クラシック鑑賞 9 (PART 1)
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デンマンさん。。。、最近、クラシックにハマっているのですかァ~?
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僕はクラシックは、どちらかと言えば苦手なんだよ。。。
それなのに、どういうわけで、最近オイラと たびたびクラシックを鑑賞するのですか?
オマエは不満なのォ~?
いいえ。。。 デンマンさんと共にクラシックを鑑賞することができるなんてぇ~、天にも昇るような気持ちですよ。。。 この際、スキップして喜んでもいいですか?
あのさァ~、いくらなんでも、それはオーバーじゃないのォ~? オマエが以前のようにスキップして喜んだら、この記事を読みにやって来たネット市民の皆様が呆れて他のブログへ飛んでしまうのだよ!
分かりました。。。 じゃあ、スキップして喜びたいのですけれど、デンマンさんが そのように言うのであれば、じっと我慢したいと思います。。。で、いったいどのクラシックの曲を鑑賞するのですか?
オマエが“前奏曲集”の中で書いていた記事から選んだのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!
11.2 Robert Schumann
バスに乗り込んだ途端、ハーーイ、Mister Ota、Helloオーオ!、という女の子の大声が一番後ろの席から聞こえた。見ると、我が家の隣のChristineが、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。他の乗客は、いっせいに私を見ている。彼女が高校生のときであった。そして、その後、大学に進んでドイツ文学を専攻した。それ以来、しょっちゅうドイツに行っている。今でも、まったく、彼女は天真爛漫である。
それが、彼女の母親、Victoriaの悩みの種なのだ。なにせ、三ヶ月と言って出て行って、一年以上、半年と言って、一年半も家に帰って来ないのである。大学も除籍になりかかったことがある。叱っても、娘の返事は、<Don’t worry>だそうだ。そして、Victoriaは、Masahiro、 今月の電話代いくらかかったと思う?$5,000以上よ、とこぼしていた。Christineがcollect callで掛けてよこすからであろう。その挙句、先日は、金送れ、と言ってきたので、喧嘩してしまった、としょげていた。私は、Victoria. I envy you, 'cause you 've got chance to support your daughter financially and can still afford to do so、と言って慰めるしかなかったが、本当を言うと、少し可笑しかった。
そのVictoriaが、Christineがドイツから帰ってきた、と言って、おみやげのCD、<Fritz Wundelich、 Portrait einer unsterblichen Stimme>を私にかしてくれた。その中に、R. Schumannの<<Dichterliebe>>(Op. 48)からの三曲が入っていたのである。このLiederzyklusには、すれ違いも含めて、様々な経緯があった。
まず、私が高校生の頃に、H. Heineの<Im wunderschönen Monat Mai>のtextに出会い、それこそ偶然に、Schumannの曲を聴く機会があった。私は、五月生まれであるので、そのことには、あまり意味は無いのかも知れないけれど、少しだけうれしかった。この曲の、まだ充分に開いてない木々の若葉が、暖かいけれど、少しうす寒いような五月の微風にゆれているような感じが好きであった。
次は、私のスキーの相棒とスキー宿に泊まったとき、私と同じく、既に社会人となっていた彼が、夜、ドイツ語の勉強をしているのを眼にしたのである。その時に、彼が開いていたtextのページに、偶然また、<Im wunderschönen Monat Mai>を見たのであった。聞いてみると、彼は五月生まれではなかった。私は、そのことには、あまり意味は無いのかも知れないけれど、少しだけ内心得意であった。そして、Schumannの作品について話をした。後日、彼は、太田さん、あのSchumannの音楽は、本当にいいですね。あの曲は、本当に五月の感じだ、と言っていた。
そして、カナダに来てから後にFMで聴いて、それを思い出したのである。そして、<<Dichterliebe>>の全曲を求めてdown townに出かけたのであるが、適当なLPが見あたらなかった。それで、このCDを聴くまでは、そのまま二十年余も忘れていた次第である。しかし、Wunderlichの声は、私がこの作品に求めていた声であったので、また、私は<<Dichterliebe>>全曲のCDを買いに出かけたのである。だが、家に戻ってきたときには、私の手には、J.S. Bachの<<
Trio-Sonaten>>のCDがあった。私が、<<Dichterliebe>>全曲を聴いたことがあったかどうかが、いまひとつ、さだかではなく、迷ったからである(草子地:私は、レコード収集のmaniaではありたくない。それ故に、一度には一枚、乃至はone setしか求めないことにしている。それに、その程度の自制があったほうが、すみからすみまで神経の行き届いたcollectionになるのではないか、と自負もしているのである)。Victoriaには、もう一週間CDを借りといていいか、と頼んでみた。そうしたら、彼女は、彼女がドイツから帰ってくるまで3週間いい、と言ってくれたのである。今度は、Victoria自身がドイツに行くことになった。そして、帰ってきたときには、今度は、私が借りていたのと同じCDを、おみやげに、私に、くれたのである。そんな次第で、<<Dichterliebe>>全曲については、本文に譲ることにする。以下が、そのCDに入っている三曲である:
Im wunderschönen Monat Mai,
Im wunderschönen Monat Mai, Im wunderschönen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen, Als alle Vögel sangen,
Da ist in meinem Herzen Da hab' ich ihr gestanden
Die Liebe aufgegangen. Mein Sehnen und Verlangen.
