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オツムの中の英語 (PART 1)

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オツムの中の英語 (PART 1)




外国で日本語の中に生きる

正しい英語が遣えれば私は英語で書いただろう。
30余年ここ(アメリカ)に住んでいて毎日英語を遣っていても、一向に正しい英語が書けないのである。
年齢的に来たのが遅すぎた。

 (中略)

こちらでできたコンピューターで打つと、まずローマ字で打つ。
それが平仮名に変わり、簡単な漢字はバーを押すと出てくる。
ヨーロッパ語であれば、このバーを押す前の操作で済んでしまう。
それから、日本語は必要な漢字を探し回らなければならない。
探していた文字が一つ目に出るというようなことはめったになくて50ぐらいのリストの中から探すことはざらである。
その時間でヨーロッパ語では、ひとつの章は打てている。
その次にヨーロッパの地名が出てくると片仮名に直さねばならない。

時々、英語か他のヨーロッパ語を横文字で入れることもある。
私たちは4つの層の文字を遣っている。
だから、漢字を探したり、片仮名に直したりするたびに、こんだけも、うだうだ溜めんでもええやないかと腹が立ってくる。
時間が掛かって仕方がない。
しまいには、日本語にどうして漢字を入れなくてはいけないのか?
全部捨ててしまえと言いたくなる。
国際化、コミュニケーションと言っている時代、日本語に問題ありと叫びたい。
日本語が全部平仮名で書かれると、外国人も読みやすくなり、私たちも外国語で外国人とコミュニケイトする必要は減少する。

 (中略)

38年前に日本を出て、アメリカに来た時は、絵描きであったので、言葉で苦労するなんて、夢にも考えていなかった。
日常生活に必要な英語が喋れればそれでいいと……。

ところが、アメリカ人と結婚し、ひょんなことから、あるいは、生理的な必然性からか、抽象画では表せないアメリカの社会を人に知らせたくなったのである。
来てから7年目くらいだったと思う。
それから徐々に言葉に頼るようになった。
私は日本で絵の具代を稼ぐために英文タイピストをしていたので、英語で社会批判をタイプし始めた。
夫に見せると、私の英語がなっていないと言う。
文法的にも論理的にも支離滅裂で、こんなのを直していたら、作家である自分の時間がなくなり、家族の口が干上がると言った。
日本語に存在していない定冠詞とか、前置詞が分からない。
子どもときからの習慣で学ばないと英語の論理が身についていないので通じないのだ。
日本語では普通である表現が、英語では曖昧に見える。
一体これは誰に属しているのかということが判然としなければならない。
his, her, my など、今の日本が困っている根元がここにある。
誰の金かというときに、日本語では政治家とか大蔵省の役人とか銀行家とかが曖昧に濁せる。
ここで言語の構成の中に、その言語を使う人びとの思考方法が入っていることに気がついた。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。)



141-142,150-151ページ
『なんや、これ? アメリカと日本』
著者:米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店




ケイトー。。。、どうしてまた米谷さんの本を持ち出してきたのォ〜?



あのねぇ〜、僕も海外で20年以上を過ごしてきたのですよ。 そのほとんどは英語圏の国々だった。。。アメリカ、ハワイ、グアム、イギリス、バーミューダ、カナダ、シンガポール、。。。

米谷さんは2001年の時点でアメリカ在住38年だから、現在(2012年)では、ほぼ半世紀近くをアメリカで過ごしているわけね。

そうなのですよ。 海外生活者としては僕の大先輩なのですよ。 それだけではないのだろうけれど、僕は米谷さんの本を読むと共感することがたくさんある。 それで、何度も何度も上の本を借りて読むのが楽しい。 初めて読んだのは確か去年の夏だったと思うのですよ。 9月になってから米谷さんの本から引用して次の記事を書いたのです。



『あなたの平和な日々』

(2011年9月7日)



そうだったわね。 私も思い出したわ。 それからもケイトーは米谷さんの本を借りて読んだの?



そうですよ。 去年の暮れにも借りて読んだのですよ。





あらっ。。。ホント。。。2度更新してるじゃない。



1度借りて3週間読めるから、2度更新したということは 9週間借りて読んだということですよ。 約2ヶ月です。 最近、また借りて読んでいるのですよ。


(lib20416.gif)



読んでみて、それほど共感することがあるの?



そうですよ。 それで今日、「外国で日本語の中に生きる」を引用する気になったのですよ。

。。。で、どういうところに共感したの?

日本語に存在していない定冠詞とか、

前置詞が分からない。

子どもときからの習慣で学ばないと

英語の論理が身についていないので

通じないのだ。

日本人にとっては定冠詞や前置詞の使い方が難しいのですよ。

たとえば。。。?

あのねぇ〜、僕は結構、英語の記事を書いているのですよ。


(lib20417.gif)


(lib20417b.gif)



3,270件ヒットするのね。 これ全部、ケイトーが書いた英語の記事なの?



もちろん全部ではありませんよ。 でも、半分ほどは僕が書いた英語の記事ですよ。 赤枠で囲んであるのは英語の記事のタイトルです。

青枠で囲んであるのは。。。?

僕の英語の記事を含んでいるカテゴリーだとか、英語の記事の中で YouTube を使っている場合には、YouTube のサイトで僕の英語の記事が引用されている。

つまり、米谷さんと違って、ケイトーは英語ができると自慢したいのォ〜?

