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膠着語ってなんや?(PART 1)

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膠着語ってなんや?(PART 1)




東洋のイタリア語


(baligals2.jpg)

30年前に私がインドネシアの学会によばれた時、その開会演説は「何とか何とか(聞き取れず)ダン・トアン・トアン」で始まった。
トアンが「ジェントルマン」であるのは、すでにトアン・プラス・固有名詞を耳にしていたから、まずまちがいない。
複数を重ねるのだと了解して、これは「レディズ・アンド・ジェントルマン」である、“dan” は and であると思った。
たまたまアナグラムである。
すぐに覚えた。
スピーチのあちこちで、この力強い接続詞が響いた。
次は saya であった。
頻繁に出てくる。
何ですかと隣の女性にたずねると「サヤ」といって自分を指した。


(sylvie121.jpg)

「私」だと思った。
「東洋のイタリア語」というインドネシア語はとにかく雄弁である。
日本人に聞き取りやすいこと、英語の比ではない。
3日の学会でいくつかの単語と少々の文法らしきものが私の頭にしばらく残った。

(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)



1-2ページ 『私の日本語雑記』
著者: 中井久夫
2010年9月6日 第4刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店 




ケイトー、今日は私の生まれ故郷の言葉を取り上げてくれたのね。



そうですよ。 たまにはシルヴィーのふるさとの国を取り上げないとバチがあたると思ってね。  実は、たまたま『私の日本語雑記』を読み始めたら、最初のページにインドネシア語が出てきたのですよ。 日本人に聞き取りやすい言葉だと書いてある。

私もその通りだと思うわ。 それにヨーロッパの言葉と比べてインドネシア語は易しいと思うのよ。

どうして。。。?

インドネシア語というのは、もともと東南アジアの交易語(リンガ・フランカ)として広い地域で使われていた言葉なのよ。 だから、マレーシアのマレー語とも似ているだけじゃなくて、フィリピンで話されているタガログ語とも似ている。 

つまり、分かり易い言葉だったので東南アジアの広い地域で貿易の言葉として使われていたんだ。

その通りよ。 それに日本語と同じく膠着語(こうちゃくご)なのよ。

あれっ。。。膠着語なんてぇ、シルヴィーは難しい言葉を知ってるんだ。

うふふふふ。。。これでも語学には結構、詳しいのよ。

。。。で、膠着語ってどういう言葉なの?

言葉の順序や、ロシア語のような語形変化よりも、助詞や助動詞などの付属語によって文法的な関係を示す言葉のことを膠着語と言うのよ。 日本語や朝鮮語などのウラル・アルタイ語が典型的な膠着語だわ。

インドネシア語もウラル・アルタイ語なの?

いいえ、インドネシア語は膠着語だけれど形態的にはオーストロネシア語族に属しているのよ。 でも、日本語と同じ膠着語だから、日本人にとっては覚えやすい言語だと思うわ。 それに、発音も似ているし。。。だから、上の本の著者も、「日本人に聞き取りやすい」と言ってるのよ。

どういうところが易しいわけ?

例えば、「私はご飯を食べます」はインドネシア語では次のように言うの。

Saya makan nasi.

Saya は「私」 で makan は「食べる」、 nasi は「ご飯」。 日本語のように「私」を省略することもあるのよ。 その場合には Makan nasi. となるわけね。

名詞や代名詞はロシア語のように格によって変化するのォ?

いいえ、格によって変化しないわ。 また、動詞も、主語の人称や数、時制によって変化しないのよ。 だから、ヨーロッパの言葉と比べて簡単なの。

なるほどォ〜。。。インドネシア語って確かにフランス語やドイツ語よりも日本語に似ているから覚え易そうだね。

多分、日本人にとってはメチャ易しい言葉だと私は思うわ。

シルヴィーにとって、いちばん難しい言葉はどこの国の言葉?