Aus meinen Tränen sprießen
Aus meinen Tränen sprießen Und wenn du mich lieb hast, Kindchen,
Viel blühende Blumen hervor, Schenk' ich dir die Blumen all',
Und meine Seufzer warden Und vor deinem Fenster soll klingen
Ein Nachtigallenchor. Das Lied der Nachtigall.
Wenn ich deine Augen seh'
Wenn ich deine Augen seh',
So schwindet all' mein Leid und Weh;
Doch wenn ich küsse deinen Mund,
So werd' ich ganz und gar gesund.
Wenn ich mich lehn' an deine Brust,
Kommt's über mich wie Himmelslust
Doch wenn du sprichst: Ich liebe dich,
So muss ich weinen bitterlich.
(Textdichter: Heinrich Heine (1797-1856))
蛇足(コーダ):
<Im wunderschönen Monat Mai>は、独唱、ピアノともに主音で終止していない。<Aus meinen Tränen sprießen>は、独唱は、主音で終止しないが、残っている伴奏が主音で終止する。<Wenn ich deine Augen seh'>は両方が主音で終わるが、So muss ich weinen bitterlichとは、Christineだって、よせやい、と言うであろう。
49-50ページ
『前奏曲集―私はアマチュアである-作品 1の2』より
振り返ってみると、デンマンさんと共にクラシックを鑑賞するなんて今年になってから6度目のことですねぇ~。。。
確かに、そうなんだよ! でもさァ~、オマエの上の文章は とにかく読みづらいのだよ! おそらく、この記事を読み始めたネット市民の皆様の半分以上が、オマエの読みづらい文章を途中まで読んで 他のブログへ飛んでしまったと思うよ!
それほどオイラの文章は悪文でしょうか?
オマエの文章ほど読みづらい悪文を 僕は他に見たことがない!
マジで。。。?
僕には、到底、オマエの文章を最後まで読む気になれず、仕方がないから次のように楽しく、面白く読めるように編集し直したのだよ。。。 オマエも読んでごらんよ。。。
11.2 ロベルト・シューマン
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(1810 – 1856)
バスに乗り込んだ途端、“ハー♪ーイ、太田さ~♪~ん”という女の子の大声が一番後ろの席から聞こえた。
見ると、我が家の隣のクリスティンが、腕を170度ぐらいに大きく振って、にこにこしている。
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他の乗客は、いっせいに私を見ている。
彼女が高校生のときであった。
そして、その後、大学に進んでドイツ文学を専攻した。
それ以来、しょっちゅうドイツに行っている。
今でも、まったく、彼女は天真爛漫である。
それが、彼女の母親、ビクトリアの悩みの種なのだ。
なにせ、三ヶ月と言って出て行って、一年以上、半年と言って、一年半も家に帰って来ないのである。
大学も除籍になりかかったことがある。
叱っても、娘の返事は、「心配しないで…」だそうだ。
そして、ビクトリアは、「マサヒロ(将宏)、今月の電話代いくらかかったと思う?$5,000以上よ」、とこぼしていた。
クリスティンがコレクトコールで掛けてよこすからであろう。
その挙句、先日は、金送れ、と言ってきたので、喧嘩してしまった、としょげていた。
「ビクトリア、私は貴女がうらやましいよ。 なぜなら、娘を経済的に助けてあげるチャンスが持てたということだし、またそれができるんだから…」、と言って慰めるしかなかったが、本当を言うと、少し可笑しかった。
そのビクトリアが、クリスティンがドイツから帰ってきた、と言って、おみやげのCD、<フリッツ・アンダーリッヒ - 永遠の声の肖像>を私にかしてくれた。
その中に、シューマンの<<詩人の恋>>(Op. 48)からの三曲が入っていたのである。
この連作歌曲には、すれ違いも含めて、様々な経緯があった。
