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アナクロニズム(PART 2)

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アナクロニズム(PART 2)


『葉隠』は、「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」で知られる、18世紀佐賀の隠士・山本常朝が口述し、その部下の中堅武士・田代陣基(つらもと)が記述した鍋島藩の武士道論書である。
名誉を重んじ、主君のためにはいかなる自己犠牲をも惜しまない古武士の人生哲学を記したもので、冒頭に、この11巻は追って「堅く火中に」焼却すべし、と書かれていた。
しかしその後、誰も焼かなかったという奇書であるが、三島は『葉隠』を、ラディゲ、上田秋成(あきなり)につぐ愛読書にあげている。

だが、常朝の説く「死に狂い」には、徳川泰平ムードへの警世(けいせい)の書とはいえ、理念もなければ、意義も、ロマンもなく、「救済」もない。
あらゆる思索を捨て去って、ひたすら死へと向かわせる指南書と言ってよい。

 (中略)

ついでながら、語り主の山本常朝は、暗君・鍋島光茂にひたすら迎合した武士と言われ、主君の死後、殉死禁止令が出されたのをよいことに61歳まで生きながらえて、無事、畳の上で死んだと言われている(山本博文 『「葉隠」の武士道』)。

 (中略)

丸山真男は『葉隠』と三島の関係について、次のように語っている。


加藤周一の『日本文学史序説』に即していえば、『葉隠』の「武士道」がいかに武士道ではないか、つまり江戸が天下泰平の時代に入って、かつての戦国武士の行動様式を追想し、美化した「イデオロギー」にすぎないか、これはちゃんと歴史を学んでいる人にとっては常識なのです。

 (中略)

ですから、三島由紀夫などが『葉隠』などを読んで武士道をかついだのは、私に言わせれば二重の悲喜劇なんです。(「文学史と思想について」)


要するに、三島の歴史感覚の欠如が『葉隠』愛読というアナクロニズム(時代錯誤)を招き、人生設計を誤らせたと言っても過言ではない。



58 - 61ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
著者: 高橋秀郎
2010年8月26日 第1刷発行
発行所: 株式会社 飛鳥新社



『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』に掲載




これは明らかに『葉隠』を貶(けな)す書ですよ。



貶しているのではなくて批判しているのだよ。

デンマンさんは高橋さんが書いている文章を信用するのですか?

あのなァ〜。。。上の文章は高橋さんが独断で『葉隠』を批判しているのではない。 山本博文さんは、『「葉隠」の武士道』の中で次のように言っている。

山本常朝は、暗君・鍋島光茂に

ひたすら迎合した武士と言われ、

主君の死後、

殉死禁止令が出されたのをよいことに

61歳まで生きながらえて、

無事、畳の上で死んだ

加藤周一さんは『日本文学史序説』の中で次のように書いている。

『葉隠』の「武士道」が

いかに武士道ではないか、

丸山真男さんは次のように主張している。

三島由紀夫などが『葉隠』などを読んで

武士道をかついだのは、

私に言わせれば二重の悲喜劇

そして最後に高橋さんが次のように総括しているのだよ。

三島の歴史感覚の欠如が

『葉隠』愛読という

アナクロニズム(時代錯誤)を招き、

人生設計を誤らせたと言っても

過言ではない。

つまり、上の文章中で4人の知識人が『葉隠』は人生設計を誤らせる悪書だと言ってるのだよ。

デンマンさんも『葉隠』は悪書だと思い込んでいるのですか?

仮に良書だとしても僕は『葉隠』に書いてある忠君愛国だとか、名誉を重んじ、社長のためにはいかなる自己犠牲をも惜しまない、なんてバカバカしい事を考えない。 現在に生きる我々が『葉隠』を人生設計に使ったら、それこそ二重三重の悲喜劇に終ってしまうのがオチだよ。

デンマンさんは上の4人の似非知識人の言葉を信じるのですか?

