ジャンボのエンジン全部停止!(PART 2 OF 3)
日本航空社内の犯行
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あまりに衝撃的だった1985年8月の御巣鷹山事故以来、JALに対する世間の目は常に安全性に注がれてきた。
その信頼が再び揺らぐのが、1998年4月に兼子体制が発足してからだ。
顧みれば、すでに2年目からその安全性に疑問符がついてきたのである。
はじめは2000年8月、羽田整備工場で発覚した航空機配電線切断事件だ。
B747型ジャンボ機の整備を終え、機内の構造部にある電気系統の最終チェックをしていた最中、途切れた電気配線が発見される。
しかも、それは古くなって切れたものではなく、何者かによって故意に切断されていたのである。
事態を深刻に見たJALでは、社内に調査チームを設けた。
「専門知識と能力を備えた社内の犯行である可能性が高い」
結果はそう結論される。
前代未聞の航空機配電線切断事件といえた。
そのせいで、JALは、飛行機の格納庫に監視カメラを設置し、24時間の監視体制を敷くようになる。
しかし犯人は見つからない。
おまけに、その後も整備に関する事件は続いた。
次は2003年3月、B747型機体についた意図的なヘコミが判明する。
さらに2004年2月には、B767型機の貨物室ドアの電気ケーブルが切られていた。
これも人為的な切断だと認定されたが、結果的には犯人を特定するにいたらない。
折りしもこの間、兼子率いるJALは、JASとの統合と言う大事業に追われた。
そこに不祥事が紛れ込んだ。
そのため世間ではさほどクローズアップされなかった。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリより)
104ページ 『腐った翼』
著者: 森 功
2010年7月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
でも、上の不祥事は、どれも御巣鷹山事故のあとに起きたのだわ。
あのねぇ〜、日本航空の体質は御巣鷹山事故の前も後もほとんど変わっていないのですよ。 その事については山崎豊子さんも次のように書いている。
良心を失いつつある日本
関連会社の放漫経営によって、国民航空本体をも揺るがしかねない事態が発生し、恩地は会長の特命でニューヨークへ調査に出張する。
そこで関連会社のホテル買収に当たって、買値がアメリカ側の公の会計報告書より9億円もの水増しがあることを発見する。
愕然として帰国の途に着く前の僅かな時間、恩地はブロンクス動物園に立ち寄り、類人猿舎の中の「鏡の間」の前にたつ。
折の向こうに鏡が嵌(は)められ、自身の姿が映る。
その鏡の上には「この地球上でもっとも危険で、獰猛な動物は鏡に映っている人間である」と記されている。
この警句は、520名の犠牲者を出して、なお反省の内国民航空社内の魑魅魍魎(ちみもうりょう)そのものを指しています。
本社でもドルの10年先物予約によって、膨大な損失が国会で野党議員に糾弾されるや、与党政治家に働きかけ、遂に“閣議決定”によって、「その経営責任」を問わずとして幕引きされ、闇に葬り去られると同時に、国見は突如、更迭される。
いやしくも一国の最高意思決定機関である閣議で、半官半民企業とはいえ、深刻な経営問題を政治決着してしまうとは、なんと言う企業倫理の欠如であり、事故に対する贖罪の意識の希薄さでしょうか。
でもこれは、小説の中だけのことではないのです。
かつて小説『不毛地帯』で経済の繁栄と共に、良心を失いつつある日本の精神的不毛をテーマにしましたが、それから20年経った現在も、何ら変わっていないことに不気味な恐ろしさを覚えます。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
178-179ページ
『作家の使命 私の戦後』
著者:山崎豊子
2009年10月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
つまり、御巣鷹山事故はまた起こるかもしれないとケイトーは言うの?
その可能性は大いにありますよ。 政府が日本航空の尻拭いをしてやっている。 つまり、日本航空のトップは反省していないし、政府のお偉方も日本航空のトップとグルになっ
ている構図が見えてくる。 たまたま昨日、バンクーバー図書館から借りてきた本を読んでいたら次のようなことも書いてあった。
賞賛される日本人、批判される日本政府
3万人近い死者・行方不明者---これだけの惨事のなか唯一の光明は、われわれ日本人が世界中から賞賛される素晴らしい民であると言う事実に改めて気づくことができたことであろう。
身を犠牲にして人々を津波から守ろうとした勇者たち、そして忍耐強く秩序を守り、自力で立ち上がろうとする人々、苦しい中でも思いやりと助け合いの心を行動で示す被災者たち……。
世界のメディアが賞賛し、世界中に共感と支援の輪が広がった。
涙が出るほど嬉しいことだった。
他方、地震後の日本政府の対応には世界中から非難の声が集中した。
日本政府を賞賛する論評は、残念ながら、私は見たことがない。
原発事故対応を含め、日本のメディアが政府批判を抑えるなか、海外の論調は総じて厳しかった。
(中略)
福島原発の事故処理を見て、優秀なはずの官僚がいかにそうではないか明白になった。
いや、無能にさえ見えた。
専門性のない官僚が、最も専門性が要求される分野で規制を実施している恐ろしさ。
安全神話に安住し、自らの無謬性を信じて疑わない官僚の愚かさ。
想定外を連呼していたが、すべて過去に指摘を受けていた。
それに耳を貸さなかっただけ。
...
原子力村と言う閉鎖空間にどっぷりとつかってガラパゴス化した産官学連合体も恐ろしい。
しかし、これらの問題は、決して今日に始まったことではない。
何十年間と言う歳月をかけて築かれた日本の構造問題そのものである。
未曾有の危機だから、それが極めて分かりやすいかたちで、国民の目の前に晒されたに過ぎない。
「日本中枢の崩壊」の一つの縮図が、この危機に際して現れた、そういって良いだろう。
22-23ページ、37ページ
『日本中枢の崩壊』
著者:古賀茂明
2011年6月30日 第5刷発行
発行所: 株式会社 講談社
つまり、ここまで考えてくるとね、あの御巣鷹山事故がきわめて人為的ななものであったことが実によく判る。
つまり、誰かが事故の種をまいたと。。。?
そうですよ。
(jumbo02.jpg)
B747型ジャンボ機の整備を終え、機内の構造部にある電気系統の最終チェックをしていた最中、途切れた電気配線が発見される。
しかも、それは古くなって切れたものではなく、何者かによって故意に切断されていたのである。
一度あることは2度あると昔の人は言いましたからね。 それを日本航空のトップと日本政府のお偉方が尻拭いした構図が見えてきますよ。
大企業のトップの体質と、日本政府のお偉方の体質は昔も今も変わっていないということなのォ〜?
その通りですよ。 東日本大震災の日本政府の対応と福島原発の事故処理をバンクーバーから眺めていて僕もつくづく、そう思いましたよ。
一人一人の日本人は賞賛されるのに、日本の政治家たちはどうして批判されるのでしょうね?
政府に入った人間は政治屋になり切ってしまうからですよ。 右を向いても左を向いても、自分の事しか考えない政治屋ばかり。。。そのような中にいれば、神様でない限り、悪い考え方に染まってゆくものですよ。 日本には次のような諺があるのですよ。
朱に交われば赤くなる
英語にも似たような諺があるわよ。
One rotten apple spoils the barrel.
なるほどォ〜。。。樽に入ったリンゴが一つ腐ると、やがて樽に入っているすべてのリンゴが駄目になるってしまうと。。。なるほどォ〜。。。つうことわああァ〜。。。日本の国会議事堂に入ると、良い日本人も腐った政治家になってしまうと言うことだねぇ。。。 うへへへへへ。。。
(すぐ下のページへ続く)