まず、私が高校生の頃に、ハインリヒ・ハイネの<美しい5月に>のテキストに出会い、それこそ偶然に、シューマンの曲を聴く機会があった。
私は、五月生まれであるので、そのことには、あまり意味は無いのかも知れないけれど、少しだけうれしかった。
この曲の、まだ充分に開いてない木々の若葉が、暖かいけれど、少しうす寒いような五月の微風にゆれているような感じが好きであった。
次は、私のスキーの相棒とスキー宿に泊まったとき、私と同じく、既に社会人となっていた彼が、夜、ドイツ語の勉強をしているのを眼にしたのである。
その時に、彼が開いていたテキストのページに、偶然また、<美しい5月に>を見たのであった。
聞いてみると、彼は五月生まれではなかった。
私は、そのことには、あまり意味は無いのかも知れないけれど、少しだけ内心得意であった。
そして、シューマンの作品について話をした。
後日、彼は、「太田さん、あのシューマンの音楽は、本当にいいですね。 あの曲は、本当に五月の感じだ」、と言っていた。
そして、カナダに来てから後にFMで聴いて、それを思い出したのである。
そして、<<詩人の恋>>の全曲を求めてダウンタウンに出かけたのであるが、適当なLPが見あたらなかった。
それで、このCDを聴くまでは、そのまま二十年余も忘れていた次第である。
しかし、フリッツ・アンダーリッヒの声は、私がこの作品に求めていた声であったので、また、私は<<詩人の恋>>全曲のCDを買いに出かけたのである。
だが、家に戻ってきたときには、私の手には、バッハの<<トリオ・ソナタ>>のCDがあった。
私が、<<詩人の恋>>全曲を聴いたことがあったかどうかが、いまひとつ、さだかではなく、迷ったからである。
(草子地:私は、レコード収集のマニアではありたくない。それ故に、一度には一枚、乃至は1セットしか求めないことにしている。それに、その程度の自制があったほうが、すみからすみまで神経の行き届いたコレクションになるのではないか、と自負もしているのである。)
ビクトリアには、「もう一週間CDを借りといていいか?」、と頼んでみた。
そうしたら、彼女は、「彼女がドイツから帰ってくるまで3週間いい」、と言ってくれたのである。
今度は、ビクトリア自身がドイツに行くことになった。
そして、帰ってきたときには、今度は、私が借りていたのと同じCDを、おみやげに、私に、くれたのである。
そんな次第で、<<詩人の恋>>全曲については、本文に譲ることにする。以下が、そのCDに入っている三曲である:
Im wunderschönen Monat Mai,
als alle Knospen sprangen,
da ist in meinem Herzen
die Liebe aufgegangen.
Im wunderschönen Monat Mai,
als alle Vögel sangen,
da hab´ ich ihr gestanden
mein Sehnen und Verlangen.
Aus meinen Tränen sprießen
夢のように美しい5月・・・
つぼみがいっせいに弾ける5月に、
ぼくの胸に花開いたのは、
あのひとへの愛でした。
夢のように美しい5月・・・
小鳥がいっせいに歌い出す5月に、
ぼくは打ち明けました。
あのひとへの憧れの想いを。
Aus meinen Tränen sprießen
Viel blühende Blumen hervor,
Und meine Seufzer werden
Ein Nachtigallenchor.
Und wenn du mich lieb hast, Kindchen,
Schenk’ ich dir die Blumen all’,
Und vor deinem Fenster soll klingen
Das Lied der Nachtigall.
僕の涙は外に出て
たくさんの若々しい花となり
そして 僕のため息は
ナイチンゲールの歌声となる
そして もし君が僕を愛してくれるなら 可愛い人よ
君にこの花を すべて贈ろう
そして君の窓の前で
ナイチンゲールの歌を響かせよう
Wenn ich in deine Augen seh’
So schwindet all’ mein Leid und Weh;
Doch wenn ich küsse deinen Mund,
So werd’ ich ganz und gar gesund
Wenn ich mich lehn’ an deine Brust,
Kommt’s über mich wie Himmelslust;
Doch wenn du sprichst: Ich liebe dich,
So muss ich weinen bitterlich.