あのなァ〜。。。オマエが丸山真男を嫌って馬鹿にしているのを僕は知っている。 でもなァ〜、似非知識人だとしても、正真正銘の知識人だとしても、完璧な知識人など、人間である以上、居るわけがない! オマエも僕も完璧な人間じゃない! 僕は上の文章を読んで、これまで得た僕の知識と経験から判断しているだけだよ。 上の四人を僕は個人的に知らないし、だから嫌いでも好きでもない。

でも、上の本は明らかに『葉隠』を貶(けな)す書ですよ。

そのようにムキになるなよ! この記事を読んでいる人の中には、尤(もっと)もだと思って『葉隠』について改めて考え直す人だって居るはずだよ。 高橋さんが上の本で『葉隠』を貶していると感じるのは、オマエの個人的な受け留め方にすぎない。

つまり、オイラが持ち出した忠君愛国を『葉隠』と結びつけ、さらに、「士風」を『葉隠』の武士道と結びつけ、オイラの「大東亜戦争肯定論」を『葉隠』と同じものとして貶すことがデンマンさんの目的なのですか?

いや。。。僕はオマエの「大東亜戦争肯定論」を貶そうとしているわけじゃない。 合理主義を排して大東亜戦争を肯定しているオマエの考え方を見ながら、現在に生きる我々が、オマエの信じる「大東亜戦争肯定論」を参考にして人生設計すると、二重三重の悲喜劇に終ってしまうだろうと思ったまでのことだよ。

要するに、デンマンさんはオイラの「大東亜戦争肯定論」を貶しているのですよ!

オマエはくどい! 貶してない! 僕は批判しているのだよ。

批判のないところに進歩なし

愛なき批判は空虚にして

批判なき愛は盲目なり

分かるだろう? オマエを貶したって意味が無い。 お互いに批判することによってオマエも僕も未来に向かって前向きに生きてゆける。 オマエだって三島さんのように閉ざされた時代錯誤の世界の中で割腹自殺などしたくないだろう?

もちろん、オイラは割腹自殺などしませんよう。

だったら、「士風」などを持ち出すなよ。

いけませんか?

次の文章など、まるで三島さんが書いたのじゃないかと僕は思ったほどだよ!




福沢(諭吉)は『瘠我慢(やせがまん)の説』で三河武士の士風の美を讃え、幕府のために戦って死ななかった勝海舟や、一度は箱根に籠城したのに、負けた後、新政府で出世してしまった榎本武揚(たけあき)を批判しているんだ。
それは徹底的に忠君愛国の武士道の「瘠我慢」を支持しているんだからね。
冒頭、出てくる「立国は私なり、公に非ざるなり」というのは、単なる「自分のことしか考えない私を寄り集めたら国ができる」なんて話じゃないからね。
世界大で見れば、立国は徹底した自己本位の私情を貫くことに他ならない。
他国の利益を考えてやるような公共心は世界大では通用しないという、恐るべきナショナリズムのことなんだよ。
これを戦後の文学者も批評家もすべて読み誤っている。

福沢はまず一般的な人の持つ疑問を並べ立ててみせるんだよ。
人と人はなんで国境を決めて争うんだろう、君主を立てるんだろう。
こんなものはすべて、人間の私情から生じたものなのに、と。
そして現実論を言い始める。
そうは言っても、現実は開国以来、世界中を見てみれば、各種の人民相別れて一群を成し、国や政府を作って忠君愛国が最上の美徳となっている。
忠君愛国は世界大の哲学からみれば人類の私情なんだが、やはり今日までの厳しい世界事情の中では美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。
…そういうふうに話は逆転してくるんだ。
そして、ついに福沢は、こう言い始める。

「自国の衰退に際し、敵に対して固(デンマンは【個】だと思いますが…)より勝負なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝負の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくわ死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」

これが福沢の言う「瘠我慢の説」だよ。
つまり合理主義を排している。
負ける戦争と分かってるものをするな、という司馬遼太郎や、最近の保守主義者が言ってるような生ぬるい感覚じゃないんだ。



「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。
まさに大東亜戦争にわしが共鳴するゆえんのところを福沢はすでに、この時点で言ってくれてるんだからね。

これこそが、わしが『戦争論』を描いたモチーフになっとる。
だから最初にわしは『戦争論』の中で、すもう大会のエピソードを描いたんだ。
負けるとわかっているのに、すもう大会に出ていって大恥をかく。
その非合理の中にしか倫理は生まれないだろうって。

あのエピソードと、大東亜戦争の重なりの意味を、誰も見抜けない。
それは戦後の文学者、批評家が福沢諭吉すら、ちゃんと読み解く能力がなかったからに他ならない。

(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました
赤字はデンマンが強調のために施しました)



369 - 370ページ 『「個と公」論』
著者: 小林よしのり
2000年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎



『漫画家と平和』に掲載
(2011年3月6日)




士風を賞賛してはいけないのですか?