日本語は発音がインドネシア語と似ているけれど、謙譲語や丁寧語や美化語がいろいろとあるので世界でも難しい言葉の一つだと思うわ。

なるほどねぇ〜。。。やっぱり、日本語は難しい言葉なんだ。 実は、僕も調べてみたんだよ。 シルヴィーにも興味があるだろうと思うので、ここに書き出すから、ちょっと見てみてぇ。


世界一難しい言葉というか

言語は何語ですか?

それから日本語は世界的に見て

どのくらい難しいものなのですか?

質問日時: 2005/6/17 17:15:47
解決日時: 2005/6/17 20:20:10
回答数: 11
閲覧数: 1,492



ベストアンサーに選ばれた回答

日本語は、1,2を争うぐらい難しい言葉と言われますね。

1)文字の種類が多い。
ひらがな、カタカナ、漢字と3種類の文字を全て使わないと普通の文章が書けないのは日本語ぐらいのものです。

2)言い回しの種類が多い。
敬語など「自分と相手の立場によって」言葉を使い分けないといけない言語はそうそうないでしょう…

逆に、簡単な所もあります。

1)かな文字という、表音文字がある。
50文字だけ覚えれば、言葉を全て文字で表すことが出来ます。
聞いたまま書けばいいので、英語のように単語のスペルを覚える必要もありません。
このため、ひらがなだけで表わせる日本の小学1年生の作文は世界トップクラスの出来だそうです。

2)名詞が変化しない。
女性形・男性形や、単数・複数によって変化しない。




(arabia3.gif)

アラビア語新聞

外務公務員研修所(外交官研修所)に、日本人にとっての習得難易ランクがあり、最も難しいのがアラビア語とロシア語、簡単なのが韓国語だそうです。

戦前に日本陸軍の仮想敵国がロシアだったため、ロシア語に堪能な陸軍将校が多かったそうです。


(russnews.jpg)

ロシア語ウェブサイト



「外国語としての習得は母国語の系統や使用文字によるので相対的なものであって絶対的なものではない」とする意見がもっとも客観性が高いと思います。

また、「日本語が一番難しい、従って日本人は優秀である」という意見がこれほど多いのにも驚きます。
ある言語環境の中で育ったのなら、その言語を習得することは言語の障害でもない限り当然のことであり、民族の優秀性とは全く関係がありません。
「日本語が話せることを自慢する日本人」って外国から見たらちょっとおかしいですよ。



中国語ではないでしょうか?
文字は大別して表音文字と表意文字に分かれます。
表音文字とはアルファベットに代表されるように、ほぼ音だけを表すもの。
漢字は意味も持ちますので、表意表音文字と呼ばれます。
で、日本語の場合漢字だけでは難しいのでカタカナ、平かなを補助として使用しますね。
ということは漢字のみで文章を構成する中国語が一番難しいのでは?
中国語と一言で言っても北京語、広東語などで弱冠の差異があるかもしれませんけど。
でも、ドイツ語なんかも変化がたくさんあってすごく難しかったなあ〜。



日本語が一番難しいんじゃないかと。
話言葉、聞き言葉で言えば敬語があったりとかしますよね。。
文字はひらがな、カタカナ、漢字。
これだけでも英語なんかに比べて多様です。
また漢字の読みには「訓」があります。
あれって、MOTHERという表記に「おかあさん」という読みをするようなことですよね。
母という字なら日本人にとっては当たり前のことです。
が、中国人なら?でしょう。
ルールがあいまいで外来語の取り入れも無節操です。
あ、そういえば「峠」なんて日本の造字ですよね。
中国人は日本語覚え辛いんじゃないのかな。
(文字に関しては。)



(写真はデンマン・ライブラリーより)
出典: 『Yahoo! 知恵袋』




やっぱり、日本語が難しいと考えている人は多いんだよ。



「外務公務員研修所(外交官研修所)に、日本人にとっての習得難易ランクがあり、最も難しいのがアラビア語とロシア語、簡単なのが韓国語だそうです」と書いてあるけれど、確かに、アラビア語とロシア語はむずかしそうよね。 日本語はその次ぐらいに難しいと私は思うわ。

実はねぇ〜、昨日、次の記事を書いたんだよ。


(swimw09.jpg)

『ワンピース宣伝スパマー』

(2012年3月19日)



あらっ。。。ジューンさんが着ているワンピースの水着を宣伝しているスパマーなの?