(デンマン注: 上の歌曲は明らかにハイネの次の詩からインスピレーションをゲットしたに違いない!)
僕が君の目を見つめると
僕の苦しみや悲しみは すべてなくなる
僕が君の口にキスすると
僕はすっかり元気になる
僕が君の胸に寄りかかると
まるで天国にいるような気持ちになる
でも 君が「愛している」と言うと
僕は ひどく泣いてしまう
歌詞は ハインリヒ・ハイネ (1797-1856) による。
蛇足(コーダ):
<美しい5月に>は、独唱、ピアノともに主音で終止していない。
<僕のあふれる涙から>は、独唱は、主音で終止しないが、残っている伴奏が主音で終止する。
<君の瞳に見入る時>は両方が主音で終わるが、「僕は ひどく泣いてしまう」と言うと、クリスティンだって、「よせやい」、と言うであろう。
49-50ページ
『前奏曲集―私はアマチュアである-作品 1の2』より
『前奏曲集』より
デンマンさん。。。、オイラの家内や娘以外の女性を取り上げたのは初めてですねぇ~?
たまには、オマエが家族に見放された 孤独で寂しい老人ではないことを ネット市民の皆様にも知って欲しいと思って、上の記事を取り上げたのだよ。。。
オイラは久しぶりにビクトリアとクリスティンの母娘の在りし日の姿を思い浮かべながら、涙が出るほど愉快で懐かしくなりましたよゥ。。。 上の記事を取り上げてくれたデンマンさんに対して、オイラは感謝の気持ちでいっぱいです。。。
ふ~♪~ん。。。
オイラが上の文章を久しぶりに読んで マジで懐かしんでいるのに、デンマンさんは、なんだか、そっけない反応を示すのですねぇ~。。。
あのさァ~、クリスティンがバスの後ろ座席から 腕を170度ぐらいに大きく振って、ニコニコしながらオマエの名前を大声で呼んでいるシーンは、微笑ましいと言うか? いかにもカナダ育ちの白人の女子高生らしいと思うのだよ。。。
。。。でしょう?! デンマンさんも、この情景を想像すると、オイラが女性にモテルということが、ありありと理解できるでしょう?
オマエは女性にはモテナいのだよ!
だってぇ~、上のエピソードでは オイラがクリスティンにモテテいるじゃありませんかァ!
それは、モテルという事とは全く関係ないのだよ!
どういうことですか?
あのさァ~、オマエが書いた次の小文を読んでごらんよ!
私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。
長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。
私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。
その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。
Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。
私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。
ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。
しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。
S.D.G
コーダ(蛇足):
私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。
【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。
S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者
S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。
F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家
56-57ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月
『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)
デンマンさん! んもおおおォ~! いったい何度引用すれば気が済むのですかあああァ~。。。 今日こそは、この小文をデンマンさんが引用しないと思いながら、オイラは実は、ホッとしていたのですよゥ。。。
だけど、オマエが「自分は女性にもてるでしょう!」というような、馬鹿げた事を言うから、僕は敢(あ)えて 上の小文を引用したのだよ!
なぜですかァ~?
あのさァ~、もし隣の家族がドイツ移民の家族じゃなくて、オマエと同じような 日本人の家族だったら、絶対に、上のようなエピソードにはならないのだよ!
なぜ。。。?
なぜなら、日本語で近所づきあいをすると、オマエは必ず、衝突するのだよ。。。
どうして。。。?
どうしてってぇ~、そもそも、オマエがカナダに移住しようと決めたのは、オマエが日本で働いていたソフトウェア会社での人間関係のもつれが原因なんだよ!
マジで。。。?
マジでってぇ~、オマエが僕に、そのように話したのだよ。
忘れました。。。 覚えてません!
