Quantcast
Channel: デンマンのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 12413

2ちゃんねる噂の女(PART 1)

$
0
0
 
2ちゃんねる噂の女(PART 1)









デンマンさん。。。久しぶりですねぇ〜。。。 もう何年になるかしら?



少なくとも7年が過ぎましたよ。

ええっ。。。もう、そんなに経ってしまいましたァ〜。。。!?

「光陰矢のごとし」と言うけれど、経ってみるとホントに月日の経つのは早いものですよ。

でも、どうして急に私を呼び出したのですか?

おととい次の記事を書いたのですよ。


(makatigal.jpg)

『マカティのギャル』

(2012年4月28日)



マカティの女性たちと私が何か関係しているのですか?



いや。。。アミサさんとマカティの女性たちとは何の関係もありません。 あのねぇ、実は、僕は記事の中で2ちゃんねるのスレッドを引用したのですよ。 そのスレッドの中にアミサさんが登場するのですよ。 長いけれど、面白いから読んでみてください。


(2ch119.gif)



なんだかデンマンさんがムカついて凄(すご)い事を喚(わめ)いているではありませんか!? でも、私はどこにも出てきませんわ。



失礼しました。 あのねぇ〜、実は、省略した部分に、アミサさんが出てきたのですよ。 引用したつもりが引用してなかったので、改めてソフトカメラで撮ってきましたよ。 長くなるけれど、関連部分も含めて面白いから読んでみてください。


(2ch20428.gif)

『【毒舌】バークレーのブログのヲチ【自己増殖】』



あらっ。。。私がデンマンさんとネットで知り合った当時、2ちゃんねるでは、このように私までが噂になっていたのですね。
 


そうなのですよ。 このスレッドで他人の。。。つまり、僕の悪口を言い合っていたのですよ。 この2ちゃんねるの連中を見ていると、まるで島国根性丸出しなのです。 せっかくネットというボーダレスの広い、広い世界に出てきたというのに、「2ちゃんねる」という「ネットの島国」の片隅で。。。ちょうど、ジメジメした昔の木製の腐った台所の床下で、ゴキブリのように蠢(うごめ)きながら僕の悪口を言い合って、日ごろの憂さを晴らしていたのですよ。

台所の床下のゴキブリのようにですか。。。? (微笑)

とにかく、初めて上のスレッドが2ちゃんねるにあることを知ったのが 2005年6月28日の午後11時ごろでしたよ。

どのようにして知ったのですか?

あのねぇ〜、上のスレッドに17歳の少女というのが登場してくるけれど、「すみれ」ちゃんというハンドル名を使っていましたよ。 初めて僕の記事にコメントを書いた時には、彼女はまだ16歳でした。

「怖い話をしてやる。 おもらししてパンツびしょびしょになるぞ」なんてことを、デンマンさんはマジでその子に言ったのですか?

セクハラ発言と書いてあるけれど、そこだけ取り出して「セクハラ発言」と決め付けている。 僕にはそんな意識は全くなかった。 FC2の SNS (コミュニティ)で すみれちゃんと楽しく面白く可笑しいチャットをしていたつもりだったのですよ。 パンツうんぬんは、もちろん冗談です。 それを読んでいた「よしだ」さんが16歳の少女に対して「おもらししてパンツびしょびしょになるぞ」なんて言うのは道徳上よろしくない!と、文句を言い始めた。 彼とのやり取りの中で「貴方のスレッドが2ちゃんねるで立っているのを知ってますか!? よってたかって非難されてますよ!」と書いていた。 それで2ちゃんねるを探し回って上のスレッドにたどり着いたのですよ。

それが2005年6月28日の午後11時ごろですか?

そうです。。。とにかく、事態を曲解して。。。歪(ゆが)めて。。。悪い方向に悪い方向に持ってゆこうとしている。 要するに他人の悪口を言い合って楽しんでいるその態度にムカついてきたのですよ。

それで、デンマンさんは6月29日の午前0時44分に癇癪玉(かんしゃくだま)を破裂させたのですか!? (爆笑)

そうです。 バンクーバー時間では28日の午前8時44分です。 ちょっと72番を見てくださいよ。

メレンゲさんの次はCommit 4 Uで知り合った

Amisa さんを餌食にww

勝手に絵まで作っちゃってキモ過ぎww




デンマン注:

この絵を作った当時は、僕のハンドル名がデンマンではなくロブソン(Robson)だったのです。
この絵は次の記事の中で使われています。

『バンクーバーとブリスベン』

(2005年6月21日)



  バンクーバー



  ブリスベン




上の文中の「餌食に」というのが事態を曲解して。。。歪(ゆが)めて。。。悪い方向に持ってゆこうという悪意そのものですよ! アミサさんを餌食にしようなんて想像さえつかなかった。 僕は、ここに及んで癇癪玉を爆発させたというわけですよ。 (微笑)



