ラピスラズリ万年筆と源氏物語(PART 1)
(lapispen3.jpg)
デンマンさん...昨日もラピスラズリのお話をしたばかりではござ〜♪〜ませんか?
■『群青の石とロマン』
(2012年4月25日)
実は、今日の話をするために、わざわざ2005年に書いた記事を改めて持ち出してきたのですよ。
どうしてですか?
不思議な事があるもので2月14日に僕は次の記事を書いたのですよ。
■『ラピスラズリと紺瑠璃杯』
(2012年2月14日)
覚えてますわよ。 旅猫マイケルさんからコメントをいただいたので、それを基にして書いたのでしたよね。
そうです。 昨日書いた記事のオリジナルは『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』という記事で、これは2005年6月17日に書いたのです。 それ以来コメントが付かなかったのに、旅猫マイケルさんが今年の2月に初めてコメントを書いてくれた。 一度あることは二度あるもので、4月22日に「小笠 k.y.」さんから同じ記事にコメントをもらったのですよ。
偶然でしょうか?
いや。。。決して偶然ではないはずですよ。
つまり、旅猫マイケルさんがコメントを書いたことが引き金になっているとデンマンさんは思っているのでござ〜♪〜ますか?
もちろんですよ。
でも、どういうわけで。。。?
あのねぇ〜、旅猫マイケルさんがコメントを書いてくれたので、僕はうれしくなって、その事について記事を書いたのですよ。 それが次の記事です。
■『ラピスラズリと紺瑠璃杯』
(2012年2月14日)
この記事の中でオリジナルの記事『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』を引用したのです。 そうすることによって、このオリジナルの記事の評価が高くなる。
何の評価でござ〜♪〜ますか?
検索エンジンが掲載順序を決める時の評価ですよ。
要するに、デンマンさんが2月14日に『ラピスラズリと紺瑠璃杯』を書いたことによって『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』の掲載順位が上昇したと言うのですか?
その通りですよ。
マジでそうなったのでござ〜♪〜ますか?
なりましたよ。 その検索結果があるから見てください。
(gog20425.gif)
あらっ。。。マジですわね。 オリジナルの記事が 6番目に表示されていますわ。
記事のタイトルは『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』でも、ファイルの名前は「ラピスラズリ lapis lazuli」になっているので検索結果には、そのように表示されているのです。 最初のページに表示されるようになったので検索する人の目に付きやすくなったのですよ。 それで、またコメントをもらうことになったのです。
。。。で、どのようなコメントをいただいたのでござ〜♪〜ますか?
ここに貼りだすから卑弥子さんも読んでみてください。
Beaverland Net Form Processor
From: ogasa.k.y@****.enjoy.ne.jp
To: barclay1720@aol.com
Date:Sun, Apr 22, 2012 10:58 pm
Pacific Sunlight Saving Time
日本時間: 4月23日 午後2時58分
MESSAGE SENT THROUGH YOUR WEBSITE
This form was submitted:
Apr 22 2012 / 22:58:46
userid = barclay1720
YahGeo = crete-lapis-superb
Your_Name = 小笠 k.y.
Your_Email_Address = ogasa.k.y@****.enjoy.ne.jp
Comments:
万年筆に趣味があります。
数年前、クロスの3本セットを手に入れました。
群青色の素晴らしいものでした。
原料がラピスラズリと書いてあったのですが、深く調べませんでした。
今回、調べてみてびっくりしました。
バダフシャン炭鉱にのみ産するということも知りうれしくなりました。
ありがとうございました。
今後もよろしくご指導ください。
なるほどねぇ〜...「小笠 k.y.」さんは検索エンジンで調べたのですわね。 そしたらデンマンさんの記事が6番目に表示されていたのでクリックして読んだのでござ〜♪〜ますわねぇ。
そういうことですよ。 だから、旅猫マイケルさんが書いてくれたコメントを基にして記事を書いたので、オリジナルの記事の評価が検索エンジンで上昇したわけです。
それで、ネット市民の皆様に目に付きやすくなったのでござ〜♪〜ますか?
そうです。。。だから考えてみれば、旅猫マイケルさんのコメントのあとで、「小笠 k.y.」さんのコメントが続いたのは至極当然なことなんですよ。
これからもコメントを書いてくださる方が続くかしら?
この記事が投稿されたので、また順位が上がりますよ。 コメントが数珠繋(じゅずつな)ぎのようには続かないだろうけれど忘れた頃に、また書いてくれる人が現れますよ。
。。。で、デンマンさんもラピスラズリの万年筆を愛用しているのでござ〜♪〜ますか?
僕は、そういう高価なものは使わない主義です。 高いのは6万円ぐらいするのですよ。 安いパソコンが買える値段です。 僕はもともと万年筆は性に合わないタチで、100円ショップで売っている10本セットのボールペンが一番使い易いのですよ。
そのようなものがあるのでござ〜♪〜ますか?
日本の百円ショップで買ったことはないけれど、すぐそこのデンマン・モールのショッパーズ・ドラッグマートで10本100円ほどで売っているので僕は愛用しているのです。
デンマン・モールのショッパーズ・ドラッグマート
使い捨てのボールペンですか?
そうです。
ラピスラズリ万年筆を愛用していないということは、デンマンさんは正倉院にあるようなラピシラズリのグラスを愛用しているのですか?
まさかァ〜。。。もし、本物を買おうとしたら1億円以上しますよ。 グラスに1億円なんて、とても出せませんよ。 それに、そんな金どこを探してもありません。 (苦笑)
じゃあ、どうしてデンマンさんはラピスラズリに興味を持ったのでござ〜♪〜ますか?