都合が悪くなると、オマエは、そのように惚(とぼ)けてしまうのだよ! とにかく、何の不自由もなく、コミュニケーションが取れる場合には、つまり、日本人同士の人間関係では、オマエの場合、たいてい破綻するのだよ。。。 その事に関しては、これまで僕が書いた記事の中にも、いくつかの具体例が書かれている。。。 この僕とオマエの関係がいい例だよ。。。
つまり、デンマンさんがオイラとの良好な人間づきあいを ぶち壊したと言いたいのですねぇ~。。。
そうじゃないのだよ! オマエがブチ壊したのだよ。。。 僕がトロントに住んでいる頃、オマエは「付き合いづらい男」だという、もっぱらの噂だったのだよ。。。 「デンマンさんは、太田さんとの付き合いが よく長く続きますねぇ~」と不思議がられていたのだよ。。。
マジで。。。?
それで、僕は上の記事を読みながら、ハタと思い当たった。
どのように。。。?
コミュニケーションが不完全な場合には、オマエの人間関係は良好なのだよ! なぜなら、オマエはドイツ語も不十分だし、英語も不十分なのだよ! つまり、意思疎通が十分にできないことを自分で納得している。。。 要するに、劣等感を持っている。。。 そのような場合には、オマエは相手に対して とっても素直になれる。。。 そのような態度が、例えば、ビクトリアやクリスティンに良い印象を与えたのだよ。。。
つまり、オイラの語学力が不十分でコミュニケーションが良く取れない場合に限って、オイラは相手に対して良い印象を与える、とデンマンさんは主張するのですか?
その通りだよ!
つまり、この事を言うために、わざわざシューマンを取り上げたのですか?
そうだよ。。。 それに、僕は先日も言ったはずだよ! オマエが昨今、自分史などを書いている人がいる、と聞いているが、いい気なものだと書いていた。 ところが、上の文章に見るように、オマエも意識せずに「自分史」を文章の中に散りばめていたのだよ! オマエは、むしろ僕以上に家族や隣人を通して自分自身の事を 無意識に語っていたのだよ!
要するに、デンマンさんは オイラの家族が崩壊していることや、オイラのコミュニケーション能力が劣っていることをネットで広めようとしているのですか?
いや。。。 別に、オマエの家庭が崩壊していることや、コミュニケーション能力が劣っていることをネットで広めようとしているわけじゃない。
じゃあ、何ですかァ~?
オマエが劣っている部分を オマエの奥さんがサポートして これまで良くやってきたと感心しているのだよ。。。
マジで。。。?
だいたい、オマエのような世間知らずで、独断と偏見で何事も判断しようとする男が 娘二人をカナダの大学の医学部に通わせ、現在、二人ともアメリカの総合病院で働いている小児科医の女医さんにさせることなど まずできないのだよ!
できました。。。
だから、それは心の優しい、オマエを支えてくれた良妻賢母な奥さんがいたからなんだよ!
つまり、父親としてのオイラの存在は 飾り物だったとデンマンさんは言うのですか?
そうだよ。。。 オマエがせっせと大型コンピューターのメインテナンスの仕事をして給料を家に入れていたから、奥さんは、仕方なしにオマエと離婚せずに一緒に居たのだよ!
要するにオイラは エサを運ぶ単なる働きアリだったとデンマンさんは言うのですか?
そうだよ。。。 オマエは、不満そうだねぇ~。。。?
当たり前田のクラッカー! 不満ですよう!
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そのギャグは、オマエが言うんじゃなくてぇ、僕が言うためのものなんだよ!
要するに、オイラがクラシックのオタクで、父親としては失格だと、デンマンさんは言いたいのですか?
いや。。。 僕は、そこまでは言ってないのだよ。。。
じゃあ、どう言う訳で、シューマンを取り上げたのですか?
オマエが次のハイネの歌詞を書いたからだよ。
僕が君の目を見つめると
僕の苦しみや悲しみは すべてなくなる
僕が君の口にキスすると
僕はすっかり元気になる
僕が君の胸に寄りかかると
まるで天国にいるような気持ちになる
でも 君が「愛している」と言うと
僕は ひどく泣いてしまう
この歌詞がどうだと言うのですか?
この歌詞を読みながら、僕は初恋の頃を思い出したのだよ。。。
マジっすかああァ~。。。?
こういう真面目な時に僕は冗談など言わないよゥ。。。
それで。。。?
上の歌詞を読みながら、次の歌がオツムに思い浮かんできたわけだよ。。。
それで、オイラが書いたシューマンを取り上げたのですか?
そうだよ。。。 オマエは白けてるねぇ~。。。
当たり前でしょう! 馬鹿バカしい!
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