でも、デンマンさんにしては大人気ない発言ですわ。

確かに、かなり感情的に喚(わめ)き散らしましたからね。。。ちょっとみっともなかったですよ。 でもねぇ、それが僕の偽らざる思いでした。 「おまえら、いったい、何をやってんだよ! 他人の悪口など言い合ってないで、もっと世界に飛び出して、人生のためになるような事をやれよ!」 そういう思いがあったので、僕はアミサさんを取り上げて次の記事を書いたのですよ。


オーストラリアのブリスベンで

頑張っているアミサさん




聖徳太子が古代オリエントに
つながってるってすごいコトですよね!
色んなところで全く別の世界が
隣り合わせというか☆


聖徳太子の時代の方が現代の日本よりも国際交流が盛んだったように思いますね。
なぜなら、国を動かしているほとんどの人の親や兄弟が朝鮮半島や中国から来ているからですよ。
原日本人、つまりアイヌの人たちは東北地方に追いやられてしまったわけですね。

アミサさんも僕も、祖先をたどってゆくと朝鮮半島か中国からやってきているはずですよ。
99.9%の確率でそのように言う事が出来ます。
最近、“韓流ブーム”と騒いでいますが、これは日本人の血の中に流れている韓国人の血が騒いでいるんですよ。
つまり、“祖先帰り”です。


私の両親、かなりの覚悟と決意が必要だったはずです。
今でも私の年齢(アミサさんは20歳)なら海外で
1人暮らししてないで親と家で
暮らしてるはずなんですものね。
本当に親には感謝感謝ですよ〜!

 (*^_^*)//


僕の従妹は15歳で、中学を卒業してすぐにバンクーバーにやって来て部屋を借りて自炊生活を始めましたよ。
もちろん、僕がバンクーバーに居るから、両親も海外に出す気になったんでしょうね。
バンクーバーの高校を卒業してから、日本でテンプル大学に入ったけれど、失望して退学して、アメリカの大学に入りなおしました。

香港とシンガポールで働いた後、現在はロスでアメリカ人と生活していますよ。
独立心旺盛なたくましい女の子に育ちました。
15歳から英語に染まったから、発音なんか、とてもうまくなりましたね。
外国語は、やっぱりローティーンからやるべきでしょうね。


ラピスラズリのリンク記事読みました!
すごい知らないことがたくさん書いてあって勉強になりますー



『ラピスラズリ と ラピスラズリ・ロード』
 (2005年6月17日)


そうですか。それは良かった。
そう言ってもらえると、書いた甲斐がありますよ。




まず12月の誕生石っていうのを知らなかった・・・
(12月生まれです;)


日本ではあまり誕生石って言わないからね。


あとエジプトの装飾品に使われていたなんてオドロキです!
エジプトにまで運ばれていたんですね!
ラピスラズリロードのお話もおもしろいです〜。
あんな西のほうから中国、日本とまで伝わってきたなんて
^o^

油絵に使われていたというのもびっくりでした。
薬としてもだけどラピスラズリはかなり色々な分野で重宝されていたんですねぇ。


ダイヤモンドよりもたくさんの使い道があったようですね。
僕が第2部に書くお話はクレタ島の“パリジャンヌ”のことですが、このお話が“Erotica Odyssey”の書き出しになっているんですよ。
今回、また日本語で書き直すということで、初恋の人にめぐり合うような懐かしい気分ですよ。
このお話は楽しみながらゆっくり書くつもりです。
もちろん、ラピスラズリも出てきます。



アミサさんがそのきっかけを与えてくれたようなものです。
インスピレーションでしょうね。。。
僕はもちろん楽しめますが。。。
アミサさんねえええええ。。。
楽しめるかな?
こればっかりは読んでもらわないと分からないねえエエ。。。。

あの女の子たちは僕の教えていた学生たちだったんですよ。
成績がトップから3人までセスナに乗せる、と言ったら。
女の子が3人トップを占めてしまいましたよ!




ええ!そんな・・・ものすごいことをしてたんですね!
女の子のほうがそういう勇気がありますよね!
私もそれがあったら頑張って勉強するとおもいます(笑)
でも何事もなく良い思いでになっていてよかったですw


(3人の女の子を乗せてセスナで宙返りをしたのですが、
こういう気違いじみたことはもう絶対にやりません!
ハンセ〜〜!

(≧Д≦)ノ彡☆)

そうですよ。
もうこれからはああいうキチガイじみたことは出来ませんからね。
僕は、振り返ってみると、かなり危ない事をやってきました。
拳銃を突きつけられたこともあったし、今から考えれば、面白いんですが、そのときは大変なことでしたよね。。。。
とにかく、日本に居たのでは考えも付かないような思いをたくさんしてきましたよ。
だから、死ぬことはあまり怖いとは思わないのですが、
でも、振り返って危ない思いをしたときの“ああ、あの時死ぬかもしれなかったんだよなあああ〜〜”と、
改めて死を考えるときの“死”は怖〜いですねェ。

たとえば、カナダ横断ハイウェイ一号線を時速180キロで飛ばしている時というのは全く死ぬ怖さがありませんよ。
不思議なくらい怖くない。
これで死ぬんだったら死んでもいいと思っている!!!!
そしておまわりさんに捕まります。
当然のことです。



 (すぐ下のページへ続く)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 12413

Trending Articles