総監督
(日本経済新聞)

黒澤明、フォックスと提携 『虎 虎 虎』総監督
日米二班で来春撮影開始
(読売新聞)

黒澤監督総指揮で『虎 虎 虎』
真珠湾攻撃がテーマ
ワシントンなどでロケ
(デイリースポーツ)




ところが、契約書には「黒澤監督が総監督」なんて書いてない。 あくまでも、黒澤監督は20世紀フォックスのプロデューサーであるエルモ・ウィリアムズの指示に従って日本側シークエンスの監督だけを務めるという文面になってるねん。



黒澤監督はその契約書を読まへんかったの?

撮影を開始してからも、解雇されてからも、一度も読まへんかった。 すべてを英語ができる青柳哲郎プロデューサーにまかせきっていたのやァ。 もし、黒澤監督に英語が理解できて読んでいたら、見苦しい降板劇は無かったかも知れへん。 挫折感にさいなまれて自殺を図るよなことも無かったかも知れへんなァ。


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
英語力が無いということは、いろいろな問題を生むのですわね。
国際化はどうしようもなく、私たちを呑み込んでいます。
国際語を知らないということは、かなりのハンディーを背負うことになるようですわ。
あたしも、もう少し英語を勉強しようと思いますう。
あなたは、いかがですか?

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ〜ハァ〜♪〜!

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こんにちはジューンです。

黒澤監督には『隠し砦の三悪人』で素人の上原美佐さんを

雪姫役に抜擢して成功させたという自信があり、

後に『影武者』でもオーディション公募を行なっています。

しかし、『トラ・トラ・トラ!』の撮影では以前と違って

社会人を俳優に起用したことで

思いの外に時間がかかってしまたそうです。

そのことで黒澤監督はストレスを溜め込んでしまい、

降板劇の一因になったとも言われています。

確かに、過去には素人の俳優さんだけを使って

名作を作った例があります。

1925年、ロシア革命の8年後、

当時全く無名だった27歳の新人監督・

セルゲイ・エイゼンシュタインは、オール素人俳優で

歴史に残る名作『戦艦ポチョムキン』を作りました。


(senkan2.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/OtywkcrjWyk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

しかし、この映画は主役が居ない「群衆劇」であり、

無声映画でしたから台詞がうまくしゃべれなくても

問題にはなりませんでした。

1948年にはイタリアのヴィットリオ・デ・シーカ監督が

オール素人俳優の『自転車泥棒』を発表しました。

また、1955年にはフランスのロベール・ブレッソン監督が

オール素人のキャストで『スリ』を作りました。

しかし、『自転車泥棒』も『スリ』も出演者に対して

熱演や名演技は一切求めていません。

顔は無表情に近く、台詞は棒読みに近かったのです。

ところが、黒澤監督は素人俳優に対しての要求が高すぎて

そのために撮影に必要以上の時間がかかっていたと、

20世紀フォックスのプロデューサーである

エルモ・ウィリアムズ氏は言っていたそうです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





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