いや。。。何を言っても書いてもいいよ。 日本もカナダも言論の自由・表現の自由が憲法で保障されているし、これは世界的な傾向だから。。。

だったら、クダクダと批判めいたことを言わないでくださいよ。

オマエは批判されるのが嫌いなの?

いや。。。もう慣れていますから、デンマンさんがオイラを批判したところで痛くも痒くもありません。

だったら、タラタラ不満そうに言わなくてもいいだろう。

でも、デンマンさんの真意は何ですか? オイラをイジメたいのですか?

僕はオマエをイジメてないよ! 何度も言ってるだろ! オマエの世界が閉ざされている。。。過去のものになりつつあると僕は指摘しているだけだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるよ。 オマエは上の文章の中で次のように書いていた。




忠君愛国が最上の美徳となっている。

忠君愛国は世界大の哲学からみれば

人類の私情なんだが、

やはり今日までの厳しい世界事情の中では

美徳であり、「立国の公道」と言わざるを得ない。

千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、

いよいよ勝負の極に至りて、

始めて和を講ずるか、

若しくわ死を決するは、

立国の公道にして、

国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり

負ける戦争と分かってるものをするな、

という司馬遼太郎や、

最近の保守主義者が言ってるような

生ぬるい感覚じゃないんだ。



「士風こそを後世に伝えよ」と言っとるんだ。

(注: 赤字はデンマンが強調)




これでは三島さんの言っていた事とあまり変わりがないだろう!?



そうでしょうか?

そうだよ。 繰り返して言うけれど、合理主義を排して大東亜戦争を肯定しているオマエの考え方を見ながら、現在に生きる我々が、オマエの信じる「大東亜戦争肯定論」を参考にして人生設計すると、二重三重の悲喜劇に終ってしまうだろうと思ったまでのことだよ。 つまり、時代錯誤! オマエの考えはアナクロニズムなんだよ!


【レンゲの独り言】



ですってぇ〜。。。
デンマンさんは言いたい放題のことを言ってますよね。
ところで、あなたは小林よしのりさんが書いた『戦争論』を読みましたか?
『パール真論』を読みましたか?
デンマンさんが取り上げた『「個と公」論』も読みましたか?

『戦争論』は65万部売れたのですって。。。
出版されたのは、もう10年以上も前のことですから、現在までにはもっと売れているもしれません。
かなり話題になりましたよね。

あなたは大東亜戦争を肯定しますか?
戦争が正義か?
平和が正義か?
考えてみたことがありますか?

とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』




『夢とロマンの横浜散歩』



『銀幕の愛』



『パリの空の下で』



『漫画家と平和(2011年3月6日)』



『畳の上の水練(2011年3月15日)』




こんにちは。ジューンです。

わたしもデンマンさんに薦められて

『「個と公」論』を読んでみましたわ。

インタビュー形式で対談のようになっています。

マンガは全く描いてありません。

言葉を惜しみなく駆使した実験だそうです。

インタビュアーが「時浦兼」という人物なんですね。

同書の403ページに書いてあります。

でも、「時浦兼」という人物が実在したとしても

二人の会話がそのまま活字になったのではないと

わたしは思います。

2ちゃんねる流に言えば「自作自演」ですよね。

良くてインタビューに見せかけた「創作」だと思います。


『パール真論』を読んでいたら「時浦兼」という人物は“小林漫画”スタッフの一人だと書いてありましたわ。

このような事は『「個と公」論』の中で明記すべきだと思います。

そうでないと誤解を招きますよね。


デンマンさんのこれまでの記事を読めば

分かると思いますけれど、

上の記事はデンマンさんの「自作自演」です。

マンガ家の「オマエ」と「僕」はデンマンさんが

一人で二役を演じています。

つまり、「創作」です。

ただし、記事で引用した本の内容は

小林よしのりさんが書いたそのものを引用しています。

誤解がないように老婆心から申し上げました。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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