ラピスラズリに歴史ロマンを感じるからですよ。
歴史ロマンでござ〜♪〜ますか?
卑弥子さんは、つまらなそうに言うけれど、卑弥子さんが『源氏物語』に惹かれるように、僕はラピスラズリに惹かれるのですよ。
『源氏物語』とラピスラズリを一緒にしないでくださいな。
あれっ。。。卑弥子さんともあろう有能な源氏物語研究家が、そのような事を言おうとは思いもよりませんでしたよ。
あらっ。。。なぜですか?。。。古典文学と「群青の石ころ」を一緒にしないでくださいと言うのが可笑しいのでござ〜♪〜ますか?
やだなあああァ〜。。。『源氏物語』にもラピスラズリが登場しますよ。
ラピスラズリなど出てきませんわ。。。絶対に出てまいりません!
あれっ。。。卑弥子さんは知らないのですか?
あたくしは、これでも京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授でござ〜♪〜ますわ。 もう10年近く講義しておりますけれど、ラピスラズリが出てきたためしがないのでござ〜♪〜ますゥ。
あのねぇ〜、確かに“ラピスラズリ”という言葉は出てきませんよ。 でもねぇ〜、思い出してくださいよ。 僕は昨日の記事の中で次のように書いていたはずです。
ラズリは、アラビア語の、天・空・青を意味する“allazward”から派生しました。
このアラビア語はペルシャ語の紺碧色に由来する“lazward”が語源です。
フランス語の“azur”は、“l” が冠詞であるかのように扱われ、ラテン語から脱落して生まれたものです。
スペイン語やポルトガル語で青を意味する“azul”もここから来ており、イベリア半島が8〜13世紀半ばまでイスラム世界であった名残りです。
このラピスラズリの鉱物名はラズライト(lazurite)と呼ばれます。
産地が数カ所しかない貴重な鉱物で、変成作用を受けた石灰岩の中に見つけることが出来ます。
青色の原因はイオウです。
ラズライト中にイオウが過剰に存在すると、イオウは鉄と結びついて金色の黄鉄鉱を形成します。
右側の標本の金色部分が黄鉄鉱です。
白色の部分は方解石です。
黄鉄鉱のみ含んでいるものが重宝されています。
いわゆる“金色の斑点が輝く群青の石”です。
このラズライトが取れる有名な鉱山がアフガニスタンのバダフシャン(Badakhshan)です。
この産地のバダフシャンは有史以前から知られており、現在も最良の原石が採れる最大の鉱山です。
長いあいだ唯一の鉱山でしたが、最近ではロシアのバイカル湖畔やチリの鉱山でも採取されています。
ラピスラズリは日本名を青金石といい、古くは瑠璃(るり)と呼ばれていました。
この瑠璃は星の瞬く夜空を連想させる美しい宝石であったようで、5000年以上も前から珍重されていたんですね。
『群青の石とロマン』より
(2012年4月25日)
最後に赤字で強調したから今度は思い出したでしょう!?
あらっ。。。あたくしとしたことが。。。お恥ずかしいですわ。 ど忘れしておりました。 そうでしたわ、平安時代にはラピスラズリは瑠璃と呼ばれていたのですわ。
そうですよ。。。その通りですよう。
デンマンさんがおっしゃるのは、頭中将と夕顔の娘である玉鬘(たまかずら)のことですわね?
その通りですよ。 玉鬘の幼名が瑠璃君なのです。
それにしてもデンマンさんはお詳しいのですわね。 玉鬘が幼い時に瑠璃君と呼ばれていたのを覚えている人なんて、めったに居ないものでござ〜♪〜ますわ。
あのねぇ〜、実を言うと僕は知らなかったのですよ。 たまたまラピスラズリの事を書くことになったので、ついでに調べたのですよ。
でも、デンマンさんのお話を聞いて、玉鬘がなぜ幼い時に「瑠璃君」と呼ばれたのかが良く理解できましたわ。
ほおォ〜。。。なぜですか?
夕顔の遺児・玉鬘は母の死後、4歳で乳母一家に伴われて筑紫へ下国したのですわ。 おそらく、この乳母は、若くして亡くなってしまった夕顔のこと、それに彼女の遺児の玉鬘のことを不憫に思ったのですわ。 九州まで下って来て暮らしているけれど、乳母は玉鬘の父親が頭中将である事を、この幼子に肝に銘じて欲しいと思ったのですわ。
つまり、身分の高い宮廷人の子供だという事を幼心にも理解していて欲しいと乳母は願ったわけですか?
そうでござ〜♪〜ますわ。 それに、乳母の目にも、この子が星の瞬く夜空を連想させる美しい女の子だったのですわよ。 それで“瑠璃のように高貴で美しい女の子”なので「瑠璃君」と呼んだのですわ。 きっと。。。
なるほど。。。、卑弥子さんは、乳母の立場になってそう考えるわけですか?
そうですわ。
僕は作家の立場になって。。。つまり、もともとその幼名を考え出した紫式部女史の立場になって考えるべきだと思うのですよ。
乳母が「瑠璃君」という幼名をつけたことになっていたとしても、いろいろな名前を考え出したのは作家である紫式部女史なのだから。。。
そうでしょうかしら?。。。んで、デンマンさんは紫式部女史がどのような思いを込めて、幼かった頃の玉鬘を「瑠璃君」と呼ばせたと思うのでござ〜♪〜ますか?
それを説明するには夕顔の短い一生を見てみる必要があるのですよ。
(すぐ下のページへ続く)