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裸眼で見る(PART 1 OF 3)

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裸眼で見る(PART 1 OF 3)




高度成長経済と国民の戦争認識の変化



1960年代に本格的な高度成長をなしとげた日本は、1968年には国民総生産(GNP)がイギリス、西ドイツを抜き、アメリカ、ソ連につぐ世界第3位になった。 さらに1986年からバブル崩壊の1990年までの5年間、日本はいわゆるバブル経済に踊った。 この期は中曾根康弘の長期政権がつづいた時期と重なる。

中曾根首相は、高度経済成長をとげ、経済大国となった日本を対ソ戦のための「不沈空母」にたとえ、「戦後政治の総決算」を唱えて、憲法改正と軍備拡張を主張し、自民党軽井沢セミナー(1985年7月27日)での講演で、戦争の侵略性・加害性を承認する見解を「東京裁判史観」「マルキシズム戦争史観」などと批判したうえで、「自虐的な思潮」からの脱却と日本人としてのアイデンティティの確立を強い調子で訴えた。 そして1985年8月15日、中曾根首相の肝煎(きもい)りで設けられた「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告を受けるかたちで、戦後の首相として初めて靖国神社に参拝し、アジア諸国から強い反発を呼びおこした。

戦後の日本政府は、サンフランシスコ講和条約の第11条で対外的には東京裁判の判決を受諾しておきながら、国内政治においては、戦争の侵略性や加害性を否定する教科書検定をおこなうなどダブル・スタンダードの姿勢をとってきたが、中曾根内閣の「戦後政治の総決算」論、「東京裁判史観」克服論は、それをさらに極端にした。 その後、戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた野蛮な復讐裁判であった東京裁判によって日本人に植え付けられた「敗戦コンプレックス」「自虐意識」から抜け出すべきときがきたという東京裁判否定論がいっそうさかんになっていった。 東京裁判否定論と南京大虐殺否定論がセットになっていることはいうまでもない。

(注:イラストはデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)



130 - 131ページ
『南京事件論争史』
2007年12月10日 初版第1刷発行
著者: 笠原十九司
発行所: 株式会社 平凡社




デンマンさん。。。オイラをお呼びですか?



おおォ〜。。。マンガ家! 首を長くして待っていたんだよォ。

今日も可笑しなタイトルを付けてオイラをイジメるのですか?

いや。。。僕はオマエをイジメようとしているのじゃないよ! 何度も言うけれど、僕はオマエを尊敬しているのだよ。

でも、そう見えませんよ。

愚か者には、そう見えないのだよ!

そのように言うことが、そもそもオイラを馬鹿にしていることでしょう!?

あのなァ〜、いつまでも、このような下らない事をダラダラと言っている暇はないのだよ!

。。。で、笠原十九司さんが書いた『南京事件論争史』の中から上の文章を引用して、デンマンさんは一体何が言いたいのですか?

あのさァ、オマエが中曾根内閣時代に「敗戦コンプレックス」「自虐意識」から抜け出すべきだという東京裁判否定論の洗礼を受けたと言う事が実に良く判ったよ。

それはデンマンさんの独断と偏見ですよ。

オマエは、そう言うけれど、ギャグ漫画に新風を巻き起こして昭和63(1988)年に小学館漫画賞を受賞した。 それから平成4(1992)年に思想漫画『ゴーマニズム宣言』の連載を開始した。 この流れを見てゆくと、どうしてもオマエが時代の落とし子として中曾根内閣時代に「敗戦コンプレックス」「自虐意識」から抜け出すべきだという東京裁判否定論の洗礼を受けた。 そう思えるのだよ。 つまり歴史的にオマエを眺めてみると、そう見えてくる。

分かりました。。。そのデンマンさんの仮説が正しいとしてですよ。 それで何が言いたいのですか?

オマエは理屈を捏ね回して漫画を描いているように思えてならない。

その根拠は。。。?

