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中国滞在16年で死亡(PART 2)

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中国滞在16年で死亡(PART 2)




デンマンさん、お元気ですか?
先月末(4月29日)、久しぶりで芳江さん(注:デンマンの母親)を訪ねてきました。
暮に伺った時「春の彼岸頃また来るから」といって…。
数えたら5ヶ月も経っているのですね。
この冬は例年になく寒く私も含めて高齢者に近づいた人には厳しかった。
芳江さんも大変だったのではと行く前に心配が大きく
電話をして様子を確かめたところ張りのある声が聞こえてきました。

会うと顔色も非常によく案じていたよりは、はるかに健康的で、私の方が薬負けしているせいか、ずっと病的だなあと思いました。
4次元の会話もほとんどなく、しっかりと的を得ていました。
(泥棒の話がひとつだけ出てきましたが。。。)

あと半年したらデンマンさんが帰ってくるからと、もう楽しみにしている状態です。
私はこの日も「芳江さん、りっぱだね」と長寿のことを誉めましたが必要以上に誉めそやすと油断するのが怖いので楽な気持ちで今まで通り気張って欲しいと勇気付けてきました。

人は皆 死に行く道を歩んでゆくわけですが、私は最近すんなりと逝ければいいなあと願うようになっています。
デンマンさんの誕生日のすぐあとに私の誕生日で、この好きな桜の季節にまた年を重ねました。





隠遁生活者の僻(ひが)みでしょうか?
小さいながらも事業を起こし、それが失敗したことが今でもストレスとなって追いかけてきます。
この僻み根性が顔に出ないうちに喘息という病症から抜け出たい。

デンマンさん想像してみてください。
例えば口を塞がれて鼻が詰まりながらも、かすかに息ができる。
こんな状態が続くと、もう肩で呼吸し体で息が苦しいと叫んでいます。
通常薬で抑えていますが薬は麻薬であって切れると前記のような禁断症状となります。
薬を離そうと何度も試みるのですが繰り返すばかりです。
ある程度健康に関する本は読んでいるので今更どうの、こうのということもないので、この喘息とじっくり向き合っていくより方法はないと近頃へこんでいます。

「健康は人が与えるものでなく 自分で創るもの」
中学校3年間を担任だった理系の先生が後日結核になり見舞った時の言葉を思い出します。

デンマンさんが偉いなあという点はたくさんありますが、そのひとつには健康であるということ。
その健康であるという裏打ちとは、格好をつけて言えば倫理を踏まえた自立かなあと。。。

私にはすべてにそれが欠けていた。
私の年齢では遅しですが、今から出発しようと思います。
実家の両親や芳江さんのように90歳の声は望んではいませんが念じることがとおるなら あと20年は生きたいと思います。
そして指折れば3つばかり成就したいものがあります。
今、そのひとつに挑戦しています。

明日は子供の日で休日です。
佐保姫さまの到来なくして若葉になり 冷暖房の要らない過ごしやすい時期にやっとなりました。
台湾の歌手テレサテンさんのようにならないよう私も気張って生きます。
では、お体に気をつけて。。。



九条多佳子

2012年5月4日



『テレサテンと叔母』より
(2012年5月11日)




確かにデンマンさんを子ども扱いにはしていませんわ。



そうでしょう!? 「吾子(あこ)」とは文字通りに現代訳すれば「我が子」という意味になりますよ。 実際、古代にもそのように使われていた。 でもねぇ、光明皇后と藤原清河の歌のやり取りを読んで、二人の年の差を考えれば、「吾子(あこ)」とは「我が子」ではなく、「親愛なる人」というような意味で親しみを込めて目下の者・年下の者を呼ぶ時に使われてもいた、ということが解るのですよ。

でも、それはデンマンさんが、たまたま叔母様と親しいので、そのように考えただけではないのですか? 光明皇后と藤原清河さんは、デンマンさんと叔母様のように、それほど親しかったわけではなく、言わば社交辞令というか、二人とも藤原氏だったために光明皇后が万葉集に載せるために遣唐使の派遣というテーマを選んで詠んだ歌だということも言えるのではありませんか?

いや。。。それは考えられません。

どうしてですか?

あのねぇ〜、それならば、叔母の光明皇后ではなくて、清河を遣唐使に任命した従妹である孝謙天皇が歌を詠むはずですよ。 なぜなら、孝謙天皇は任命した本人だし、しかも常識的に考えれば叔母よりも従妹の方に、より親密感をいだくはずです。。。でも、実際には、叔母である光明皇后が歌を詠んだ。 それは、とりもなおさず光明皇后と清河の間に歌に読まれていたような親密感があったからですよ。 つまり、「吾子(あこ)」とは光明皇后が清河を「親愛なる人」という意味で呼びかけたのですよ。


【ジューンの独り言】



ですってぇ〜。。。

そうですよね。 

光明皇后は清河さんと、とても親しかったのだと

わたしも思いますわ。

二人の歌は昔の言葉で書かれているので

説明がなければ、わたしにはさっぱり解りません。

英語にも Old English といって

古い英語がありますけれど、

日本語の場合、それほど古くなくても

例えば明治時代の日本語を読んでも

現在の日本語とはかなり違うのですよね。

戦前の旧仮名遣いで

「てふてふ」が「ちょうちょう」のことだと知った時には

マジで驚きましたわ。

英語の場合、話し言葉も書き言葉も

100年前とほとんど変わっていません。

日本語の変わりようにはビックリさせられます。

ところで、私のような外国人が

日本語を勉強するのに、最も難しいのは

何だと思いますか?

敬語の使い方です。

日本人でさえ適切に敬語が使えない人が

増えていると聞いています。

だから、やっぱり敬語は難しいのですよね。

英語にも敬語が無いわけではありません。

でも、日本語ほど体系的には使われていません。

ヨーロッパ近代語に敬語があるかないかは

敬語の定義次第です。

敬語を広く「人物間の上下関係や

親疎関係を反映した言語表現」と定義すれば

英語で丁寧な命令文に please を付ける例を始め

学校で生徒が教師に、

軍隊で兵士が上官に対する応答の文末に

sir や madam(ma'am)を付ける例があります。

英語の二人称代名詞である you はもともとは敬称でした。

英語話者が家族であろうと親しい友人であろうと

常に本来敬称であった you のみを使うようになったために

you が敬称としての意味を失い、

敬称でない形の thou が忘れ去られたのです。

現在では敬語表現としては

次のような形を使って表現することが多いです。

Could you ...?

Would you ...?

May I ...?


 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ






ィ〜ハァ〜♪〜!

メチャ面白い、

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