違いますよ。 シルヴィーは何カ国語もしゃべれるから解るだろうけれど、言葉は自慢するようなものじゃない。 日本人が日本で「私は日本語を完璧に話せます」とか、「私の書く日本語は完璧です」なんて自慢する人は居ないのですよ。

当然だわ。。。その国で生まれ育った人がその国の言葉を話すのは当たり前じゃない。

でもねぇ、カナダではまず外国語を書いたり話したりすることを自慢する人はいないけれど、日本には結構居ますよ。

やっぱり島国だからよ。 インドネシアも島国だから、そういうところがあるわ。 でも、カナダのように移民の国では外国語を話せるのが当たり前だからよ。 だから、外国語がしゃべれることは自慢にならないのよ。

その通りですよ。 言葉は道具でしかない。 要するにコミュニケーションのための道具ですよ。 うまく使いこなせるように、使うしかないのですよ。 慣れるしかない。 そう思いながら、僕は間違いなど気にせずに書きまくっているのですよ。 でもねぇ、そう思いながらも、やっぱり気になる。 だから、米谷さんの本を読むと、「なるほど。。。うん、うん、。。。そうなんだよね。。。うん、そういうことがあるんだよ。。。わかるよ。。。わかるよ」と思いながら読んでしまうのですよ。

それで、どのような失敗に気づいたの?

あのねぇ〜、マイケル・ムーア(Michael Moore)監督が作った“Fahrenheit 9/11”をバンクーバー図書館で借りた DVD で観たのですよ。


(fah911b.jpg)

Fahrenheit 9/11 Trailer

<iframe width="400" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/2Zf2nCiBJLo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



それで3月27日に、その DVD のカタログ・ページに次のようなコメントを書いたのです。


(lib20327.gif)

『バンクーバー図書館の実際のカタログ・ページ』



僕はコメントを書く前に青枠で囲んだコメントが気になったのですよ。


This "documentary" selected among "facts" to support the producer's biases.
As a mother who lost a son on 9/11, I was quite disappointed in its flippant and slanted POV.
Its title is a ripoff of Fahrenheit 451, to which this travesty bears no resemblance or relationship.





このドキュメンタリーはプロデーサーの偏見をサポートするために都合の良い事実だけを選び出して作ってあるわ。
あの9.11の同時多発テロ事件で息子を亡くした母親として、映画の中の軽薄で偏見に満ちた見解に私は失望しました。
この映画のタイトルは『華氏451度』という映画のタイトルを金儲けのために真似しただけじゃないの。
『華氏451度』は思想統制のための焚書を描いたレイ・ブラッドベリのSF小説なのよ。
フランスのフランソワ・トリュフォー監督がその小説を映画にしたのだけれど、
“Fahrenheit 9/11”は、その映画とは全く何の関係もない、馬鹿げた模倣に過ぎないわ。

(デンマン意訳)



『平和が一番』より
(2012年3月29日)




なるほど。。。9.11のテロで息子さんを亡くしたお母さんならば、あの映画に反発を感じるかもしれないわね。 それで、ケイトーのコメントは日本語に訳すとどうなるの?



僕は次のように言いたかったのですよ。


I'd like to feel tons of empathy to the mother who lost a son on 9/11, but the world peace is the eternal desire of the mankind.
Yet, George W. Bush and his father, friends, close advisors as well as his business associates all supported the wars!
There are no sacred wars nor good wars!---only bad wars that bring up all the miseries we would have to endure.
Nobody like wars.
So, why don't we say "NO" to all the wars?
This movie is a must-to-see for world-peace lovers!





9.11の同時多発テロで息子さんを亡くされたお母さんには、いくら同情しても同情しきれないものを感じますが、世界平和は地球上のすべての人間が永遠に希求するものだと僕は信じます。
それにもかかわらず、ブッシュ前大統領や彼の父親、そして、友人やビジネス・パートナーは戦争を推し進めました。
聖戦などはないし、良い戦争なんてものもない!
戦争というのは、どんな戦争も人類に不幸と悲惨さをもたらすだけです。
そのような戦争は、誰だってやりたくない。
だから、すべての戦争に対して断固反対するだけの強い信念を我々は持つべきです。
この映画は、平和を愛する人ならば、ぜひ見るべき映画だと僕は思います。




。。。で、この上の英語の文章に間違いがあると気づいたの?



書き終えて文章を読み返す時でも、僕はそれ程の違和感を感じなかった。 「誰々に同情を寄せる」。。。「誰々の感情に共感を持つ」。。。と言う場合に僕の日本語的感覚からすれば、"to the mother"が最もふさわしいように思えたのですよ。

自分が書いてから、すぐ後で読み返したからだわ。 そういう事ってよくあるのよ。

うん、うん、うん。。。確かに、そうなのですよう。 しばらくたってから読み返すべきなのだろうけれど、とにかく出来るだけ早く記事を投稿したいから、しばらく休んでから読み返すわけにもゆかなかった。 もちろん、次の日に投稿しようなんて思いもしない。 翌日には、また違う記事を書くのだから。。。

それで、2、3日してから読み返して、上の文章に違和感を感じたの?

その通りですよ。

どこに。。。?

I'd like to feel tons of

empathy to the mother...

この empathy の後の前置詞の to ですよ。 僕は中学校の英語の時間に Sympathy や Empathy の後には人が来るから with を使うのだ、と習った覚えがあるのですよ。 シルヴィーはどう思う?

私は別に違和感を感じないわ。 To でもいいと思うわ。

でもねぇ〜、気になりだすと気になるものなのですよ。 米谷さんではないけれど、次の言葉がよみがえってきた。

日本語に存在していない定冠詞とか、

前置詞が分からない。

子どもときからの習慣で学ばないと

英語の論理が身についていないので

通じないのだ。

生まれた時から英語に親しんできた人の耳には empathy to はぎこちなく響くのではないだろうか? そう思えて、書き直すべきかどうか迷いましたよ。

それでどうしたの?

検索エンジンという便利なものがあるから、さっそく調べてみましたよ。 まず "empanthy with" を入れて検索してみました。 その結果を見てください。


 (すぐ下のページへ続く)


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