いや違うのですよ。 水着じゃなくて One piece DVD-BOX というアニメDVDを集めたものを通信販売しているサイトを宣伝しているのですよ。

その記事とインドネシア語が関係あるの?

いや。。。インドネシア語とは関係ないのですよ。 このスパマーは日本に留学した経験がある中国人で、現在、重慶市に住んでいるのです。 おそらく 5年ぐらい日本語を勉強しているようです。 でも、日本語が難しいらしくスパム・コメントを書くにも日本人が書いたものをコピーして使っているのですよ。 しかも、DVD販売サイトを運営している中国人の仲間も、やはり日本語で苦労している。

どうして苦労していると判るの?

販売サイトに書かれている日本語を読むと判るのですよ。 シルヴィーもちょっと読んでみて欲しい。


(dvd20319.gif)



赤線でアンダーラインを引いた箇所が日本語として不自然なのですよ。 僕は日本で生まれて大学まで日本で育ったから上の文章を一度読んだだけで違和感を感じましたよ。



そうかしら。。。? 私は特に違和感を感じないわ。

あのねぇ〜、確かに、読んで、だいたい意味は解(わか)りますよ。 デタラメを書いているわけじゃない。 ざっと読めば、日本人が書いたと思うかもしれない。 でもねぇ、僕は日本人が書いたものじゃないと初めから解(わか)っていたから、特に違和感を感じたのですよ。

どういう所が可笑しいのォ?

ちょっと次の小文を読んでみてよ。


センテンスを終える難しさ

日本語を話したり、書いたりする時、いちばん迷うのは文末処理、すなわち文の閉じ方であると私は思う。
留学生と話していると、日本語の動詞の後に来る長たらしい文末選びのところで口ごもることが多い。
ここをうまく切り抜けるとほっとした表情を浮かべる。
敬語、丁寧語のレベルがここで決まるからであるが、たしかに私にも文末の長いあれこれを決めてゆく語選びは、細い水路に小船を棹巧みに操って誤たないようにしてゆく感覚である。

中国人は「その部分はほんとうは要らないのではないか」とひそかに思っているのではないか。 ... しかし、彼らが日本文を読む時には漢字の部分で大体を察して、仮名の部分は「ひょっとして否定ではないだろうな」と確認するだけだとしても不思議ではない。

 (中略)

否定か肯定かは無視できない。
ただ、この点について、あるブラジル人の女性医師が語ったことがある。
いわく、日本語って便利ですね、誰かにある主張をしながら表情を見ていて、相手の表情から「あ、まずい、相手の見解は反対だ、機嫌を損ねてしまうだけに終わる」と判断すると、最後のところで「……というようなことはありません」とか「とは思ってもみませんが」とひっくり返せばよいのだから、と。

 (中略)

かつて候文というものがあった。
さすがに今書く人はいなかろうが、私の祖父までは普通の書簡文であった。
父も書こうと思えば書けた。
戦前の外務省の文体も候文であったと聞く。
単に「である」というために「に御座候(ござそうろう)」「という次第に有之候(これありそうろう)」というのは一見滑稽であるが、ただの丁重さだけではなく、文の終止を断定的に強調しつつ柔らかな着地を心掛けているのであろうかと思う。

(赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。)



16-17、27ページ 『私の日本語雑記』
著者: 中井久夫
2010年9月6日 第4刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店 



 (すぐ下のページへ続く)

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