その前に、オマエが反発している司馬遼太郎さんについて書かれた次の小文をまず読んで欲しいのだよ。




美術を担当した4年間を「まことにおろかな4年間」だったと司馬(遼太郎)さんは言っている。 何をしていたのかといえば、本を買い込んで絵画理論を頭につめこむことに熱中していたのである。 その間、絵を見て楽しんだことも感動したこともなかったという。

ちょうど日本の美術界に抽象・アンフォルメルの嵐が吹き荒れていた時代である。 司馬さんの取材する公募展には、抽象画が「洪水のように氾濫」していた。 個展の会場では、古手の記者が作者に向かって
「色彩のヴァルールはどうなっております」
と、大まじめに質問していた。
「異常な世界にまぎれこんだ」と思いつつ、司馬記者もまた、せっせと抽象画理論を仕入れることに励む。 自分の目ではなく、知識や理論を通して絵の世界へ入っていったというわけである。

突き放して考えれば、なるほどおろかしい。 だが同じことはどこにでも---今の我々の日常のなかにも---ある。 たとえば展覧会場で、作品の解説文を読み、作品の様式や理論についての知識を得、解説者の見方を知り、その確認作業のように作品を見る、ふむふむ、という行為から完全に自由でいられる人間がどれだけいるだろうか。

 (中略)





セザンヌに始まる20世紀絵画の理論偏重が害をふりまいたのではないか、物の見方を誤らせたのではないか。

 (中略)

司馬さんは、19世紀人や20世紀人が「そうした理論の持ち出され方にきわめて弱い文明に存在している」と言う。 文明人の弱点としての「理論好き」「頭でっかち」を指摘するのだ。

 (中略)

美術記者時代、彼の見た最初の光景は抽象画氾濫の図だった。 なぜ氾濫するのか。 みな一斉に同じことをするからだ。 なぜ一斉に同じことをするのか。 それが最先端の情報だからだ。 最先端をやらないと「古い」といって仲間うちから冷笑されるからだ。

 (中略)





キュビスムの先駆者ブラックは「私にとってキュビスムは、私自身のために創案した一手段にすぎず、絵画を自分の才能の届く範囲にもってくることが目的であっただけだ」と語ったという。
司馬さんはこの言葉を引いて「いかにもすぐれた創作者らしい正直さで、読んでいても胸の高鳴るような思いがする」と書く。 それはまた、「自分のための手段」でも「自分の才能の届く範囲」でもない他人の始めた様式に無節操に追随する“創作者”たちへの、嫌悪の表明でもあっただろう。

(注:写真とイラストはデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)



104 - 105ページ
「裸眼で見る、ということ」 著者: 芥川喜好
『別冊太陽 日本のこころ 130 司馬遼太郎』
2004年8月20日 初版第1刷発行
編集人: 湯原公浩
発行所: 株式会社 平凡社




なるほど。。。つまり、オイラが「理論好き」「頭でっかち」で、裸眼で見ていないとデンマンさんは主張するのですね?



オマエにも僕の言おうとすることが分かるか?

その程度の事ならば上の文章を読んですぐ分かりますよ。 これは国語の読解力の問題ですからね。

そうか。。。オマエは国語の読解力があるね。

もちろんですよ。。。でもねぇ、そう決め付ける前に、オイラが「理論好き」「頭でっかち」で、裸眼で見ていないという根拠を示してくださいよ。

分かった。。。オマエがそう言うならばその根拠を示すから、じっくりと読んでみろよ。




パールは「判決書」の結論である「第7部勧告」で、再び「A級戦犯」たちと日本国家の関係について論じている。

ナポレオンはフランスの統治権を国家から簒奪(さんだつ)していたため、連合国はフランス国家そのものを敵とせず、ナポレオンとその一派を敵として戦争した。
ヒットラーもナポレオンの場合と同一視できるかもしれない。
だが日本はそうではなかったとパールは断言する。

「日本の憲法は完全に機能を発揮していた」
「これらの被告は憲法に従い、また憲法によって規定された機構を運営するためだけ、権力ある位置についたのであった。
かれらは始終輿論に服し、戦時中においてさえも輿論は真実にかつ活発に役割を果たしていたのである」

そしてパールはこう断定する。

「今次行われた戦争はまさに日本という国の戦いであった」
「A級戦犯」といえど、憲法に従い、輿論に服し、日本国の機構を運営するために行動していたに過ぎない。
彼らの行為は単に東条英機とか、広田弘毅とかいった個人の意志に基づくものではない。
戦争を遂行した「A級戦犯」の行為は、日本国の行為である。
「A級戦犯」が全員無罪ということは、すなわち日本国が無罪ということなのだ!

