ラピスラズリ万年筆と源氏物語(PART 2)
夕顔の短い一生
夕顔は三位中将の娘として生まれる。
父の死後、頭中将(当時は少将)と結ばれて一女(後の玉鬘)をもうけるが、本妻の嫉妬を恐れて姿を消し、市井にまぎれて暮らしている。
光源氏が17歳の頃、従者・藤原惟光の母親でもある乳母の見舞いにゆく。
その折、乳母の家の隣家の垣根に咲くユウガオの花に目を留めた光源氏が、その花の美しさに惹かれて取りにやらせたところ、邸の住人(夕顔)が和歌で返答する。
市井の女とも思えない教養に興味を持った光源氏は、身分を隠して彼女のもとに通うようになる。
可憐なその女は自分の素性は明かさないものの、逢瀬の度に頼りきって身を預ける風情が心をそそり、光源氏は彼女にのめりこんでいく。
あるとき、逢引の舞台として寂れた某院(なにがしのいん、源融の旧邸六条河原院がモデルとされる)に夕顔を連れ込んだ光源氏であったが、深夜に女性の霊(六条御息所とも言われるが不明)が現れて恨みごとを言う。
夕顔はそのまま人事不省に陥り、明け方に息を引き取った。
夕顔の儚(はかな)い一生を見るだけでも、読む人は同情を寄せざるを得ない。 彼女は人に憎まれるような性格ではない。 むしろ人に好かれる可憐で朗らかな性格の持ち主なのですよ。 卑弥子さんに説明するのは「釈迦に説法」になるけれど、光源氏は短い間の付き合いであったにもかかわらず夕顔にのめりこみ、死後も彼女の面影を追うのですよ。
それで。。。?
当時は怨霊信仰というものがあった。 菅原道真の例がもっとも有名です。 とても才能のある人で宇多天皇に重用されて「寛平の治」を支えた一人であり、醍醐天皇の時に右大臣にまで昇った。 しかし、左大臣・藤原時平に妬(ねた)まれて讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥(ごんのそつ:副司令官)として左遷され、903年に悲痛な思いのまま現地で亡くなった。 死後、地震や落雷が多発して人が死んだので、道真が朝廷に祟りをなしたとされた。 それで道真の怨霊を鎮(しず)めるために朝廷は正一位・太政大臣の位を贈ったのです。 だから、現在でも菅原道真は天神様として神様になってますよ。
つまり、「瑠璃君」というのは、罪もなく六畳御息所(ろくじょうのみやすどころ)の霊に取り殺された夕顔を鎮魂(ちんこん)するために紫式部女史がその遺児に贈った最大級の美辞だとデンマンさんは考えているのですか?
そうですよ。 ちょうど道真に死後、正一位・太政大臣の位を贈ったようなものです。
そうでしょうかしら。。。?
だってねぇ、道真が亡くなったのが903年ですよ。 紫式部女史が生まれたのは、いろいろな説があるけれど、970年から978年の間だとされている。 卑弥子さんも十分すぎるほど知っていることだと思います。 菅原道真の事件が起こってから紫式部女史が生まれるまで、100年と経ってなかった。 紫式部女史が子供の頃、まだ生々しい恐ろしい話が伝わっていたはずです。
でも、『源氏物語』は歴史書ではござ〜♪〜ませんわ。
もちろん、『源氏物語』は紫式部女史の創作ですよ。 でもねぇ、史実の中にモデルを求めている。 すべてが架空の出来事と言うわけではない。
つまり、夕顔にもモデルが居たとデンマンさんは想定するのですか?
当然ですよ。 『源氏物語』は夢物語でも御伽噺でもない。 紫式部女史が史実の中にモデルを求めて書いた小説だと僕は信じているのです。 だから、夕顔のモデルの霊を慰めるために作品の中で、その遺児に最大級の美辞を与えて霊を慰めたのだと僕は考えているのです。 その時、紫式部女史のオツムに思い浮かんだのは5000年以上も前から珍重されていたラピスラズリ---星の瞬く夜空を連想させる美しい瑠璃ですよ。 それで、夕顔の遺児の幼名を「瑠璃君」にしたのです。
それがデンマンさんの歴史ロマンでござ〜♪〜ますか?
そうです。。。どうですか?。。。卑弥子さんも、ありそうな事だとは思いませんか?
【卑弥子の独り言】
ですってぇ〜。。。
"夕顔の怨霊"と瑠璃君という玉鬘の幼名を結びつけた怨霊説を打ち出した源氏物語研究者は、あたくしの知る限り、まだ居ないと思います。
試しに「"夕顔の怨霊" 瑠璃君」と入れて検索してみたのでござ〜♪〜ますわ。
結果は次のようになりました。
(gog20426.gif)
■『あなたが読んでいる時点での検索結果』
ネット上でも"夕顔の怨霊"と瑠璃君という玉鬘の幼名を結びつけた怨霊説を打ち出した記事はないのですわ。
でも、あなたがこの記事を読んでいる時点では、この記事のタイトルが検索結果として表示されると思います。
試しに上のリンクをクリックしてくださいませ。
驚かれたでしょう?
結構、たくさんの記事が表示されていると思います。
どうしてデンマンさんは同じ記事をたくさんのサイトに投稿しているの?
あなたも、そう思われるでしょう?
アメブロ(http://ameblo.jp/)のように「言葉狩り」、「写真狩り」をしているサイトが、現在でも、結構あるのですわ。
それで、未公開にされたり、削除されたり、あるいはブログが丸ごと削除されることがあるのです。
かつて、デンマンさんは何度もそのような経験をしているので、一つや二つのブログが丸ごと削除されてもよいように、いくつかのブログをまとめて「デンマン・シンジケート」を構築したのでござ〜♪〜ますわ。
検索すると同じ記事がいくつも表れるのは、そういう経緯があるのです。
とにかく、興味深い記事が続くと思います。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。
ィ〜ハァ〜♪〜!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
英語には次のような表現があります。
I haven't done anything to earn his enmity.
【彼の怨(うら)みを買うような事をした覚えはないわ。】
だから、英語圏にも怨霊信仰がないわけではありません。
でも、平安時代のような大掛かりな怨霊信仰は
北米にはありません。
現在の日本にもないと思います。
キリスト教が広まっている国では
怨霊に取りつかれるよりも
悪魔に取りつかれる方が一般的です。
その悪魔祓(はら)いをする人が映画でもおなじみの
エクソシスト(Exorcist)です。
かつてはカトリック教会の役職の一つでした。
日本語では「祓魔師」(ふつまし)と訳されます。
しかし、第2バチカン公会議後の教会制度の
見直しにあたって廃止されました。
1973年に映画『エクソシスト』が公開されると、
当時の人々の間に「悪魔憑き」や「悪魔祓い」が話題に上りました。
そのため、世界各地で悪魔祓いを求める声が起こるようになったのです。
これに対応するため、司教が特別に
悪魔祓いの職務を行う司祭を任命することが
行われるようになったということです。
実際、ローマ司教区には特別に任命されたエクソシストがいます。
あなたは怨霊を信じていますか?
悪魔祓いを信じている人が居るのですから、
あなたが怨霊を信じても異常ではありませんよ。 (微笑)
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを
やっています。
興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして
覗いてみてください。
■『あなたのための笑って幸せになれるサイト』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