「A級戦犯が全員無罪でも、日本国家は無罪ではない」と言った論者は、「国家」とはどういうものと認識していたのか?
 
 (中略)

それはおそらく、国民と国家を切り離し、どこかに「国家」なる怪物がいるとおもっている左翼の思考であろう。
何のことはない。
「A級戦犯無罪は日本無罪ではない」と言っていた学者は、どんなに保守を偽装しようが、
「私は左翼です」と宣言していたに等しかったのだ。

 (中略)

一口に言うならば、「日本が戦争をはじめざるを得なかったのは、インドからシナへとなだれこんだ西半球の侵略が、日本八千万の生存をあやうくするまでにのしかかってきて、日本が生きるためにはそうせざるを得なかった。
それは、日本人のこらずの意思であった。
軍人や政治家は、この国民の意思を行動にうつしたままであった。
日本に、日本人に罪はない」
というのである。

まさにこれが正しい。
「A級戦犯」は日本国民の意思を負託され、
実行する立場にあっただけであり、
彼らの無罪は日本の無罪なのだ。

(注:写真とイラストはデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)



232 - 234ページ 『パール真論』
2008(平成20)年6月28日 初版第1刷発行
著者: 小林よしのり
発行所: 株式会社 小学館




この部分がオイラの「理論好き」「頭でっかち」で、裸眼で見ていないという根拠なのですか?



そうだよ! オマエがムキになってパール判事の理論を繰り返し繰り返し言い張って、無理にこねくり回して「まさにこれが正しい」と理屈を捏(こ)ねているだけだよ! 「理論好き」で「頭でっかち」なオマエが形振(なりふ)りかまわず絶叫している姿が見えてくるのだよ。

でも、パール判事の考え方は正しい!

あのなァ〜、僕もオマエのようにパール判事を尊敬している一人なのだよ! でもなァ〜、そのパール判事も神様ではない! オマエや僕と同じように不完全な人間なのだよ! だから、正しいと思っても常に批判の目でパール判事の文章を読まねばならない!

デンマンさんはオイラが書いた上の文章の中で誤りがあると言うのですか?

当然だよ。 誤りを犯している。 パール判事は戦争中に日本で暮らしていたわけじゃない! 東京裁判に出席するために日本にやって来て戦時中の事情については資料を読んで勉強したに過ぎない。 「大本営発表」がウソだらけだったことを身にしみて感じたわけじゃない。 「A級戦犯といえど、憲法に従い、輿論に服し」、とオマエは書いているけれど、この“輿論”はウソだらけの「大本営発表」によって操作されていた。 明らかに国民とは別の所に「国家」なる怪物が居た、というのが戦後の日本国民が感じ取った裸眼で見た真実だったのだよ! オマエは熱くなりすぎて冷静さを失って「理論好き」で「頭でっかち」になりすぎている!

熱くなりすぎて冷静さを失っているのは、デンマンさんを含めた左翼ですよ!

オマエは二言目にはサヨク、サヨク!と絶叫するけれど、それはマンガチックだよ!

デンマンさんは、オイラを馬鹿にするのですか?

いや。。。何度も言うように僕はオマエを尊敬している! でも、オマエは冷静さを失っているので、議論が前向きに建設的に進んでゆかない。

そう言ってるのはデンマンさんだけですよ!

いや。。。、僕以外にも、そう言っている人はたくさんいるのだよ。 次の小文を読んでみろよ。

 (すぐ下のページへ続く)



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